拭えない不信感

 翌朝、ベッドの上で目覚めたリーシャは寝袋に入って床に転がっているオスカーがまだ眠っているのを確認すると大きく伸びをした。


(上等でふかふかのベッド。素晴らしい)


 やはり寝袋とは寝心地が違う。身支度を整えて侍女に朝食を東屋に用意してもらうよう頼むと朝の散歩に出かけた。部屋の床に転がっているオスカーを見られるのは気まずい。


「おはよう、リーシャ」


 庭園を散歩していると侍女を連れたヴィクトールに遭遇した。どうやら城に一泊したようだ。


「おはようございます、皇帝陛下」

「ヴィクターで良いよ」

「朝からお散歩ですか」

「ああ。今日の昼には発とうと思ってね。その前にちょっと散歩を。そうだ。良かったら一緒にどうかな」

「どうとは?」

「次の国まで送るよ」


 ヴィクトールはそういうとリーシャに近づき耳打ちした。


「余程君たちに興味があるのか、門の外には迎えの馬車が沢山停まっているようだよ」

「……なるほど」


 城門の外が見える場所まで移動すると、門の外に立派な馬車が沢山停まっているのが見えた。リーシャとオスカーが旅をしているのを知ってか、「次は是非我が国に」と迎えの馬車が殺到しているようだ。


「イオニアの王子を接待したい方がこんなに。もう顔も割れているでしょうし、こっそり旅をするというのも無理そうですね」

「国境辺りで捕まって城でされるだろうね」

「……」


 困ったことになった。顔が売れるのは悪い事ではない。特に「蒐集物」を探すにあたって「蒐集物」を所有していそうな貴族や王族の所へ堂々と乗り込めるのは嬉しい位だ。

 だが、彼らの目的がオスカーならば話は別だ。イオニアとの繋がりを深めたい国は沢山ある。それら全ての国を周るにはあまりにも時間がかかるし、政治的なトラブルに巻き込まれる可能性も無くは無い。


(一言で言ってしまえば面倒だ)


 ただの訪問ではなく国同士の今後の付き合いを左右するともなればオスカーも相手を無下には出来舞い。一国でも相手をしてしまえば他の国も……となるのは目に見えている。


「パーティーに来ていた国以外の……少し離れた場所まで送って頂く事は可能でしょうか」


 となれば、答えは一つ。「逃げる」一択である。


「勿論。ただ、そうなると少し時間がかかるけど大丈夫かな。この状況だ。使えるルートが少なくてね」

「はい」

「分かった。では、正午の鐘が鳴る頃に迎えに行くからそれまでに荷物を纏めておいてくれ」


 ヴィクトールと別れるとリーシャは用意された朝食を手早く済ませ、床に転がっているオスカーを叩き起こした。


「オスカー、今日の昼に城を出るので準備をして下さい」

「昼? あと数刻しかないぞ」

「面倒なことになる前にお暇するんです。皇帝陛下が飛行船で少し遠い場所まで運んで下さるそうなので便乗しましょう」

「ヴィクトールが? 一体どういう事だ?」


 リーシャは荷物を纏めながら「門の外で待っている馬車の大群」について説明した。そして、ヴィクトールの飛行船が誰にも止められることなく二人を国外へ運ぶことが出来る唯一の手段だと説いた。誰も皇帝に物を申そうなどと思わないからである。


「……なるほど」

「皇帝陛下に借りを作りたくはありませんが致し方ありません。流石に我々だけで何事も無く国を去るのは難しそうですから」

「迷惑をかけてすまない。まさかこんなことになるとは」

「夜会でもオスカーとお近づきになりたそうな方々が沢山いらっしゃいましたから、ある程度は想定済みです」


 リーシャの事で頭が一杯だったオスカーの目には入っていなかったようだが、隙あらばオスカーやリーシャに近づこうとしていた招待客ばかりだった。

 急な呼びつけにも関わらずわざわざ「歓迎会」へやって来たのだ。オスカーに取り入ろうという下心がある者も多かっただろう。


(そうか、夜会とはそういう場だったな)


 しばらく社交界から離れていたオスカーはそのことをすっかりと忘れていた。


「今回わざわざ『歓迎会』を開いたのだって、フロリア公国がイオニアと近しい関係である事を周囲に知らしめるためかもしれませんよ」

「俺たちは利用されたという事か?」

「あくまでも推測に過ぎませんが……。でも、たった数日旅の途中に滞在する甥に対する歓迎会にしては少し度が過ぎていませんか? 自国の貴族を招くだけならまだしも、周辺諸国の王侯貴族まで招くなんて」

「……」


(言われてみれば確かにそうだな)


 実母の実家だからと安心して身を預けていたが、実の所オスカーはフロリア公国がどのような国なのか詳しく知らない。母ローザがフロリア公国へ帰省したのはたったの1度きりだし、それ以外の交流と言えばフロリア公国から薬草を輸入している位だ。


「そもそも、何故フロリア公国で『お披露目会』をする必要があったのでしょうか。イオニアでお披露目会をするのは分かります。しかし、他国へ嫁いだ大公女の息子……それも一度しか会ったことの無い甥の実質的な『婚約お披露目会』を、イオニアを差し置いてフロリア公国で行うのは不可思議です。

 しかも、我々には了承を得ずに準備するなんて……」


 リーシャが不満を持っているのはそこだった。リーシャ達がローザを通して連絡を取ってからフロリア公国へ到着するまでには数週間の猶予があった。

その際に一切「歓迎会」についての連絡は無く、到着した時には既に歓迎会の前日で断れない状況になっていた。


「やり口が卑怯です」


 夜会の件でフロリア公国、ひいては大公妃に対する拭いきれない不信感をリーシャは抱いた。それが今回ヴィクトールの誘いに乗った大きな原因でもある。


「私達を『フロリア公国を大きく見せるための政治的な道具』に仕立てた。そう感じてしまうのです」

「……」


 オスカーはリーシャの言葉に頭を悩ませた。


(否定できない)


 実のところ、「騙し討ちのようだ」とオスカー自身も感じていた。大公妃に呼ばれ、「夜に二人の歓迎会」をすると聞いた時は小さなパーティーでも開くのかと思っていたが、それが周辺諸国の要人を招いた物だと知らされて眩暈がした。

 「それは歓迎会ではないのではないか」と喉まで出かかったが、既に招待客が到着し始めており断る事など出来なかった。

何しろ「イオニアの王子であるオスカーとその婚約者であるリーシャの歓迎会」だと招待状に記載されていたのだ。それが意味する所は明白である。


「王妃様は今回の事をご存知なのでしょうか」

「どうだろう。母上からは何の連絡もないからな」


 ローザに「フロリア公国と連絡を取って欲しい」と手紙を送ってそれっきり、返信は来ていない。夜会の件を知っていたのかは不明だ。


「ともかく、門を出てどこぞの国の馬車だか分からないような馬車に連れ込まれるのは嫌でしょう? さっさとお暇しましょう」

「……そうだな」


 リーシャは侍女を呼ぶと「昼にフロリア公国を発つ」と伝え、大公妃に取り次いで貰うよう頼んだ。収納鞄へ入れるだけなのに荷造りはすぐに終わる。ドレスから旅装へと着替え、鏡の前で「やはりこの恰好が落ち着く」と一人頷いた。


 出発の準備が整った頃、大公妃への謁見を取り付けた侍女が戻ってきた。


「リーシャ様、宜しければこちらをお持ちください」


 そう言って手に持っていた麻袋と小さな紙の束をリーシャに渡す。


「これは?」

「城で使っている薬草と、簡単な物で作れる薬や食事のメモ書きです」


 麻袋の中には乾燥させた薬草やハーブが入っている。リーシャが「出発する」と伝えてから急いで作ったのだろう。メモには比較的どの地域でも手に入る物で作れる簡単なレシピが走り書きされていた。


(以前皇帝に貰った薬袋に似ている。フロリア公国の文化だったのか)


 「偉大なる帝国」を去る際にヴィクトールがリーシャに贈った薬草袋を思い出す。皇帝の母であるラベンダーから教わったのだろうかと頭の隅で考えた。


「ありがとうございます」

「……実は私、以前はローザ様の侍女をさせて頂いておりました」


 侍女はオスカーの顔を見ると少し涙ぐんだ声で言葉を続ける。


「輿入れの際にご一緒出来なかったのを悔いておりましたが、まさかもう一度、このように立派になられたローザ様の御子息にお目にかかれることが出来るなんて……。どうぞお元気で」

「なんと、そうだったのか」


 オスカーは侍女の手を取ると「母にも貴女のことを伝えよう」と約束をした。


「名前を伺っても良いだろうか」

「ステラと申します」

「ステラか。良い名だ。必ず伝えよう」

「ありがとうございます」


 ステラは涙を目一杯に溜めて何度も何度もオスカーに礼を言った。

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