虫除けと証

 長い夜会が終わり、大きなベッドに体を投げ出したリーシャの口から出たのは「あー、疲れた」という言葉だった。ヴィクトールからダンスの誘いを受けた時は焦ったが、「契約」という建前があったので上手く切りぬけることが出来てほっとした。

 あの後リーシャは殺到した令嬢達にダンスをせがまれて大変だったのだ。だが、そのお陰でリーシャに興味を持った要人達やフロリア公国の貴族から話しかけられずに済んだ。その点においては令嬢達に感謝をしなければならない。


「大変だっただろう。すまなかった」


 ベッドで生ける屍の如く横になるリーシャをオスカーは温かいハーブティーを淹れて労った。


「久しぶりに疲れました」


 正装をする為に外していた『柘榴石のペンダント』を身に着ける。これがあれば体の不調は取り除けるが、心労までは癒せない。


「その、今すぐにとはいかないが……きちんと金貨は用意するから安心してくれ」

「それはどうも」


 なんとなく居心地が悪い。二人の間にはギクシャクとした空気が流れていた。


「リーシャ、隣に行ってもいいか?」

「……どうぞ」


 リーシャの許可を得るとオスカーは寝台へ上がりリーシャの隣に腰を掛けた。


「……」

「……」

「何ですか?」

「あ、い、いや……リーシャ、その……」

「……気にしなくて良いですよ」


 言いよどむオスカーに痺れを切らしたのか、リーシャは横たえていた上半身を起こしてオスカーに言った。


「ダンスの事、気にしているのでしょう?」

「……本当は俺が前面に立つべきだった。リーシャに『婚約者』だなんて言わせてしまって、申し訳ない」


 大衆の面前で「婚約者」だと宣言してしまっては、もうどうにも取り繕う事は出来ない。リーシャが自らの意思で宣言した。どういう理由であれ、あの場に居た者たちの目にはそう映る。


「私は『婚約者になる』仕事を請け負ったのです。婚約者が婚約者と言って何が悪いんですか」

「それもそうだが」


 「そういう事ではない」と言いたげなオスカーにリーシャは「それに」と付け加える。


「皇帝陛下は私にのだと思いますよ」

「……どういう事だ?」

「大勢の前で跪き、ダンスを誘う大国の皇帝と異邦の令嬢。まるで舞台を見ているようだと思いませんでしたか?」

「……ああ、そうか。俺が感じた違和感はそれだったのか」


 リーシャの言葉がすとんと腑に落ちた。ヴィクトールとリーシャが話している時に感じた疎外感、まるで目の前に見えない幕があるかのような隔絶観。思い返せばそれは客席から舞台の上を眺めている感覚に似ていた。


「あのお方は物語の主役。その場に立つだけで周囲の目を引き、自分の望む方へと物語を展開させる才があるのです。私はあの時、皇帝の誘いを断るためにはっきりと『自らがオスカーの婚約者である』と宣言せざるを得ませんでした。皇帝陛下の誘いを断るにはそれしか理由が無かったからです。

 そして彼は、私がそうすると知っていた。絶対に自分の誘いには乗ってこない事を知っていながらわざとあんな目立つ方法で誘ったのです。何故なら、あの場に居る全員の目を引く必要があったから」

「何故?」

「インパクトがあるでしょう? パーティーの冒頭に大公妃に紹介された時よりも、広間の真ん中で皇帝の誘いを断り高らかに宣言をする。その方がずっと印象に残る」


 事実、それまで興味が無さそうにしていた令嬢や貴族達のリーシャを見る目が変わった。リーシャは図らずも表舞台へ引きずり出された形だ。


「リーシャには皇帝の考えていることが良く分かるんだな」

「どこか、似ているのかもしれません」


 性格と言うよりも思考か。物事に対する考え方や対処の仕方。目的を達成するための道筋の立て方が似ている。だから皇帝の言葉にどんな意味が含まれていてどうしたいのか推測しやすい。


「だからこそ、彼は私を側に置きたいのでしょう。私も仕事仲間としては気が合うような気はしますし」

「……」

「何か?」

「いや、なんというか……」


 リーシャと皇帝の間にはオスカーが立ち入ることのできない絆の様なものがある。リーシャが魔道具や魔法に関して「悪い事」を考えている時、恐らく頼りになるのはオスカーでは無くヴィクトールの方だ。二人の間には「悪友」のような絆が生まれつつある。

 それがなんとも歯がゆくて、しかし「止めてくれ」とも言えずにオスカーはやきもきしていた。


「……妬いているんですか?」

「……」

「さっきも言ったでしょう。皇帝陛下は私にああ言わせたかったと。本当に下心があるならば何故私に『オスカーの婚約者である』と宣言させたんですか。前にもはっきりとお断りしましたし、オスカーが心配する必要はありませんよ」

「それはそうだが……」


 歯切れが悪いオスカーにリーシャは首を傾げる。


(私がここまで言っているのに、何故そんなに不安がるんだろう)


 金銭を交えた契約とはいえ、リーシャはオスカーの「婚約者」である事には変わりない。それに加えて大衆の前で皇帝を振り払い「婚約者」であると宣言までした。そこまでしたのに何故、オスカーはこんなにも自身無さげにしているのか。

 皇帝、ヴィクトール・ウィナーの存在がそんなにも大きいのだろうか。確かに、リーシャを二度も口説いた男だ。そんな男と親し気にしていたら不安になるかもしれない。


(本当にそれだけ?)


 咄嗟にリーシャを庇えなかったから自信を無くした? それとも自分が見ていない所でヴィクトールに何か言われでもしたのか。


(ヴィクトールに言われた事。彼はあの時、何を言っていた?)


 パーティーの記憶を辿る。


『君は彼に首輪をつけているようだが、彼は? 記名もせずに自分の物だと主張しても信頼性が無いとは思わないかい』


(ああ、そうか)


 リーシャは自らの左手、何も嵌っていない薬指をなぞった。


(そういうことか)


 そしてオスカーの指に嵌っている翡翠の指輪に目を落とす。もしかしたら、オスカーが気にしているのはこれかもしれない。オスカーの国の習慣にのっとれば、確かにリーシャは今「空席」状態なのだ。男は「既婚」を示していながら女は「未婚」状態である。恥をかくのはリーシャの方だ。


「そんなに心配なら」


 リーシャは俯くオスカーに強い口調で言った。


「そんなに心配なら証を下さい」


 そう言ってオスカーの指に嵌っている翡翠の指輪をなぞる。


「そうすれば悪い虫も寄ってこないでしょう」

「……」


 オスカーは少しの間ぽかんとしていたが、すぐに顔を赤くした。そして思わずリーシャを抱き寄せ、力いっぱい抱きしめた。


「リーシャ、すまない」

「何で謝るんですか?」

「……そうだな、ありがとう。指輪は早めに調達しよう」

「翡翠の指輪は高いですよ。覚悟して下さいね」


 リーシャの言葉はなんてことはない、事実そのままの意味だったが、オスカーは別の意味に捉えたらしく「分かっている」と嬉しそうに頷いた。

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