忠告

「リーシャ様……素敵! ねぇ、アイリス様もそう思いませんこと?」


 一人の令嬢がうっとりとした顔でアイリスに囁く。


「そ、そんなこと……」

「リーシャ様はアイリス様の親戚になられるのですよね? 私にもご紹介して下さいな!」

「……仕方ありませんわね」


 そう言いつつもアイリスの目はオスカーでは無くリーシャの姿を追っていた。


(まるで乙女小説に出てくる王子様のようでしたわ)


 王城の広間で皇帝の誘いを毅然とした態度で断りオスカーに手を差し伸べるその姿はまさに「絵本の中の王子様」そのもので、年頃の少女たちに鮮烈な衝撃を与えるには十分だった。


「リ、リーシャ様! 私と少しお話を……」


 ダンスを終えたリーシャの周りにはたちまち乙女たちが群がった。皆リーシャと話を、あわよくばダンスを踊りたいと思っているのだ。

 オスカーはそんなリーシャを置いて一人フラフラと外のテラスへ向かった。青白い顔をして足元も覚束ない様子である。


(俺はなんて不甲斐ない男なんだ)


 ヴィクトールを前に言葉を発する事も、咄嗟に動く事も出来なかった。威圧された訳ではない。ヴィクトールとリーシャの間には自分が入り込む隙などなかったのだ。

 そこに居るだけで周囲の目を引き自分の世界を作り上げる存在感。まるでリーシャとオスカーの間に見えない幕を引かれたような、そんな感覚だった。


「駄目だな、俺は」


 夜風に当たりながら誰にも聞こえないよう小さな声で呟く。


「そうだね」


 その独り言を肯定する声が聞こえた。声がした方へオスカーが振り向くと闇夜でも目立つ赤い衣装が目に入る。


「ヴィクトール」

「リーシャを置き去りにしてこんな所に居るとは感心しないな」


 大勢の令嬢に囲まれるリーシャに目をやりながらヴィクトールは手に持っていた酒をあおる。


「彼女の気持ちに応える気が無いのなら、いっそのことその指輪を外してしまえばいい」

「なんだと?」

「君はリーシャに甘えてばかりだね。いつまでも彼女が自分の側に居てくれると信じて疑っていないのだろう。だから今も彼女の指は空いたままなのだ」

「……!」

「彼女は我が国にとって、そして私にとって必要な人材だ。いつまでもそうしているというのならば、遠慮なく事としよう」


 「それでは」と言ってヴィクトールは去って行く。反論する事が出来ないまま、オスカーはただ呆然と小さくなっていくヴィクトールの後ろ姿を眺めていた。


『リーシャに甘えてばかりだ』


 というヴィクトールの言葉がオスカーに刺さる。


(全く、その通りだな)


 リーシャと出会ったばかりの頃、イオニアの宮殿を脅かす魔法師を退けた後もリーシャと共に居られる事を何故か信じて疑わなかった。リーシャが居なくなることなど無い。ずっと一緒に居るものだと、無意識にそう思い込んでいたのだ。


(今だってそうだ。リーシャから貰った指輪を嵌め、周囲に『婚約者』だとの言われ、正直満更でもない気持ちだった。己の好意を伝える訳でもなく、母上の手紙を言い訳にして『婚約者』という役割をリーシャに押し付けて……)


 リーシャの厚意に甘んじていた。リーシャなら受け入れてくれるだろう。そう安易に考えていた部分もあったかもしれない。そして、そうなってくれればよいと思う下心も。


(リーシャに嫌な思いをさせているかもしれない)


 だからこそ、「契約」という形に収めたのかもしれない……とオスカーは不安になった。


(一度、きちんと話をしなければ)


 オスカーは不安をかき消すように酒を一杯ぐいっと飲み干すと、令嬢達に囲まれているリーシャの方へと歩んで行った。



「こちらが母の遺品です」


 人払いをした大公妃の居室にラベンダーの私物が並べられている。どれも手入れが施されており、随分前に亡くなった人物の持ち物のようには見えない。


「ありがとうございます。こちらは全て、私共で引き取らせて頂きます」


 大公妃はそう言うとヴィクトールに頭を下げた。


「あと、こちらも」


 ヴィクトールの後ろに控えていた侍女が木製の書簡入れを差し出す。蓋を開けると中には未開封の封書が何通も入っていた。


「これは……」

「母の実家から送られてきた手紙です。母は一度も封を開けなかったようですが」

「一体どうして」


 大公妃は困惑しながらも封書を一通一通にとって確認する。それはどれもラベンダーの母から送られた物のようだった。


「母の人生は決して『幸せ』とは言えないものでした。父は好色家で飽きやすい人でしたから、そんな人間の愛妾になったらどうなるかはお分かりでしょう。

 母が私を身ごもってからは一度も、父は離宮へやってこなかったようです。それは即ち、母が嫁いでから死ぬまで、そのほとんどを一人で過ごしたことを意味します。愛人を何人か囲い弟も出来ましたが、それでも母の孤独は癒せませんでした」


 ラベンダーは終生息子であるヴィクトールに愛情を注ぐことは無かった。ヴィクトールにやウィリアムの世話を乳母に任せ、いつも一人、温室に籠って花の世話をしていた。

 寂しさを紛らわせるために男を囲った事もあったがそれも長続きはせず、一人で過ごす時間の方が多かったとヴィクトールは語る。


「この国では女性が継承権を持つと伺いました。先代の大公妃の娘である貴女もその一人だ。ではそこからあぶれてしまった人間はどうなるのか、考えたことはありますか」

「……異国へ嫁いで我が国との橋渡しになるのも立派な勤めです」

「母は『偉大なる帝国』とフロリア公国の繋がりを作るための道具だと」

「否定はしません」


 大公妃は身動き一つせずに言い切った。


「我が国は、皇帝陛下の治める地のような広大な土地もなければ他国を退けるに足る武力も持ちません。ある物と言えば先祖代々受け継いできた薬草と、それを育て、加工するための技術だけ。

 少ない武器で他国と渡り合うためには、その知識や技術を持った『人』をも道具として活かさなければならないのです」

「確かに、母が持つ薬草栽培の知識は見事でした。ですが、ただの愛妾として迎え入れられた母にそれを活かす機会は訪れなかった。離宮の温室でただ、草花を育てるだけの毎日。それが貴国では『武器』になりえるのですか?」


 言葉に詰まった大公妃にヴィクトールは言った。


「オスカーの母であるローザも同じようにイオニアに嫁がされたのでしょうね」


 大公妃はハッとしたような顔をしてうつむく。例え姉妹であっても、大公妃になれなかった時点でほとんどの大公女は国を出なければならない。残れたとしても貴族や力のある商人へ降嫁するのがほとんどだった。


「恐らく、母のように『消息がつかめない』血縁者が多くいらっしゃるのでは。あなた方はそんな行方不明者に気を留めもしない。母が今どこで何をしているのかさえ知ろうともしなかったのですから」

「……」


 部屋の中に静寂が訪れる。大公妃は言い訳をしようとはしなかった。事実、ラベンダーの存在も、ラベンダーが属していた「家」がどこで何をしているのかも忘れていたからだ。

 思い返せば、城を出ていった親族の中で特に近い等親の親族以外は「何をしているのか」分からない者も多い。ローザのような異国の王族へ嫁いだ者とは「交易」という形で交流があるが、他国の貴族や商家へ降嫁した者の中には消息不明者も多々居る。

 そしてそれらの者は大抵気に留められる事も無く忘れ去られていくのだ。


「要は体のいい口減らしだ」


 土地を分け与える余裕のない狭い国土。継承権を持たない男は外へ出し、不要な女は他所へ嫁がせる事によって領地に纏わる揉め事が極力起こらないようにする。他国から領地を奪う武力も無く、これ以上領土の拡張を見込めない以上、今ある土地でやりくりするためには「増やさないこと」が大事なのだと考えたのだ。

 国内の貴族の数もたかが知れている。嫁がせる事の出来る「枠」も限られている故、国を出たり平民に嫁ぐ娘も少なくは無い。そしてそれはフロリア公国では当たり前の事で、今更彼女たちの行く末を気にしたり案じたりする者は居なかったのだ。


「『偉大なる帝国』のように限りない国土があったならば、全ての子女を養う事も出来るでしょう。ですが、ご存知の通り、我が国は狭い。狭い土地を奪い合うような無駄な争いを避けるための習わしです。どうかご理解ください」


 大公妃はヴィクトールに深く頭を下げた。


「もしも、リーシャに母の様な思いをさせるようなことがあったら、その時はお分かりですね?」


 ヴィクトールの冷たい声に大公妃は思わず顔を上げる。


「そのようなことは……」

「もしも、の話です」


 ヴィクトールは柔らかな笑みを浮かべると「では、私はこれで」と大公妃の私室を後にした。


「ロウチェ、帰路についてだけど」

「はい、陛下」


 客用の居室に戻る途中、ヴィクトールの後ろを歩いている侍女に帰路のルートを変えるよう指示を出す。侍女は「かしこまりました」と言うと段取りをつけるために飛行船を係留してある仮設飛行場へと駆けて行った。


(一年中花が咲き誇る『花の国』か)


 庭園を彩る花々の前で足を止める。


(季節に合わせた花の植え替え。では、抜かれた花は一体どこへ行くのだろう……などとは考えもしないのだろう)


 庭の片隅に隠すように積み上げられた袋を見てヴィクトールは短いため息をつく。この国にとっては花も人も国を反映させるための道具に過ぎない。そうして今まで国を維持し続けてきたのだから、決して間違った選択ではないのだろう。だが、ラベンダーの事を考えると「息子として」は何ともやりきれない気持ちになった。

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