招かれざる客

『偉大なる帝国』の皇帝陛下ウィナー帝から急に手紙が来たのよ」


 大公妃の私室でハーブティーを飲みながら歓談をする。リーシャが突然訪問したにもかかわらず、大公妃は快く迎え入れてくれた。


「手紙……ですか?」

「ええ」


 大公妃は机の引き出しから一通の手紙を取り出してリーシャに見せる。


「驚いたわ。まさか『偉大なる帝国』の皇帝陛下がラベンダーの子だったなんて」


 手紙には簡単な挨拶と、ヴィクトールがフロリア公国から偉大なる帝国へ嫁いだラベンダーの息子であるという事、随分前にラベンダーが病でこの世を去った事、先代皇帝の死去に伴い自分が皇帝の地位を継いだ事等が綴られていた。


「リーシャさんは皇帝陛下とお知り合いなのよね?」

「知り合いと呼べるほど親しくはありませんが、以前一度だけ謁見の機会を賜った事がございます」

「ラベンダーの遺品の引き渡しと、リーシャさんの歓迎会なら是非参加したいと仰っているの」

「遺品の引き渡しですか?」

「ええ。離宮を処分するから、彼女の遺品で手元に置きたい物があれば引き取って欲しいと」


 離宮とは、リーシャが招かれたあの離宮の事だろうか。閑静な場所にある良い離宮だった。処分してしまうのは勿体ないくらいだ。


(なるほど、そういう口実か)


 確かにそれなら断る事は出来ない。彼はれっきとした大公妃の血縁者だからだ。


「フロリア公国では大公妃が婿を取って大公を立てるのが伝統でね、大公妃の直系の子のみが実質的な継承権を持っているの。土地もそんなにある国ではないから、継承権を持たない女子は異国へ嫁ぐ場合がほとんどで、そうして薬草や生花の貿易ルートを拡大しているのよ」

「女子は……ということは、男子は?」

「既に土地を所有している貴族の元や国外で婿入りしたり、独り立ちをして商いを始めたり。でも不思議と、男子があまり生まれない一族なの」

「そうなのですね」

「ラベンダーの一族はおばあ様が大公妃になられた時に城を出たからそれ以来あまり交流が無くて……。年に数回、社交の場で顔を見る程度だったわ。だから彼女が偉大なる帝国に嫁いでいたなんて知らなかったの」


(「嫁ぐ」と言っても正室ではなく側室だ。……愛妾と言っても良いかもしれない。報せが無くても仕方ないか)


 ラベンダーが偉大なる帝国で受けた扱いは良いと言い切れるものでは無かった。ヴィクトールが生まれてからは離宮で一人、皇帝の渡りも無いまま過ごしていたのを考えると「幸せ」だったとは言えまい。それ故に、母国へ便りを送る事も無かったのかもしれない。


「実は、皇帝陛下からこのような物を賜りました」


 リーシャは大公妃にヴィクトールから贈られたラベンダー翡翠のかんざしを見せた。


「これは……」


 大公妃はかんざしを手に取ると驚きを含んだ声を漏らす。


「この意匠、恐らくラベンダーが作った物だと思うわ。娘が出来たら渡そうと思っていたのでしょう」

「やはりそうだったのですね。皇帝陛下の離宮でお世話になった際に、ラベンダー様が使っていらっしゃったと思われる部屋に入る機会がありました。その鏡台の引き出しに大事そうにしまわれていたのです」

「そう。母から娘へかんざしを贈る。この国ではとても大事にされている風習だから……。でも、困ったわね。皇帝陛下は意味を知っていて貴女にかんざしを贈ったのかしら。ラベンダーのかんざしを女性に贈るという事は求婚に等しい意味を持つのに」

「恐らく知っていらっしゃったと思います。求婚されましたから」

「え?」


 リーシャの口から何気なく発せられた言葉に大公妃は目を丸くする。


「勿論断りましたが」

「そうよね? でも、それならリーシャさんの装いを少し考えなければならないわね」


 大公妃は頭を悩ませているようだった。まさかリーシャに求婚をしてきた相手が居たとは思ってもみなかったのだ。しかも、それが今勢いのある「偉大なる帝国」の皇帝とは。


(誰の目から見ても『相手がいる』事が分かるような装いにしないと……)


「分かったわ。リーシャさん、私に任せて」


 オスカーの叔母として、例え相手が身内であっても引く事は出来ない。オスカーの相手を取られてはなるまいと大公妃は心の内側で熱く燃え上がっていた。



 その日の夜、城の大広間ではリーシャとオスカーの歓迎パーティーが催されていた。「歓迎パーティー」と銘を打っているが、実質的には「オスカーの婚約者を迎えたお披露目会」である。

 会場内は招待状を受け取った周辺各国の要人で賑わっている。魔法中心の世界になったとはいえ、まだ武名を轟かせているイオニアとの繋がりを持ちたいと思っている国は多いのだ。

 リーシャとオスカーの紹介を終えた後、二人の周囲には人だかりが出来ていた。オスカーはリーシャを「婚約者」として紹介し、リーシャはそれに見合う対応をする。


(以前から感じていたが、リーシャの振る舞いはそこら辺のご令嬢方よりもずっと美しいな)


 人だかりの向こうでこちらを見ながら黄色い声を上げている貴族の令嬢達を見ながらオスカーは思う。


『はしたない』


 オスカーに飛びついたアイリスを見てリーシャが言った一言を思い出した。


(こういった立ち振る舞いは……確かリーシャのおばあ様に教わったと言っていたな。一体どんなお方なのだろうか)


 リーシャの祖母、ひいては家族について、思えばあまりリーシャの口から聞いたことがなかった。祖母の遺品を探している事や宝石修復師の家系である事は知っていても、家族の名前も家族構成も知らない。

 ただ、ふとした時に見せる所作や振る舞い方からどう考えても「ただの庶民の生まれ」だとは考えられなかった。


(だが、無理に聞くのも良くは無い。リーシャが話してくれるのを待つよりほかはあるまい)


 何か話したくはない事情があるのかもしれない。ならばそれを無理に聞き出す必要はない。終わりの見えぬ先の中で、いつか話してくれる機会があれば……。

 自らの傍らで招待客の相手をするリーシャを眺めながらオスカーはそんなことを考えていた。


「強運皇帝だ」


 賑わっていた広間が一瞬静まり返ったかと思うと、そんな囁きが聞こえた。リーシャとオスカーを囲んでいた人垣がさっと捌けてその向こうに侍女を連れた真っ赤な礼服を着た男の姿が見える。


「お久しぶりです。皇帝陛下」


 リーシャが挨拶をすると男はにこりと微笑んだ。


「こんばんは。今日はお招き頂きありがとう」

「ご自分から手紙を寄越したと伺いましたが」

「君の顔が見たくてね。……と言うのは口実で、一度この国には来たいと思っていたんだよ。少し用があってね」


 ヴィクトールはリーシャの手を取りそこに唇を落とす。周囲から「きゃー」という黄色い声があがった。


「用というのはお母様の事でしょうか」

「そうだよ。父が作った無駄な離宮を整理する事にしてね。その一環で私の離宮も手放す事にしたんだ。母の遺品も一緒に処分するから、必要な物があればこちらで引き取ってもらえればと思って」

「処分……」


 手紙によるとラベンダーは随分前に亡くなっている。だが、リーシャが泊ったラベンダーの部屋は使われなくなって久しい部屋には思えない程手入れが行き届いていた。


「あんなに大切にされていたのに、宜しいのですか?」


 リーシャが言うとヴィクトールは少し目を見開いて、少しの沈黙の後「もう必要無い物だからね」と言った。


「その髪飾り、素敵だね」


 話題を切り替えるようにヴィクトールはリーシャの髪に挿してある薔薇のかんざしに目をやる。


「オスカーのお母様から頂いた物です。ドレスもそれに合わせて頂いたんですよ。素敵でしょう?」


 髪を結い上げて薔薇のかんざしを挿し、それに合うように見繕った赤と黒のドレス。薔薇と同じ赤を基調としながらも随所に黒色が取り入れられ、オスカーが身に纏う黒い礼装と並んでも不自然ではないよう考えられた組み合わせだ。


「なるほど。良く似合っているよ。私が贈った髪飾りは気に入らなかったかな」

「ラベンダー翡翠のかんざし。石も彫刻もとても美しくて好きですよ。でも、のはこちらなので」

「そうか。それは仕方ないね。今度また別の贈り物でもするとしよう」


 ヴィクトールは全く残念そうに見えない顔で「残念だな」と呟いた。


「折角の再会だ。ダンスでも如何かな」

「ダンス?」


 周囲の野次馬は興味深々にリーシャとヴィクトールを見つめている。会場は二人の会話を聞き洩らすまいと静まり返っていた。


「ああ。どうか私と一曲踊ってはくれないだろうか」


 ヴィクトールは片膝をつき、リーシャに手を差し伸べる。しんと静まり返った広間にヴィクトールの声が良く響いた。


(やられた)


 リーシャは跪くヴィクトールに悟られないよう心の中で悪態をついた。


(隣に「婚約者」が居る女性にこんな大勢の前で堂々とダンスを申し込むなんて)


 ちらりとオスカーの方を見ると真っ青な顔をして固まっている。相手は一国の、しかも先日戦争に勝利して乗りに乗っている大国の皇帝だ。ここでどんな態度を取るのか、その取捨選択を迫られている事にリーシャは嫌気がさした。


「申し訳ありません。以前にも申し上げた通り、私には既に予約済みの相手がおりますので」

「そうだね。けれど、彼はどうだろう」


 ヴィクトールは暗にリーシャの指に翡翠の指輪は嵌っていない事を指摘する。


「君は彼に首輪をつけているようだが、彼は? 記名もせずに自分の物だと主張しても信頼性が無いとは思わないかい」


 リーシャはヴィクトールの前に一歩踏み出るとハッキリとした声で言った。


「私はオスカーの『婚約者』です。婚約とは契約であり、我々は互いに納得し、署名し、契約を成し遂げました。私が彼に課しているのは首輪では無くです。彼だっていずれはそれを何倍にも返してくれることでしょう。

 貴方がそうして親愛の眼差しを向けて下さることは嬉しい。けれど、それに友情以外の形で答える術を私は知りません。どうかご容赦ください」


 リーシャはヴィクトールに頭を下げるとくるりとオスカーの方へ向き変えるとすっと手を差し伸べた。


「オスカー、どうか私と一曲踊っては頂けませんか?」


 真っ直ぐオスカーの目を見つめるリーシャに令嬢方が息を呑むのが分かる。完全に空気に飲まれて硬直していたオスカーは少し間を置いた後に動揺を周囲に悟られぬよう澄ました顔でリーシャの前に片膝をついてその手を取った。


「喜んで」


 その後、しばらくした後に「男装の麗人と令嬢の恋」を題材とした乙女小説が貴族令嬢の間で流行ったのは言うまでもない。優雅に踊る二人の姿を乙女たちは憧れの眼差しで見つめていた。

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