フロリア公国
遡る事数週間前。次に受ける依頼を選ぶために依頼書と地図を広げていたリーシャはオスカーからある提案を受けた。
「フロリア公国ですか?」
「そうだ。ここからそう遠くない場所にあるのだが」
そう言ってオスカーが差したのは現在地から少し西へ行った場所にある「フロリア公国」だ。
「実はフロリア公国は母上の生まれ故郷なんだ。今は叔父上が大公を務めていらっしゃる。折角近くに寄ったのだから挨拶をと思うのだが……良いだろうか」
「構いませんよ」
「ありがとう」
オスカーの顔が嬉しそうに綻ぶ。
(親類に会えるんだから嬉しいんだろうな。実家があるイオニアに帰るのはしばらく先になる。血のつながった肉親に会える機会があるならば会わせてあげたい)
リーシャは旅に出て以来母国へ帰った事は一度もない。遠い土地へ来てしまい帰るのが困難だというのもあるが、それ以上に「時間が勿体ない」という焦りがあった。祖母の遺品は時間が経てば経つほど人の手を渡り、方々へ散ってしまうのだ。
実家には両親と妹が住んでいる。……はずである。最初の頃は組合を通じて便りを出していたが、今はそれも無くなってしまった。家族が健在かどうかも分からないし、知りたいという気持ちもすっかり薄れてしまった。
リーシャが実家を離れている間にも両親と妹は歳を取り、彼らの人生は進んで行く。実家を出た瞬間から、家族とは別の人生を歩んでいるのだ。そう考えないと、旅の途中で家族の訃報を聞いた時に堪えられないような気がしていた。
(旅は孤独な方が良い。そう思っていたのに)
地図を眺めながら楽しそうにしているオスカーを見てリーシャは「何でこうなったかな」と小さな声で呟いた。
◆
城門をくぐり城の中へ入ると、あちらこちらに備えられた花壇や鉢植えが目に入る。「花の国」と呼ばれるこの国では花を愛でる習慣があり、それは王族とて例外ではないのだ。
「花の国の名にふさわしい国ですね」
城へ来る途中に通った大通りでも、店先に飾られた花飾りや鉢植えが目を引いた。それだけではない。街に入る前、農家の軒先にある大きな花壇や満開の花が咲く大きな花畑など、とにかくどこを見渡しても花がある。
「リーシャの好きな花……何と言ったか。あれもあるかもしれないぞ」
「桜ですか? 流石に無いとは思いますけど」
故郷から遠く離れた西の国だ。それでも「もしかしたら」と思える程、色とりどりの花々で溢れていた。
「こちらへどうぞ」
城へ到着すると迎えの兵士や侍女が二人を待っていた。
「お荷物をお預かりします」
「いえ、壊れ物が入っているので自分で運びます。お心遣いありがとうございます」
大公の甥であるオスカーが居るのだ。貴賓待遇なのは仕方ない。なるべく角が立たないように侍女の申し出を断る。「仕事道具」を他人に預けるのは気が進まないのだ。
「部屋の準備が整っておりますので、まずはゆっくりとお休みになって下さい」
大きな来客用の部屋へ通され、一通り部屋の説明をすると侍女達は部屋を去って行った。「長旅で疲れているだろう」との配慮から、まずは休息を取るようにとの事らしい。
大きな天幕付きのベッドが中央に据えられた広い部屋で、チューリップを模した意匠が壁紙や鏡台、寝台に至るまでありとあらゆる物に使われている。
ベッドの枕元にはピンク色の薄い布で作られたポプリが添えられており、窓から入る風がハーブの良い香りを運んでいた。
「オスカー、見て下さい」
荷物を置いて一息ついたオスカーをリーシャが呼び寄せる。日の光が良く入る大きな窓、その先に繋がるテラスに出ると色とりどりの花が咲き誇る立派な庭園が広がっていた。
「これは見事だな」
あまりの絶景にそんな安直な感想しか出てこない。季節に応じて花の植え替えをしているのだろう。庭の隅から隅まで良く手入れされた花が植わっている。
「眩しい位です」
太陽の光を浴びて輝く花々の色が目に刺さる。鮮やかな光景にリーシャは目を細めた。
(この光景、どこかで)
そうだ。ヴィクトールの離宮で見た庭園も、ここまでとは行かないが立派な物だった。そして何より通された部屋の内装が似ている。花を模した意匠が随所に散りばめられている所や、ハーブを使ったポプリが枕元に置いてある所……。
(ん? ベッド?)
リーシャは部屋の中央に鎮座する大きなベッドを凝視する。おかしい。二人一緒の部屋へ通された上に寝台が一つしかない。
(そもそも何故同室?)
夫婦でも恋人でもない二人を同室へ泊めようなどと、誰かの入れ知恵がなければそうはなるまい。となればその原因として思い浮かぶのはオスカーの母である王妃ただ一人だ。
「……」
オスカーはまだ己が置かれた状況に気づいていないらしい。
(まぁ、最悪寝袋でも広げて寝れば良いか)
野営の道具ならば幾らでもある。物事は柔軟に、臨機応変に対応するのが一番だ。
「さて、身支度しますか」
今回は急な訪問では無く事前に連絡を取り「招待」された形だ。大公夫妻やその親類に謁見するのに着の身着のままという訳には行くまい。宝石修復師という仕事柄、このような機会は今までにも度々あった。そのための衣装や装飾品も困らない程度には用意してある。
「オスカー、この国には貴い身分の方しか身に着けてはいけない色やモチーフはありますか?」
「さて……。すまない、俺もこの国に幼い頃に一度だけ来た事がある程度で詳しくは分からないんだ」
「そうですか。では、侍女に聞いた方が良いかもしれませんね」
大公に何か失礼があってはいけない。使ってはいけない色やモチーフ、素材は国によって異なる。「知らなかった」では済まされない時もあるのだ。
「お呼びでしょうか」
テーブルの上に置いてあるベルを鳴らすと侍女がやってきた。
「大公殿下に謁見する際のドレスを選びたいのですが、フロリア公国には禁忌とされている色やモチーフ、素材などはありますか? 失礼があってはいけないので、あれば教えて頂きたくて」
侍女はリーシャの質問に一瞬目を見開くと、穏やかな声で「我が国にそのようなしきたりはありません」と答えた。
「ご存知かもしれませんが、大公殿下の御一族にはそれぞれ紋章に使われている『花』がございます。特に女性の皆様はご自身の『花』に纏わる色を大切になさっており、市井の民の服にも多く取り入れられているのです」
「それは素敵な風習ですね」
「はい。大公女殿下のお召し物は皆の憧れですから、新しい色のお召し物が発表されると皆こぞって真似をするのです」
(国民に愛される、花のような一族なんだな)
ここまで穏やかで暖かな国は珍しい。国の象徴である「花」のように大公一族は国民に深く愛されているようだ。
「宜しければ何着かこちらでご用意いたしましょうか?」
「そうですね……。私が持参したドレスもあるので、そちらも確認して頂いても宜しいですか?」
「承知致しました。では、リーシャ様のドレスと、その他に何着かお似合いになりそうな物を見繕ってその中から決めましょう。私共も身支度のお手伝いをさせて頂きますね」
侍女が手を叩くと部屋の中に何人か侍女が入って来た。
「奥様の支度をさせて頂くので旦那様はこちらへどうぞ」
着替えの邪魔になるからとオスカーを別室へ移動させると侍女はリーシャを浴室へと案内する。そこには既にハーブが入った袋が浮かんだ浴槽と良い香りのする石鹸や洗髪剤が準備されていた。
「えっと……」
戸惑うリーシャに侍女はにっこりと微笑みかける。
「私共に全てお任せくださいませ」
「……はい」
こうなってはもうどうしようもない。後は野となれ山となれ。浴室で待つ侍女たちにリーシャは身を委ねることにした。
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