鉱石温泉

鉱石温泉

 山間にある「鉱石温泉」は世界に名を馳せる一大温泉地である。煙突からもくもくと立ち上る湯気が、そこが「温泉地」であることを実感させてくれる。谷に沿うようにして発展した温泉街は年々活気を増しており、世界中から客が訪れる観光地でもあった。


「ここに来られるとは思ってもいませんでした」


 立ち並ぶ温泉宿や入浴施設に目を輝かせているリーシャにオスカーが尋ねる。


「温泉自体はさほど珍しいものでも無いような気がするのだが……。何故ここの温泉はこんなに人気なんだ?」

「それはですね、ではないからです」

「……?」


 普通の温泉。リーシャの口から出て来た不可解な言葉にオスカーは首を傾げる。普通ではない温泉とは一体何なのか。その答えが分かるというのでリーシャに連れられて一軒のカフェを訪れた。


「普通の喫茶店のように見えるが、ここで理由が分かるのか?」

「はい。この温泉地には温泉とは別にある名物がありまして。それを見て頂ければ仕組みが分かるかと」


(仕組み。ということは何か仕掛けを使った物なのだろうか)


 メニューを指さし何かを注文するとワクワクとした様子で店内を眺める。そんなリーシャを観察しながらオスカーはまだ見ぬ「名物」に思いを馳せた。


(リーシャがこんなに楽しそうな顔をするのだ。きっとあっと驚くような物が出てくるに違いない)


 暫くすると給仕が水差しとティーカップを持ってきた。何処にでもありそうなティーカップと少し変わった模様モザイクタイルの水差しだ。


「こちらで注いでも大丈夫ですか?」


 リーシャが確認を取ると給仕は「はい」と言って下がって行く。どうやら給仕に注いでもらうまでがサービスだったようだ。


「これは?」


 水差しの中には何の変哲もないただの水が入っている。水のサービスだろうか。そんなことを考えているとリーシャ水差しを手に取った。


「見ていてください」


 水差しが淡い光を帯び始めた。見覚えのある光だ。そう、リーシャが修復をする時の様な、魔力を注いだ時の光。水差しの光はじわりと滲むように中に入っている水に浸透し、水そのものも光を帯び始める。光がまんべんなく浸透したのを確認すると、リーシャは光る水をティーカップに注いだ。


「おお……」


 不思議な光景だった。ティーカップに注がれた水は変わらず光を保っている。


「これは一体……」

「鉱石湯です」

「鉱石……なんだって?」

「鉱石を通して魔力を浸透させた水や湯のことを指す言葉です。人工的な鉱泉のようなものですよ。この水差しは鉱石で作られていて、それ自体が魔道具なんです」


 そう言うとリーシャは先ほどまで眺めていたメニューをオスカーに見せた。そこには「健康セット」「疲労回復セット」「ぽかぽかセット」等の文言が並んでいる。


「私が頼んだのは『疲労回復セット』で、飲むと疲労が軽減される効果があるそうです」

「ポーションと似たようなものなのだろうか」

「それがどうやら直接薬を経口摂取するポーションよりは効き目が弱いみたいです。魔力が抜けると効果が無くなるので日持ちもしないようですし、その場で作ってその場で飲むのが基本的な使い方でしょうね。

 魔力が無ければ使えないことを考えると魔力や体力を消耗している時には使いにくそうですし、魔力を込めた水だからと言って飲めば魔力を回復する訳ではないみたいです」


 あくまでも「温泉」と同じような効能であり、薬と言うよりは健康食品に近いものだとリーシャは述べた。


「とはいえ、旅の途中にあれば便利そうなのでいくつか調達したいと思っているのです」

「確かに野営の際にあれば便利かもしれないな」

「あとでお店を巡ってみましょう」


 そう言ってリーシャは鉱石湯を啜る。味気ない。魔力が籠っているだけでただの水だからだ。勿論、水だけでは無く果実水や茶、それこそ薬草で作った薬草水や薬草茶など、鉱石湯に使う飲み物には多種多様なバリエーションがある。

 今回はオスカーに理解してもらいやすくするためにあえて無色透明な水を選択したのだが……


(あまりにも味気ない。魔力って味がしないんだな)


 「自分の魔力を飲む」という経験は初めてだったが、存外普通の味だったので拍子抜けした。ほんのりと温かいのは水が魔法を帯びているからだろう。だがそれも時間が立てば抜けてしまう。魔力そのものを飲んでいるというよりは魔力を接着剤にして魔法を水に固着させていると言った方が良いだろう。そう考えると厳密には「魔力を飲んでいる」訳ではないのかもしれない。


(道中で使う時は味のついた飲み物にしよう)


 水差しに大量に残る鉱石湯を見てリーシャはそう決心したのだった。



「さて、宿に荷物を預けて温泉巡りでもしましょうか」


 カフェを後にしたリーシャとオスカーは宝石修復師組合の保養所へ向かった。鉱石を使った湯船や器を売りにしている土地なだけあり、鉱石温泉には宝石修復師組合の独立した支部がある。土産物の修理から湯船の整備まで一手に請け負っており、鉱石専門の修復師も数多く在籍しているという。


 そんな土地柄なので修復師のための保養所が整備されており、立派な旅館に格安で滞在できるとして修復師達の旅行先として人気なのだ。


「これまた立派な宿だな」


 歴史のありそうな三階建ての木造建築を眺めながらオスカーが感心する。


「昔から鉱石温泉と宝石修復師は切っても切れない関係ですから。日頃の感謝を込めて地元の方々が修復師のために作って下さったのだそうです。一度来てみたかったんですよね」


 リーシャは胸元から身分証のプレートを取り出して「修復師特権です」と自慢げに笑って見せた。勿論組合所属の護衛であるオスカーもその恩恵を受けることが出来る。修復師の他にも仕事の傷や疲れを癒しに訪れる護衛も多いようだ。


「部屋でご飯を頂けるようなので今回は一緒の部屋を取りましたよ」

「む……。分かった」


 「一緒の部屋」という甘い響きにオスカーはドキリとした。普段から野営や治安の悪い地域では同室に泊まっているとはいえ、やはり意中の女性と同じ部屋に寝るのは慣れないものである。

 受付を済ませて鍵を受け取り部屋へ向かう。


「玄関で靴を脱いでください」

「靴を? 何故だ」

「靴を脱いで寛ぐタイプの部屋なんです。土足厳禁ですよ」


 リーシャの忠告に従い玄関で靴を脱いで部屋へ上がる。部屋はリビングとベッドルームに分かれており、床にはふかふかのラグが敷かれていて座ってくつろげるようになっていた。

 リビングの真ん中には低い机が置いてあり、その上には近隣にある日帰り温泉のパンフレットが乗っている。


「この保養所にも良いお風呂が併設されているようですが、鉱石温泉の醍醐味と言えばやはり日帰り温泉ですよね」

「色々な宿の湯を楽しめると言っていたか」

「はい。受付で『温泉切符』を買えば一日入り放題みたいです」

「それはいいな。どんな温泉があるんだ?」


 日帰り温泉のパンフレットにはそれぞれの宿が提供する温泉の泉質や効能が写真付きで載っていた。


「大きな大浴場も魅力的ですが、こじんまりした宿のお風呂も良さそうですね」


 鉱石温泉の奥の方には大型の観光旅館がいくつか整備されており、何種類もの湯船がある大きな大浴場を売りにしている。宿の中にはそれぞれの湯船に効能の異なる鉱石湯を張って宿の中で湯巡りが出来るようにしている旅館もあるという。


 それとは対照的に鉱石温泉の中心部にある古い旅館は小さな湯船ながらも歴史のある昔ながらの鉱石湯を楽しめるとして愛好家の間では評判らしかった。


「これだけあると迷ってしまうな」


 パンフレットを眺めながらオスカーが唸る。


「入り放題なのですから、気になるお風呂には全部足を運んでみては?」

「それは欲張りすぎないか?」

「折角の機会ですし、欲張りな位が丁度良いのでは?」


 「私は全部入ります」と言うリーシャにオスカーは苦笑した。長めに取った滞在期間からもリーシャがどれだけ温泉に入るのを楽しみにしていたのかが伺える。「祖母の形見探し」という先の見えない旅の中で険しい顔をしがちなリーシャの緩んだ口元を見ると、なんだかオスカーまでもがホッとして嬉しくなってしまうような不思議な気持ちになった。


「そういえば、部屋で夕飯を食べられると言っていたか」

「はい。夕飯と朝食が付いているので。なので、夕方までには宿に戻って来なければなりません」

「時間を考えると今日は近場の湯にした方が良さそうだな」

「そうですね。遠方の温泉は明日にしましょう」


 もう昼時を過ぎていたので夕食の時間を考慮して近場の日帰り温泉へと向かう。購入した温泉切符を見せ、入浴が終わったら宿の部屋で待ち合わせすることを確認した後に二人はそれぞれ脱衣所へ向かった。


(温泉……いや、大浴場自体久しぶりだな)


 リーシャがこれほどまでに温泉を心待ちにしているのには訳があった。道中の宿や野営を含めて大きな湯舟に久しく浸かっていないのである。別に道中宿泊した宿に風呂釜が無かった訳ではない。宿自体に風呂が無い所もあるにはあったが、大体は部屋に風呂釜が付いていた。

 重要なのは大浴場が無かったということである。


(やっぱり大きなお風呂に浸かるのは別)


 浴場へ続く扉を開けると、湯気の向こうに内湯が見える。薬草で香りづけされた湯気を浴びた途端、リーシャの口角はにやりと上がった。

 さっさと洗い場で体を清めてから湯船に浸かる。


「あ~……」


 思わずそんな声が漏れた。


(最高~)


 ずっと探していた。こんなお風呂を。そう、旅先で現地の情報や風習を調べる度に「大浴場」を探し求めていたのだ。


(以前入ったのはいつだっけ。そう、確かまだ東方に居る頃の……)


 そんなことを考えながら肩まで湯に沈める。体が溶けるような、長い旅で凝り固まった疲れが一気に溶けだしていくような快感がリーシャを包み込んだ。

 至福という一言以外でこの気持ちをどう表現できようか。


(やっぱり欲しい)


 湯に浸かりながら考える。


(携帯型鉱石湯の魔道具……高くても良いから欲しい)


 こうして実際に浸かって一層その思いが強くなった。水差しも良いが、やはり本命はこれだ。湯船に入れるだけで鉱石湯を気軽に味わえるという「携帯型鉱石湯」は鉱石温泉の名物土産だ。


 何回か使える使い捨ての物から繰り返し使える高級品まで様々な種類が売られているが、リーシャが狙っているのは半永久的に使える超高級品である。

そこまで質の良い物は土産物店にはまず出回らない。使っている素材が鉱石ではなく少なくとも魔工宝石以上の宝石だからだ。


 しかし、どんなに高額であっても手に入れたい。それがあれば野営をしていたって鉱石湯を楽しめるのだ。「野営に快適性を求める質」だと豪語するリーシャにとって、今一番欲しくてたまらない物だった。


(さて、外湯へ移動しますか)


 内湯で十分温まった後はお待ちかねの外湯だ。小さな岩風呂だったが、時折吹く風が心地よい。


(オスカーは楽しんでくれているだろうか)


 そう思いながら垣根の向こうにある男湯の方を見る。西方の地域には湯船に浸かる習慣が少ないと聞く。もしもオスカーの国も同様だったら、慣れない風習に付き合わせてしまって申し訳ない。


(夕飯時に聞いてみよう)


 リーシャは湯船の中で蕩けながら、時間が許す限り鉱石湯を楽しんだ。

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