最後の我儘

「おはようございます」

「……おはようございます。こちらが報告書です。ご確認ください」


 翌日、朝一番で聖堂を訪れ応接室で報告書の確認をする。ヨハンなりにリーシャに申し訳なく思っているようで、「内密に」という前提条件の元、嘘偽りない報告書を作ってくれた。勿論ミレニアとヨハンの署名入りである。


「良く聖女様に署名させましたね」


 直筆の署名を見てリーシャが言う。


「お母様が説得して下さったのです」

「そうでしたか」


 ヨハンによるとあの後教会に残ったミレニアの母親がミレニアを説得し、渋々署名をさせたという。目の下に出来たクマがどれだけ大変だったのかを物語っている。


「確かに確認しました。では、私達はこれで」


 報告書を受け取り、足早に聖堂を去ろうとするリーシャに「あの」とヨハンが待ったをかける。


「まだ何か?」

「もう一点だけ、お願いしたいことがありまして……」

「お願い……ですか」


(嫌な予感がする)


 出来ればいち早くこの街から出ていきたい。面倒ごとにはもう巻き込まれたくないのだ。とてつもなく嫌そうな顔をするリーシャにヨハンは頭を下げた。


「『生誕祭』の儀式で聖女様が魔法を使っているように見せる手伝いをして頂けないでしょうか」

「……嫌だと言ったら?」

「お願いします、この通りです」


 机の上にドサッと大きな革袋が積まれる。ずっしりと重そうなそれの中身は誰が見ても一目瞭然だ。


「どういうつもりですか? 修復師に頼むような依頼ではないように思えるのですが」

「はい。これは私の個人的な依頼……いや、お願いですから。報酬も私の個人の資産から出しています」

「……」


 大きな革袋を前にリーシャは悩んだ。恐らく仕事内容には見合わない高額な報酬だ。司教の収入がどれほどかは知らないが気軽に出せる額ではないのは分かる。普段ならば喜んで飛びついただろう。

 しかし、今回は話が別だ。自分を陥れ、下手をすれば永遠に拭うことの出来ない汚名を着せられかけた。そんな相手を助ける義理があるのだろうか。


「実は『杖』の点検時に工房の職人に事情を話し、今の聖女様に合わせて調整することが可能か尋ねたのです」

「調整は不可能だったんですね」

「はい。ミレニア様に微量でも魔力があればそれを掬いあげる手立てはあったと。しかし、まったくと言って良いほど魔力が無いとなれば、火種が無い場所に火が起こらないのと同じで調整器具でもどうにもならないと」

「それはそうでしょうね」

「……なので、最早ミレニア様が魔法を使っているように見せかける他は無いという結論に至りまして」

「なるほど。影武者になれと仰るのですね」

「……はい」


 つまり、ミレニアの母親と同じ結論に至ったのである。儀式をしている最中、ヨハンはミレニアの側に居なければならない。他の司教も同じである。出来るだけ「真実」を知っている人間を増やしたくないというミレニアの意向を汲んで、既に事情を知っており魔法に長けているリーシャに白羽の矢が立ったようだ。


「見えない所から魔法を使ってそれらしく見せて頂くだけで良いので……」

「この期に及んで上層部の方にも知らせたくないだなんて我儘が過ぎませんか?」


 魔法教会と名乗るだけあり、現在の司教や司祭は皆魔法に長けた者ばかりである。リーシャが役目を追わずとも彼らで十分賄えるのではないかと主張した。


「もしも聖女様が『偽物』だと分かったら教会から心が離れてしまう者も出るでしょう。それだけはどうしても避けなければなりません。このことは内密に……『無かったこと』にしたいのです」


(呆れた)


 正しい歴史を失って久しい魔法教会は聖女を柱とすることによって成り立っている。教会に勤める聖職者は皆聖女を崇拝し、彼女が「素晴らしい力を持っている」と信じているのだ。

もしもミレニアが「魔力無し」であることや「本当の歴史」が広く知られてしまったら教会そのものが成り立たなくなってしまう。例え位の高い司教であっても、失望して教会を離れていく者が続出するだろうとヨハンは考えたのだ。

 その結果、今まで通りの「聖女像」を保つことが一番の良策だという結論に至ったのだという。つまり、暴かれた歴史を再び埋め戻して「なかったこと」にするというのだ。

 知り得た「真実」は既に知っている者以外には漏らさない。教会内で知っているのはミレニアとヨハンのただ二人。そのためにも、教会の関係者ではないリーシャに頼むのが一番だとヨハンは力説した。


「教会の関係者ではない、ですか。確かにこの件が片付けばすぐに国を出る予定ですから都合が良いでしょうね」

「失礼を承知で申し上げますが、その通りです……」


 大金は「口止め料」の意味も持つ。国から出ていっても喋ってくれるなということだろう。


「今回だけですよ」


 リーシャは念を押した。「今回だけ」だ。今後また同じようなことが起こっても一切関与しないし巻き込まない。それを書面として残してくれるならば今回だけは引き受ける。そう申し出るとヨハンは「分かりました」と返事をした。ホッとしたような落胆したような、なんとも言えない表情をしている。


(それはそうだ。今回細工をして凌いだとしても根本的な解決にはならない。遅くても来年の『生誕祭』でまた同じ問題に直面するんだから)


 約束事を書面に纏めて署名をする。ヨハンとリーシャの間に結ばれた個人的な約束だ。革袋の中の金を丸々懐に入れられるのはなんだかんだ言って嬉しい。


「では、どのような演出にするのか打ち合わせをしましょうか」


 リーシャが改めてそう言うとヨハンは「宜しくお願いします」と深々と頭を下げた。



「今回はなかなか酷い目に合ったな」

「なかなかどころでは無い気がしますが……。少なくとも二度とここには立ち寄りたく無いですね」


 その日の朝、無事に「生誕祭」の儀式を終えたリーシャは逃げるようにして聖都を後にした。これ以上面倒ごとに巻き込まれないよう一刻も早く立ち去りたかったのである。

 儀式は大成功だった。「それらしく見えればよい」というヨハンの意見に「地味なのは嫌だ」とケチをつけたミレニアの希望に沿って、足元に隠した花びらが風と共に信者や聖職者の元に舞い降りるという派手な演出に変更したのだ。

 あまりに美しい光景に信者も聖職者も息を呑み、ミレニアは今までで一番素晴らしい力を持った聖女だと信じて疑わなかったらしい。

聞けば今までの聖女は水魔法で小さな虹を架けたり横に並べた蝋燭に火を灯したりと舞台装置や演出で「それらしく見える」ように誤魔化していたようで、魔法らしい魔法を派手に使ったミレニアは信者や聖職者の目にも新鮮だったそうだ。


「これから先、彼女は大変でしょうね」

「あれだけ派手に魔法を使ったんだ。すっかり魔法が得意な聖女というイメージがついてしまっただろう」

「ヨハンさんは頭を抱えていましたよ。聖女様はご満悦のようでしたが」


 「魔法が得意な聖女」のイメージを守って行くためにはリーシャのような魔法に長けた協力者が必要だ。ヨハンが望むような「内密に処理をする」状態では難しいだろう。かと言って都合よく口が堅くて聖女の正体を知っても教会から離れない聖職者を探すのも難しいだろうし、外部の人間を頼るのもリスクが高い。


「前途多難でしょうね。まぁ、私が知ったことではありませんが」

「……わざとミレニアの言う通りにしたんだろう」

「わざと? 私は聖女様のご要望通りにしただけですよ」


 すまし顔で言うリーシャを見てオスカーは苦笑いをする。ミレニアの案を跳ね除けて「ヨハンの案の方が安全だ」と一言いえばそうなったはずだ。しかしあえてヨハンを宥めてミレニアの要望通りの演出を採った。そうすればどうなるかは明白だったにも関わらずだ。


(やはり怒ったリーシャは恐ろしいな……)


 濡れ衣の件はヨハンとミレニアに書かせた報告書によって無事に取り消しとなったから良い物の、「嘘」で汚名を被せられたことに対するリーシャの怒りは計り知れないものだった。

 ミレニアに成功体験を与えて「魔法が得意な聖女」として世間に送り出すことでミレニアの退路を完全に絶ってしまった。歓声と脚光を浴びて恍惚としているミレニアがそのことに気がつくのはしばらく後のことだろう。


「まぁ、何はともあれを使わずに済んだのは良かったです」


 リーシャはそう言うとおもむろに収納鞄から掌大の四角い木箱を取り出した。


「それは?」

「録音機です。一度の録音につき一回しか再生出来ない簡易的な物ですが」


 箱を開けると中で渦巻いていた風がふわりと解き放たれる。


『……私、本当は魔法が使えないんです』


 オスカーの耳元を風が通り抜けるのと同時にどこかで聞き覚えのある声が聞こえた。いきなり耳元で囁かれたような感覚がして思わず声がした方向へ振り向くが誰もいない。その様子を見たリーシャは悪戯っぽく「面白いでしょう?」と笑った。


「風は音を運ぶ。その性質を利用した魔道具で、一時的に音を箱の中に閉じ込めておけるんですよ」

「まさか……あの時?」

「はい。『聖女様ご自身の言葉』程強い証拠はないでしょう? もしもあの場で認めなかったらヨハンさんに聞いて頂くつもりでした」


 昔手作り市で購入した簡易魔道具だったが、思わぬところで役に立った。証拠は多ければ多いほど良い。特に相手が権力を持つ人間であればあるほどだ。


「結構使えそうなのでちゃんとした録音機を作ってもいいかもしれませんね」


 片手で木箱をくるくると弄びながら楽しそうに呟くリーシャにオスカーは苦笑いをするしかなかった。リーシャの魔道具への探求心は目を見張る物がある。あの状況にあって尚、こんなにも楽しそうな顔をしているのだから相当の物だ。

 「冠の国」で拵えた「風見鶏」と言い、危機的状況を切り開くための知識や閃きは恐らく今回の様な経験の積み重ねから生まれた物なのだろう。


(そう考えると安易に「羨ましい」とは思えんな)


 魔道具と魔法を知る上で必要な知識と経験は座学や書物だけで得られるものでは無い。これからリーシャと共に旅をする事で得られる物は自らにとってかけがえのない物になるだろう。オスカーはそれを今まさに肌で感じていた。



「そう言えば……リーシャに渡したい物があるんだ」

「私に?」

「ああ。気に入って貰えるか分からないのだが……」


 オスカーは鞄から小さな木箱を取り出してリーシャに手渡した。箱を開けると中には沈み彫りの水晶細工が入っている。まだ装飾品に加工されていない素の状態だ。


「石の良し悪しは分からないが彫られている花がリーシャに似合いそうだと思ったんだ」

「これは……桜ですか?」

「桜?」

「私の故郷に良く咲いている花です。春になると薄いピンク色の花が満開になって美しいんですよ」

「そうだったのか。感覚で選んでしまったから詳しいことは良く分からなくてな」

「最近流行りの乙女小説に出てくる花なので若い女性に人気があるみたいで。こんな遠く離れた土地でも故郷の花に出会えるなんて思ってもいませんでした。ありがとうございます。大切にしますね」


 嬉しそうに微笑むリーシャを見てオスカーはホッと心を撫で下ろす。女性に贈り物をする機会などあまり無かったので喜んでもらえなかったらどうしようと内心不安だったのだ。


「さて、次はどうする?」

「そうですね。疲れたので少しどこかで休憩でもしたいのですが」


 仕事詰めで移動してばかりだったのでここら辺で休息を取りたい。地図を広げてどこか休める場所は無いかと探していると、とある町が目に留まった。


「決めました。ここにします」

「ほう。そこはどんな町なんだ?」

「行ってからのお楽しみです。体を休めるにはピッタリの場所ですよ。欲しいものもあるので丁度良かったです」


 次の目的地も決まり一安心だ。あるもので有名な町を目指して二人は暫し馬車に身を預けるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る