真珠のブローチ

「リーシャ殿、オスカー、皆が無事に解放されたのは其方達のお陰だ。本当にありがとう」


 王宮の玉座の間で解放された王と王妃、その親族たちは事件が終わった喜びを分かち合っていた。王にとってなによりも嬉しかったのは逃がした息子が無事に戻ってきたこと、そしてその傍らに可愛らしい少女が立っていたことだった。


「何か礼がしたい。リーシャ殿、希望するものはあるか?」

「いえ、私はこの蒐集物が戻ってきただけで十分です」


 リーシャは腕に抱えた杖を愛おしそうに撫でる。


「ふむ。オスカーから事情は聞いたぞ。おばあ様の形見を探しているのであったな。良かったら王宮の宝物庫も見ていくと良い。万が一ということもあるであろう」

「お心遣いありがとうございます」


 そう言って「うふふ」と柔らかく微笑むリーシャを王はすっかり気に入ってしまった。


「そういえば……リーシャ殿は宝石の修復師をしているとか」

「はい。傷がついてしまった宝石や壊れた宝石があれば直してご覧に入れますよ」

「ふむ。折角の機会だ。王妃、何かあるかな」

「そうですね……」


 王妃は少しの間考えた後に侍女を呼び寄せてある装飾品を持って来るように命じた。しばらくして侍女が持ってきたのは大きな一粒真珠のブローチだ。


「なるほど」


 そのブローチを見たリーシャが唸る。余程古い物なのだろうか。真珠特有の美しい輝きがところどころ剥がれ落ちたりくすんだりして斑模様をなしている。


「どうですか?」

「かなり古い物……でしょうか。恐らく何度も補修をしながら受け継がれて来た物のように感じるのですが如何ですか?」

「その通りです。私の実家にずっと伝わって来た古いブローチで、輝きを失う度に職人を呼んで手入れさせてきたのですが『もう直せない』と言われてしまって」

「そうでしょうね。もう『巻き』が無くなってしまっているので」


 「巻き」とは真珠を覆っている真珠層のことを指す。真珠は「核」と呼ばれる異物が貝の中で長い時間をかけてコーティングされて出来る物だ。その光沢を帯びたコーティング――真珠層は何層にも重なっており、通常表面の光沢が取れてしまってもその部分のコーティングを剥がすことで下層のコーティングが表れて再び輝きを取り戻すことが出来る。

 しかし王妃のブローチは長い年月の間に修理を何度も何度も繰り返したことによって真珠層を削り切ってしまい、核が表に露出してしまっていたのだった。


「こうなってしまってはもう修理は出来ません。真珠層そのものが無くなってしまっていますから」

「……では、もう元には戻らないのですね」


 王妃が残念そうな顔をするのを見てリーシャは首を横に振る。


「いえ、手はあります。最も、あくまでも『それっぽく見せる』だけで元の姿には戻せませんが」


 そう言って収納鞄から真珠を詰めたガラス瓶を取り出して見せた。


「このガラス瓶の中にある真珠の『巻き』をこのブローチの真珠に移植するんです」

「そんなことが出来るのですか?」

「はい。方法自体は他の宝石の修復と同じなので。ただ、真珠の色味は個体差が激しいので元の真珠の色味を再現するのは不可能です。あくまでも真珠層を再構築して『真珠』っぽく見せるだけになってしまうのですが……それでも宜しければ」

「分かりました。お願いします」


 リーシャは王妃の許可を得ると侍女に頼んで小さな机を一つ持って来てもらった。机の上にブローチと小瓶一杯の真珠を並べる。ブローチの真珠が大きいので大量の素材が必要なのだ。


「真珠達よ、再び輝く力を貸し与え給え」


 リーシャがそう言って手をかざすと小瓶一杯の真珠が淡く輝き光の粒が溢れ出た。その光の粒はブローチの一粒真珠に取りつき染み込んでいく。光の粒が完全に消えるとそこには美しく光り輝く一粒真珠の姿があった。


「素晴らしい……」


 小瓶の中には「巻き」を失った核だけの真珠が詰まっている。目の前で起こった光景に王も王妃も、周囲の側近たちも釘付けだった。


(オスカーに聞く所によると修復魔法以外の魔法の才能も抜きんでているらしい。これから魔法と魔道具を学んでいく我が国に是非欲しい)


 リーシャの実力を目の当たりにした王の脳裏にそんな考えが過ぎる。


「お気に召しましたでしょうか」

「ええ。本当に素晴らしい腕をお持ちなのね。直して下さってありがとう。感謝します」


 一仕事を終えてオスカーの元へ去って行くリーシャの後ろ姿を見ながら王は思った。もしも彼女がオスカーの元へ嫁いでくれたら……。妻を娶らずに適齢期を過ぎてしまった息子に突如現れた彼女はまさに「救国の女神」だと王はコッソリと王妃に漏らす。


「でもリーシャさんは旅をされているのでしょう? あまり無理強いしてはいけませんよ」


 一人盛り上がる王に王妃が釘を刺す。


「分かっておる。しかし……こう……どうにかならないものか」


 玉座の上から楽しそうに歓談をする二人を見つめる王はヤキモキしていた。どうにか口実を見つけて二人の距離を縮められないものかと。


(口実?)


「そうだ!」


 「良いことを閃いた!」と王は突然立ち上がる。王妃はまた「良からぬ思いつき」でもしたのではないかと不安げな顔で王を見上げた。


 その頃、オスカーは兄弟姉妹に囲まれて尋問を受けていた。勿論議題はオスカーの指に光る「指輪」についてである。


「オスカー、このひと月の間に何があったんだ?」

「だから、説明した通りです兄上」


 詰め寄る兄にたじたじになりながらもオスカーは「これには深い意味は無いのです」と繰り返す。


「そんなはずありませんわ!」


 否定し続ける兄にヤキモキした妹が口を挟んだ。


「リーシャさんは聡明で博識な方なんでしょう? だったら尚更『意味』を知らずに渡したとは思えません!」

「だが、深い意味は無いとリーシャも言っていたし……」

「まぁ! 言葉通りに受け取ってはいけませんよお兄様!」


 目を輝かせる妹の横でオスカーの姉が何やら考えごとをしている。その視線は二本嵌めている指輪のうちの一つ、翡翠の指輪に注がれていた。


「もしかして、リーシャさんは東方にある国のご出身とか?」


 唐突に姉が口を開いた。


「……確かそんなことを言っていたような。それがどうかされたのですか?」

「ふーん」


 何か確信を得たような顔をして姉がニヤリと笑う。妹も「あっ」というような顔をして押し黙った。オスカーとその兄は何が何やら分からずにコソコソと話す姉妹を見つめる。


「オスカー」


 背後から声がして振り向くと王妃のブローチを直し終わったリーシャが立っていた。


「お話し中でしたか?」

「い、いや……。そうだ、紹介しよう。兄上と姉上、一番下の妹だ」

「初めまして、リーシャさん。オスカーの兄のジルベールだ」

「私はシルヴィア。こっちは妹のマリーよ」

「初めまして、リーシャです」


 挨拶を交わした所で早速シルヴィアはリーシャを少し離れた場所に連れ出すと小さな声で尋ねた。


「リーシャさん、オスカーとはどうなの?」

「え? な、何のことですか?」


 珍しく動揺を隠せないリーシャにシルヴィアは畳みかける。


「リーシャさんって東の国の方なんでしょ?」


 そう言ってオスカーが翡翠の指輪を嵌めている指を表すジェスチャーをして見せた。「あっ」と言って耳まで真っ赤にしたまま硬直するリーシャにシルヴィアは目を輝かせる。


「やっぱり!」

「あっ、あ、あの……このことはオスカーには内緒にして下さい……。恥ずかしいので」

「分かってるわ! マリーも良いわね?」

「はい!」


 妹のマリーもキラキラと目を輝かせながら大きく頷いた。


「オスカー、リーシャ殿」


 玉座にいる王が二人を呼ぶ声が聞こえる。リーシャはシルヴィアとマリーに会釈をするとぎこちない様子で王の元へ駆けて行った。


「……で、何なんだ?」


 オスカーとリーシャが去った後、ジルベールはシルヴィアに小声で問いかける。


「あの指輪に何か意味があるのだろう?」

「ふふ、お兄様も後で『東の花の乙女』を読むと良いわ」

「『東の花の乙女』って……お前たちが最近ハマっている『乙女小説』か?」

「ええ。東の国の少女と異国の王子が結ばれる恋物語なのだけれど、その中でとある東の国の慣習が描かれているの」

「それがとてもロマンチックなんです!」


 「乙女小説」とは市井の乙女たちの間で流行している恋愛小説のことを指す。マリーは小説の一節を思い出しているのか顔を赤くして恍惚としている。訳も分からぬと言った顔をしているジルベールにシルヴィアは囁いた。


「つまり、オスカーにはもう首輪がつけられているってことよ」


 ジルベールはそれで何かを察したのか、「なるほど」と一言呟いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る