「7」のつく日は鬼の屋敷で

兵藤晴佳

第1話

 やあ、よく来てくれたね、暗くて遠い道を。

 何か小説の種になるような面白い話を、というから、こうして待っていたんだが……途中で何かあったのかい?

 まあ、逢魔が時ってやつだ、無事に来られて何より。

 だから、あんな使いを出したんだよ。

 びっくりしたかい? 大男ふたりに。

 脚の長いのがワン、頭の大きいのがリーといってね。

 さて、説教臭い話から始めるようだが、まあ、我慢して聞いてくれたまえ。

 いい話だから。

 では。

 「葉隠」に曰く。


 ……「水増せば船高し」といふことあり。


 愚直なヤツというものはいるもので、高等学校時分、僕の友人にもひとりいたのだよ。。

 自分で言うのもなんだが、僕が通っていたのは、その辺りの良家のぼんぼんばかりが集まってくる私立の学校でね。

 一高だとか二高だとかいう雲の上の優等生になり損なった、とはいってもそんなこと、気にもしないで済む連中ばかりが気楽にやってる学校だった。

 そこで唯一、遠い田舎からやってきた、小金持ちの次男坊がいた。

 おおかた、家は長男に任せて広い世界を見て来いと、呑気なことを言われて都会へ送り出されてきたんだろうけども。

 名前を……そうだな、勝平とでもしておこうか。

 いなかっぺいの勝平。

 これが純情剛毅朴訥を柄に描いたような男でさ。

 入学式の朝なんか、校庭になんとなくたむろしてる僕たちの前に現れて、深々と一礼して言ったものだ、

「田舎から出てきたばかりで何も分かりませんが、皆さんと仲良くなりたい。どうか、友人として交際してほしい」

 僕たちも唖然としたが、それからは、当たり障りのない付き合いをしている。

 よく言えば世間ずれしていない、悪く言えば、惚れっぽい割に生真面目で単純なヤツってことになるかな。

 そんなんだから、僕たちの間じゃ考えられないようなことをやらかす。

 それが、この話さ。

 僕たちの通う高等学校と同じ敷地内には、女学校があってね。

 美しくもおしとやかな、良家のお嬢さんたちが通っていたのさ。

 中でも、僕たちの憧れの的は、さる富豪……ほら、新聞にもよく名前の出るJ氏の娘だよ。

 こんな話をしていろいろと差し障りがあるといけないから、百合としておこう。

 立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。

 実際、毎朝、送り迎えの馬車から降りて海老茶の袴で女学校の門をくぐる姿を、僕たちはうっとりと見送ったものさ。

 え? その先はって?

 何にも。

 付け文なんかは不良のすることだし、間に人を立てるなんてことをすれば、もう結婚を前提にしたお付き合いを申し込むことになる。

 僕たちの誰ひとりとして、そこまでは考えていなかったのさ。 

 人には言えない、ちょっとした事情があってね。

 おや? 

 どうかしたかい? そんなに目を見開いて。

 もしかして、呆れてる?

 ……あのね、高嶺の花っていうのはね。

 遠くからじっと眺める者たちが、その美しさについて互いに語りあってこそ価値があるもんだよ。

 それをだね、ものの分からんヤツがわざわざ崖を這い上がって、手折ってしまったりした日には、たいへんな騒ぎになる。

 察しがついたかい?

 それをやっちまったのが、あの田舎者の勝平君というわけだ。

 驚いたねえ。

 というか、開いた口が塞がらなかった。

 勝平君も、どうやら百合さんに憧れていたらしい。

 ただ、遊び人の僕たちとは付き合いが薄かったせいで、その、「ちょっとした事情」に疎かったんだな。

 でも、だからといって、あれはない、あれは。

 車を降りて女学校の門へと向かう、レンガを敷き詰めた小道に現れたかとおもうと、こうだ。

「百合さん! 私、初めてお会いしたときから、あなたをお慕い申しておりました」

 さらに愕然としたのは、百合さんがまるで、それこそ白百合のごとくたおやかな笑みを見せて、こう言ったことだ。

「では、次の日曜、3時に開くお茶会にお招きいたしましょう」


 当然のことながら、僕たちは大騒ぎになる。

「何だ、何だ、あの田舎者!」

「我々の百合さんを!」

「なんと卑怯な!」

 卑怯も何も。

 百合さんに想いを寄せながらも敬して遠ざけていたのは僕たちだ。

 勝平君を恨んだり罵ったりするのは筋違いというものだろう。

 その辺りは僕たちも弁えていたから、頭も冷えた。

 もともとそれほど温かくなかった勝平君との関わりも、余計に冷え込んだ。

 誰ひとり、声をかけようともしない。

 僕を除いては。

「君、忠告しておくがね」

 金曜の夕暮れ時、ひとりぼっちで校庭の隅に佇む勝平君に声をかける。

「僕に、何かまずいことでも?」

 見知らぬ土地で誰からも相手にされずとも、寂しそうには見えない。

 本当に、自分がなぜ、どんな立場になったかは見当もつかないらしい。

 僕が教えてやらないと、勝平君はたいへんな目に遭うことになる。

「百合さんのお茶会のある日曜が、何日か知っているかい?」

 勝平君はカレンダー付の立派な時計をちらりと眺めてから、宙を仰いで何やら数えて答えた。

「7日だけど、それが?」

 僕はその、恐れや疑いと全く縁のなさそうな、ある意味では幸せな顔を見つめて告げた。

「7のつく日は不吉な日だ。百合さんと会ってはいけない」

 勝平君は首を傾げて尋ねる。

「占いか何か、なさっているのですか?」

「そう思ってくれていい」

 ……もう、察してくれたみたいだね、ここまで話したら。

 そう、僕はそういう立場の者だ。

 だから、その手のモノがその辺にいるんだよ。

 君を迎えにやったのは、長脚王ちょうきゃくおう大頭李だいとうりという、役鬼えききさ。

 そんなわけで、勝平君の力になれないかと思って声をかけたんだが、きっぱりと断られたよ。

「孔子曰く、君子は怪力乱神を語らずと。そういうお話は、しないことにしています」

 そう言い切られて、実に困った。

 実は、僕たちが百合さんを遠くから眺めるだけだったのには、わけがある。

 お茶会に招かれたきり、帰ってこない者がいるという噂が、まことしやかにささやかれていたからだ。

 いや、それは僕の見る限り、本当だと見てよかった。

 君子危うきに近寄らず、というわけだ。

 それを遠回しに伝えようとしたんだが、分かってもらえはしなかった。

 まあ、それも勝平君のいいところだといえばそうなんだが。

 仕方なく、僕は図々しい申し出をした。

「じゃあ、勝手にお邪魔しようと思うが、どうかな?」

 勝平君は、ちょっと考えてから答えた。

「それは、勝手に返事できないよ」

 良識がある人間なら、当たり前の返事だろう。

 だが、僕は応じなかった。

「だから、勝手に、と言ってるんだ」

 勝平君は怪訝そうに首をかしげる。

「変わってるね、君は」

 それはお互い様だと言いたかったけど、ここは黙っているところだ。

 勝平君はしばし考えて、尋ねてきた。

「百合さんの家は、知っているかい?」

「いや、知らない。案内してもらうつもりでいたから」

 僕の非常識な物言いに呆れたのか、勝平君はしばし、ぽかんとしていた。

 そのうち、いい考えが浮かんだとでも言うように、手をひとつ叩いた。

「日曜に、百合さんが馬車で、ここまで迎えに来てくれる。そこで君を紹介しよう」  

  

 

 7日の日曜日、僕は勝平君と、学校の門の前で百合さんを待った。

 馬車の窓から顔を覗かせた百合さんは、僕を見るなり、曖昧に微笑んだ。

「……どなた?」

 勝平君は遠慮がちに答える。

「友達です。急で申し訳ありませんが、ご一緒させていただけないかと」

 百合さんは、満面に笑みをたたえて僕に告げた。

「生憎と、お茶の席がございませんの。先を急ぎますので、またの機会に」

 済まなそうな顔をして、勝平君は馬車に乗る。

 だが、馬は一歩たりとも前へ進もうとはしなかった。

 当然だ。

 目の前に、役鬼の王と李が、長い脚と大きな頭で立ちはだかっているのだから。

 勝平君は、それを知る由もない。

 だが、百合さんは違った。

「子どもみたいな方ですね……こんな駄々をこねて」

 そうつぶやくなり、諦めたように僕を馬車へ載せてくれた。

 さて、富豪のJ氏の邸宅はというと、大きな屋敷を見慣れた僕でも、息を呑むほどだった。

 ましてや、田舎の小金持ちの小倅に過ぎない勝平君は度肝を抜かれたようで、あんぐりと口を開けたまま、言葉も出ないようだった。

 屋敷の中に招かれた僕たちは、さっそく、舶来ものの紅茶を振る舞われた。

 ミルクティーだった。

 だが、勝平君は口をつけない。

 百合さんは、それをじっと見つめて尋ねた。

「どうなさったの? 紅茶はお嫌い?」

 勝平君の返事はない。

 部屋の中の彫刻や絵などを、落ち着きなく見渡しているだけだ。

 言っちゃ悪いが、田舎者にそんなものの価値が見定められるわけがないよね。

 百合さんの顔を正面から見られずに、うろたえているのだ。

 もっとも、僕にとっては好都合だった。

「これ……珍しいですね。アッサムともダージリンとも違う」

 匂いを嗅いだだけで尋ねると、百合さんは、涼しい笑顔と共に答えた。

「ニルギリと申しますの。アッサムやダージリンはインドの北側で取れますけど、こちらは南側ですの」

 へえ、と答えた僕は、さらに詳しいことを聞いてみた。

「セイロンのものに似てますね」

「ええ、近くですから、お茶の葉も似るのでしょう」

 僕の相手をしながらも、百合さんは勝平君の手元や口元をうかがっていた。

 やがて、囁くような甘い声で促す。

「どうぞ。せっかくのお茶が、冷めてしまいますわ」

 勝平君が慌ててティーカップを手に取ったところで、僕は口を挟んだ。

「何か入ってますね? ミルクじゃないものが」

 百合さんは険しい眼差しを向けてくる。 

 だが、その顔を僕のものときょろきょろ見比べている勝平君に気付いたのか、すぐに口元をほころばせた。

「ええ、バリエーションティーですから……いろんなスパイスが」

 さらに、僕は突っ込んだことを尋ねる。

「教えていただけませんか? どんな香辛料が入っているのか」

 百合さんは露骨に、困ったような顔をしてみせる。

「そんなことを聞いて……どうなさいますの?」

 ティーカップを手にしたまま、勝平君は話の成り行きに耳を傾けているらしい。

 そこで僕は、声を低めて答えた。

「インドのスパイスには、中国では漢方薬とされているものが多いんですよ」

 へえ、と相槌を打った勝平君がカップに口をつけようとしたのを遮るように、言葉を継ぐ。

「漢方に限らず、薬は使いすぎると毒になります」

「失礼じゃありませんこと?」

 百合さんの声が低くなったのに慌てたのか、勝平君はカップの中の紅茶を一気に飲み干そうとする。

 僕は止めた。

「飲むな!」

 その瞬間だった。

 百合さんの形相が変わった。

「おのれ……!」

 見るな、と勝平君に告げようとしたが、もう遅かった。

 額から角を生やし、口元には牙を剥く鬼と化した百合さんの姿を、勝平君はまともに見てしまっていた。

 気を失いかかったところを連れ去ろうというのか、鋭い爪の生えた禍々しい指が、僕の友人の喉元に伸びる。

 僕は、屋敷の外に待たせておる役鬼たちを呼んだ。

ワンリー!」

 屋敷の戸をぶち破ることもなく飛び込んできた長脚王ちょうきゃくおう大頭李だいとうりは、僕と勝平君を抱えて連れ去った。


 次の日、勝平君は夕暮れ時の校庭の片隅で、帰り際の僕を呼び止めた。

「君は、いったい……」

「話すと長い」

 そこは、触れてほしくないところだったな。

 都会の片隅で、こんな中国の鬼を使って暮らしているのには、それなりにわけがあるから。

 突き放すような言い方は冷たすぎると自分でも思ったが、勝平君はそれ以上、僕のことには踏み込んでこなかった。

 代わりに尋ねたのは、あのお茶のことだった。

「あのお茶会は、何だったんだい?」

 その辺りも、よく分からない。

 たとえ話で、憶測を告げるしかなかった。

「清の蒲松齢に、『聊斎志異』というのがあるのを知らないか?」

 名前だけは、と答える勝平君に語って聞かせたのは、その中のこんな挿話だ。


 人間にものを食わせて家畜に変える、「造畜の術」というものがある。

 ある宿に、引いてきたロバを何頭かつないだ男が言った。

「出かけてくるが、これに飲み食いをさせないでくれ」

 ところが、男の留守にロバが暑がって騒ぐので、宿の主人は涼しいところへ連れて行った。

 するとロバたちは水のあるところに駆けていく。

 たっぷり水を飲んだところで、地面に転がったロバはひとりの女に変わった。

 口が利けないでいるのを匿うと、今度は羊を何頭か男が帰ってきて尋ねた。

「ロバが足りないようだが、どこへ行った?」

 宿の主人は食事を振る舞いながら答えた。

「どうぞごゆっくり。すぐに連れてきます」

 外で羊に水を飲ませると、全て人間の子どもになった。

 主人が役人にこれを告げると、男は拷問で洗いざらい白状して死んだ。


 勝平君は答えた。

「百合さんが、そうだって?」

「断言はできないが……」

 だから、僕は百合さんを高嶺の花として扱い、敬して遠ざけてきたのだ。

 そっちのほうが百合さんとも、男友達同士も気楽なつきあいができるから、誰もが真似をした。

 ところが、勝平君はそうはいかなかった。

「7のつく日は不吉な日だ。百合さんと会ってはいけない……そうだったよね」

 分かってくれたか、と思ったところで、告げられたのは意外な言葉だった。

「じゃあ、次は17日だね」

 やめろ、と言おうとしたところで、勝平君はきっぱりと言った。

「百合さんがどんなつもりだったか知らないけど、誘われておいて、あんなことをしちゃいけないよ」

 ちゃんと謝って、またお茶に誘ってもらえるか聞きたいというのだ。

「あの紅茶、飲んだらどんな目に遭うか」

 僕が止めても、勝平君は頑として聞かなかった。

「まだ飲んでない」 

 仕方がない。

 そこで僕は鞄の中からノートを取り出すと、切り取ったページにペンで書き込みをして渡した。

「どうしても行くなら、持って行ってくれ」


 そして、18日。

 学校で心配していた僕の前に、勝平君が現れた。

「よかった……動物にされなくって!」

 柄にもなく、しがみついて泣きだしたのは自分でも驚きだったね。

 勝平君は勝平君で、やっぱり柄にもなく、僕の身体を引き剥がすと、まっすぐに見つめてきたものだ。

「まあ、聞きたまえ」


 勝平君の謝罪を、百合さんは快く受け入れた。

 改めて誘われたのは、予想通り17日だった。

 ただし、平日だったから、お茶会ではなく夕食だった。

 ろうそくの淡い光の中、豚の丸焼きが乗ったテーブルの前で待っていた百合さんは、低い声で尋ねたという。

「それは……何? 何のつもり?」

 勝平君は約束通り、僕が書いた護符を持って行ったのだ。

 それを隠しもしないで差し出すと、百合さんの顔は、あの鬼の形相に変わった。

 鋭い爪の生えた指が飛んできたが、勝平君は逃げもよけもしなかったという。

 僕を信じていたからだ。

 だが、鼻先で手を止めた百合さんの目からは、涙が流れていたという。

「あなたも……あなたも私をそんな目で見るのね!」

 すると勝平君は、とんでもない行動に出た。

 鬼を封じる護符を、自分で破り捨てたのだ。

「事情は聞かない……たぶん、聞いたって分からないから」

 

 え?

 勝平君、どうなったかって?

 J氏の婿に入ったよ、百合さんと結婚して。

 何でも、27日のお招きで、両親に紹介されたらしい。

 そのときはもう、百合さんは鬼になることはなかったという。

 今でも勝平君は言うには、こうだ。

「あの豚の丸焼き、うまかったよ」

 10日前に僕の護符を破り捨てたら、百合さんの姿は、あの美しい令嬢に戻っていたという。

 でも、豚が人間になることはなかった。

 鬼への変身はともかく、「造畜の術」については、全て僕の思い過ごしだったのだ。

 お茶や食事に招かれた人が帰ってこなかったのも、分かってみれば単純な話だった。

 鬼への変身は、ご両親も心配してひた隠しにしていた。 

 百合さんはそれが嫌で、そんな自分を受け入れてくれそうな人を見つけては招待していたのだった。

 ところが、誰も彼もが肝をつぶして逃げ出してしまう。

 そこでご両親は秘密が漏れないよう、片端から大金を掴ませて、遠くへ姿を隠してもらっていたというわけだ。

 で、今の勝平君の夫婦生活はどうかというと。

「頭が上がらないよ。そこは婿養子だし」

 それでいいのか、と聞いてみたら、返事はあっさりと返ってきた。

「水が増せば船も高くなるって言うからね」

 バカ正直もここまでくれば、聖人君子の域に達している。

 君子は怪力乱神を語らず。

 長脚王ちょうきゃくおう大頭李だいとうりも、僕の護符も必要なかったのはもっともなことだ。


 帰りはどうする?

 あ、ひとりで帰る……。

 君子だね、君も。

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「7」のつく日は鬼の屋敷で 兵藤晴佳 @hyoudo

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