第2章 あの旗のもとに集いて

<おお、サム>

 あの部屋でジャバさんに会い、世界の智慧を手にしてから、サムには自分が何をすべきか、どのうように振る舞うべきか、どのような言葉を選ぶべきかがおのずとわかっていた。革命軍と名を変えたオルゾイの面々を広い一室に集め、サムは宣言した。

「私はサム。帝国の支配を終わらせに来た。諸君にこの場で誓おう、かつて地下王だった私がね」

 兵士の中で笑いが起こった。駄洒落を織り込んだ人心掌握のすべをサムはいつの間にか身に付けていた。やがて再び静寂が戻り、彼は続けた。

「諸君に誓おう、私は必ず帝国の支配を終わらせ、人類に平和をもたらすと。諸君に、人類に、かならず光をもたらすと」

 兵士たちは湧いた。この男は誕生して以来、その希少性から周囲の期待を集めながら育ってきたが、いつのまのかここまでのカリスマを身に付けていたのかと。彼となら何でもできそうな気がしてきたのだ。

「運命がお前を育てているのだよ。ただ何事も一すじの心で真面目にやれ。ひねくれたり、ごまかしたり、自分を欺いたりしないで、自分の心の願いに忠実に従え。それだけ心得ていればよいのだ」*1

 兵士たちはこの言葉に痺れたように動かなくなった。この時代の頽廃した文化生活の中では決して触れえない真実味が、その言葉からは感じられた。

「まあ、あれだ。…クーデター起こしちゃお」

 獣の咆哮のごとき歓呼の声がサムを包んだ。サムのもとに兵士たちが殺到した。胴上げの列は絶えることがなかった。そのまま宴となった。


 一夜にして名実ともに指導者となったサムは、知略を生かしたゲリラ戦で帝国軍を悩ます。地下壕は各所で繋がっており、その地下ネットワークを生かしたウォンバットのような神出鬼没の市街戦で帝国軍を苦しめた。朝昼はかつて地下室で鍛えた剣術で数に勝る敵軍を混乱に陥れ、夜は兵士の人格陶冶のために講話による文化精神の涵養をおこなう。文武両道を絵に描いたような活躍ぶりに敵も味方も彼を畏れた。


 硝煙にくもる戦場で、鈍い音を立ててまた一人、敵兵が斃れた。サムの剣術「イーネェ」が炸裂したのだ。周囲の敵をあらかた排除し、一息ついたところで、

「サム、あなたってすごいのね。朝も昼も夜も、いつもわたしたちを魅了してる。わたしもその一人」

 殺伐とした戦場に似つかわしくない澄んだ声。革命軍の華・ティルセだ。

 サムは、ティルセの溌溂とした肉体に、ひたむきな精神に恋していた。ティルセもまたサムに恋していた。彼らがその想いを表に出すことはなかったが、そのことに気づかぬものはなく、温かく見守っていた。死と隣り合わせの過酷な日常だったが、そのような楽しみもあり、実に充実した毎日だった。サムはありふれた愛の言葉の代わりに、岩波文庫・青の本を一冊彼女に贈った。


<どうも、スイマ戦役>

 列島各地で敗退を重ねる帝国軍は乾坤一擲の大勝負に出る。帝国本土から十万の大軍を列島に投入し、革命軍を全力で叩き潰しに来たのだ。この戦いは後に「スイマ戦役」と呼ばれることになる。

 革命軍の背後から上陸した帝国軍は、その数を恃んで地下室を一つずつしらみつぶしに襲撃していった。しかし、どこももぬけの殻。革命軍はいちはやく帝国軍の情報を掴んで市街から撤退し、郊外の別アジトへ退避していた。革命軍のいない市街に無血入場する帝国軍。これを待っていたサム。

「来るぞ。<寒・ジーヴァ>が…」高台から帝国軍を望見しながらサムがつぶやいた。

 暖冬のなか突如吹雪が。寒さと視界ゼロで混乱する帝国軍。そこに突如反転し襲いかかる革命軍。パニックに陥った彼らは次々と討ち取られる。抵抗もままならずついに降伏の白旗が揚がった。手を挙げて歩いてくる指揮官らしき男が悔しげにつぶやく。

「私は帝国方面軍指揮官のサモン・ジャルバ。なぜ、この吹雪が来るとわかった?」

「こたび帝国軍が使った大質量を転移させる技術、その代償だろう」

「私ですら知らないこの新技術をなぜ貴君が…」


 皆が勝利に沸き立っている中、ティルセの姿を目で追った。

「サム! やったのね、私たち」

「ああ。やった! 運命が私たち…」

 銃声が静寂のしじまに轟いた。さっきまで愛の言葉を交わしていたセルチが、虚空を見つめながらゆっくりと崩れ落ちていく。硝煙の残る銃を構えた男を一瞬のうちに斬り伏せると、セルチに必死に呼びかけた。薄くまぶたを開いたまま、反応がない。

「…嬉しかった…!」

「もういい! しゃべるな!」

「あなたの夢に…わたしの居場所があって…」

 聞き取れないほど微かな言葉を残して、彼女はこときれた。サムの頭に槌で殴られたような衝撃が走った。

 それから永遠とも一瞬とも思える時間が経った後、副将のPJが駆け足で戦況を報告しにやってきた。

「ここにいたのか、サム! 帝国軍の残党もついに降伏。武器は接収して捕虜は収容済み。抵抗を続けるB地区も鎮圧完了したよ。サム、ぼくたちの完全勝利だ!」

「勝ったのか…。だが、セルチは…」

 勝利に歓喜するPJの表情は突如曇った。雨が、ポツポツ降り始めていた。


「サム。みんながサムの言葉を欲している。語りかけるんだ、みんなの心に」

 聴衆となった戦友たちを前に、サムは演台に上がって静かに語りかけた。

「諸君。」

 流れるようにするすると言葉が出てきた。

「運命がお前を育てているのだよ。ただ何事も一すじの心で真面目にやれ。ひねくれたり、ごまかしたり、自分を欺いたりしないで、自分の心の願いに忠実に従え。それだけ心得ていればよいのだ」

 大地を揺るがすかのような雄叫びが鳴り響いた。「出たあ! 【うめおま】!」「オウケイ! オウケイ!」兵士たちは歓呼の声で指導者を迎えた。

 静かに演台を後にしたサムはひとり姿を消した。向かったのはティルセの埋葬。彼女のそばに立つジョベがサムに声をかけた。

「サムさん…何と言ったらよいか…。何とも残念です。…ティルセさんからの言伝です。自分に何かあったら、この本をサムさんに渡すようにと」

 その岩波文庫・青の文庫本にはあるページに付箋が貼られていた。サムの渡した本だった。

 <四方のどこにでも赴き、害心あることなく、何でも得たもので満足し、諸々の苦難に堪えて、恐れることなく、犀の角のようにただ独り歩め>*3

 そのとき気づいた。

「私はそれが初めての恋であり、最後の恋であることを知っていた。それは時を忘れた限りない愛の抱擁であった。この愛の陶酔のなかに、この甘美な惑溺のなかに、人は生の意味をすべて味わいつくすのだ」*4

 ひとすじ涙が頬を伝ったかと思うと、もう止まらなくなった。滂沱、滂沱。ただ滂沱。周囲をはばからず、サムは泣いた。曇天はやがて激しい雨となり、戦場の残火を消した。


<サム・ジーヴァ>

 スイマ戦役の歴史的大勝利に列島各地で勇気づけられた人々は「サム(๑╹ω╹๑ )」の旗印のもとに蜂起した。この紋章は彼の似姿といわれており、革命軍の指導者といういかめしい肩書には似つかわしくない、可愛らしいものであった。サムに世界の希望は集まっていった。各地でサボタージュ、デモ、暴動が相次ぎ、帝国軍は列島から撤退するに至った。捕虜となっていた帝国軍はサムに忠誠を誓っていたので列島に残った。指揮官サモン・ジャルバ(๑・̑◡・̑๑)に苛烈な処罰を求める声もあったが、サムはこれを許した。感激したサモン・ジャルバはその統治手腕を買われ幕閣に迎えられた。こういった寛大さや柔軟かつ合理的な対応はサムの大きな特長であった。

 こうして、列島は「サム(๑╹ω╹๑ )」の旗のもとに統一された!


 サムは国家元首・軍総司令官として推され、ここにサム・ジーヴァ国が樹立された。「ジーヴァ」とはサム・ジャバが訛ったものといわれているが、その真実を知る者も今は亡い。

「もっと強くなれ。もっと強くなりたい。ただそれだけ」*5

 サムはひとりつぶやいた。

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