第38話 空に消える三人の人造人間
「コンタクト、回せー‼」
軽快な音を立てて、シュトルヒのプロペラは回り始めた。先発隊で出立した整備兵達に今夜、使用する可能性が有るかもしれないから良好な稼働状態にしておけと命令したら、良い仕事をして行ったとエルは満足そうに笑いながら云った。
雅かストール機が用意してあるとは――此の機種はテニスコート一面分の広さが有れば、離着陸が可能という傑作飛行機である。
彼等は之で取り敢えず南へ向かうのだと云っている。どういうルートを使うのかは状況次第だそうだが、満州へ行くそうだ。
「サン・テグ・ジュペリを気取って、夜間飛行と洒落込むってか。何か不安だな……」
ケムラーはハシャいでるエルを他所に少し不安げな表情である。確かに夜間飛行は難易度が高いと云われているし、おまけに操縦士はエルである。
「一応アイツ、運転は上手いんだけど」
何を云わんとしているのかは良く解かる。
短い時間ではあったが、彼の個性は一筋縄では行かない事は理解が出来た。
「ケムラーさん。パラシュートを御忘れなき様に」僕に云える事は之位しか無かった。
「しっかりと装着するよ」彼も苦笑いしながら答えた。
サーチライトが照らしだす光の中で、何やら操縦席で揉めているエルとアンリの姿が、滑稽な寸劇の様に観えて一寸、可笑しい。
「さてと、僕等の準備は整ったけど、君の方も予定は立ったかな?」
「はい。僕は此処から南南東に拠点を置くパルチザン部隊、『白い兎』のアジトへ向かいます。白い兎の団員にはユダヤの同胞が何人か居りますので――彼等とは何度も共同作戦を行っている気心の知れた間柄なので、其処に御世話になろうと思います」
「仇討ちは終わったのだろう。未だ民兵として戦うのかい?」
彼は素気なくだが、もう戦うなと促してくれている様だ。さっきの話で聞いた通りに、そして僕が感じた通りに不器用だけど優しい人だな。
僕は今迄、仇討ちと死ぬ事ばかりを考えていた。そしていざ、事が成就した以後の事は余り考えていなかったんだ、迂闊な程に――。
確かに此処等で退くという選択肢も有りかもしれない。しかし元パルチザンで、おまけにユダヤ人ともなれば、何処の村に行っても余り良い顔はされないだろう。
其れに何よりも、今此処で勝ち逃げの様な事をしてしまったら、僕が今迄に殺した者達に対して卑怯な気がしてならないのだ。
だから折角、拾った生命だけれども此の儘、戦地に置いておこうと思う。そして、此の馬鹿げた戦争の結末を見届けてやろう。生き残れるかは解らないけれど。
其れが望むと望まざるに関わらず、子供ながらにもパルチザンの戦士として闘って来た、僕の存在意義と成るのだから。
そんな思いを拙い言葉で何とか伝えると彼は、「そうか、頑張れよ」と、唯一言だけ呟いた。
其の表情は優しいながらも何処か憂いを帯びていて、何故だか僕の方が彼の事を心配してしまいそうだ。余計な御世話なのだけど。
僕は助けて貰った分際で、おこがましい事を考えてしまったと、何だか気恥かしくなってしまい、照れ隠しに気になっていた例の事を訊いてみた。
「あの、ケムラーさん。昔、ケムラーさん達の出自を、何処かの女流作家さんに話した事って有りませんか?」
そう云うとケムラーは、プッと吹き出して頭をボリボリと掻きながら云った。
「ああ、其の事か――随分と脚色されちまったがねぇ。確かに僕の仇名は『怪物巨人』なんだけどさ、幾ら何でもあそこ迄、不気味でゴツくはないだろう」
怒ってはいないが、かなり不満気の様だ。小説よりも映画の影響が大きいのだろう。
「エルの馬鹿が一寸した暇つぶしに適当に有る事無い事を喋くりまくったんだけど、雅かあの文士気取りのイケスカねぇ連中の中に混じっていた若奥さんが、後にあんな小説書くとは夢にも思わなかったよ。御蔭で僕は世界的に有名な『怪物』にされちまったし、『博士』の名前は今やオカルトさ」
成程、だから彼は怪談話の類が苦手というよりも、嫌いなのか。望まぬ事なのに世界中の人が認知する『フランケンシュタインの怪物』にされてしまったのだから。
「お~い! 其れじゃあ行くよー‼」
操縦席からエルが叫んだ。如何やら漸くにアンリが膝の上に乗る事を了承したらしい。相当に膨れ面をしているが。
「さてと、其れじゃあ僕等はそろそろ行くとしようかな。車輪止めを外すのを御願いしていいかな」
「はい、あれ?」と僕はおもわず声に出してしまった。彼の一寸した変化に気付いたからだ。黒眼鏡の形が変わっている。
「ああ、之かい? 何時も一仕事終えると黒眼鏡を変えて気分転換しているんだ。一寸した僕のジンクスさ」
以前の物は円いレンズで細い銀色のフレームだったのだが、今度の物は太い黒色のフレームでレンズも四角く大きめだ。良く似合っていると思う。
「よかったら、前のヤツをあげようか?」
「えっ、くれるんですか?」
そう云うと、コートの内ポケットから綺麗にハンカチーフで巻かれた黒眼鏡を取り出し、器用な手付きで眼鏡の蔓を調節しだした。
「こんなもんかな……」
そう云って僕の顔に掛けてくれたフレームはピッタリと合っていた。
「もう逢う事は無いだろうから、出逢いの記念にね」
御互いに黒眼鏡越しから眺める其の姿は暗褐色に染まり――もう、此の出逢いと別れは過去の物と成っている事を感じさせた――。
ブオンッという、快調な音と共にシュトルヒは夜の空に舞い上がった。
窓から軽く手を振るケムラーの優しい笑顔が観えた。之でもう、彼等とは二度と逢う事は無いのかと思うと少し寂しい。
こうして、三人のフランケンシュタインの怪物達は僕の前から去って行った。
彼等は必要と有れば、本当の事を誰に話しても構わないよと云ってくれたが、こんな事を誰に話した処で信じる者は居ないだろう。
だから僕は此の出来事を、一生涯誰にも語るつもりは無い――だけれども……。
「誰に語る事は無くとも――一生忘れる事も無いだろうな……」
既に機影の視えなくなった夜空に向かい、僕は一人呟いていた。
一九四四年、未だ寒いロシアの春。
僕の体験した摩訶不思議な物語………。
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