第31話 三銃士

 僕等は士官食堂でコーヒーを啜っている。

 紅茶は結構飲む機会が有ったがコーヒーを飲むのは久しぶりだったので、とても美味しく感じた。此処の士官専用食堂の内装は何だか、平和な頃のドレスデンの喫茶店を思い出させる雰囲気である。 

 何とも大胆で不思議な事だな。敵の中枢に潜伏したにも関わらず、僕は呑気に御茶を楽しんでいる。死ぬ覚悟を決めた所為か、其れとも彼が隣に居てくれるからか、怯えは全く無い。

 暫くすると前線には珍しく、黒色の親衛隊制服を着た将校が現れた。線の細い何処となく女性的な顔立ちの若者である。


「やあ、マウラー大尉。逢いたかったよ!」

「御久しゅう御座います、スタインベック大尉殿。御健勝そうで何よりでありますね」


 ケムラーは如何にも嫌味たらしい棒読みで挨拶をする。すると件の将校は満面の作り笑いで、彼の御機嫌取りを始めた。


「いやいや、大変な任務だったでしょうねぇ……御疲れでしょう、本当に御苦労様でした。其れで成果の方は如何でしたか? あっ、コーヒーもう一杯、御飲みになります」


 ケムラーは鞄の中から書類を取り出すと、つっけんどんに件の将校に放り投げた。


「僕の所見では、大した役には立ちそうも無い気がするけど――さて、其れでは彼の処に行きましょうか。たしか通信室だね」


 するとスタインベック大尉は慌てた様子で、着いたばかりなのだからゆっくりしてよ、食事の用意をさせようか等と云って、必死に引き留めようとするもケムラーは御構いなしに士官食堂を出て歩きだした。僕も何だか良く分らないが後に付いて行く。

 移動途中、スタインベック大尉は宥める様に御願いだから怒らないでと、繰り返し云い続けるも、ケムラーはまるで聞こえぬかの様に、すたすたと歩き続けている。

 通信室と書かれた扉の前に来ると周りに人が居ない事を確認して、スタインベックはケムラーの前に立塞がって弁明を始めた。


「待って、待って、聞いてよ。僕はね、少なくとも僕だけは『スウェーデン行きの客』が君じゃないかと思っていたんだよ、本当に――ハルベルトは如何か知らないけど」

「――『スウェーデン行きの客』? ああ、『風』の事か。変な暗号名を勝手に付けんなよ。まあ、成り変ったのは昨日の事だし、俺も忙しくてちゃんとした連絡出来なかったのは悪かったけどよ――其れにしたって『クルト・ケムラー』って、態々本名出したんだぜ! 気付かない訳ねぇよな」

「いやいや、オストレギオンの間諜員は君の名前を報告してこなかったらしいよ。後になってから知ったんだよ、クルト・ケムラーという名前は。ひょっとしたら同名異人の可能性も在るしさ、暫くは様子を観ようかと云う事になってねぇ――あはは‼」


 ケムラーは其の大きな掌で、スタインベックの頭をむんずと鷲掴みにして、締め上げた。あの恐ろしい握力で握り締められると思うと、他人事ながらにゾッとするな。

 スタインベックは「痛い、痛い! 止めて、止めてよぉ‼」と情けない声を上げている。


「手前ぇの御得意の数学で計算してみやがれ! 此のだだっ広いロシアの地で此の時期此の場所で、俺と同姓同名の人物が現れる確率ってヤツをよ‼ 何パーセント有る⁉」

「無い無い、一パーセントも無い! ほぼ皆無、計算する迄も無い! 御免なさい、悪いのは僕じゃなくてハルベルトです‼」


 スタインベックは責任転嫁をした。

 ケムラーはスタインベックを後ろに放り投げると、通信室に入り込んだ。

 通信室の中では三人の兵士が忙しそうに、通信作業やタイプ打ちを行っている。


「失礼、ハルベルト中尉は居られるか?」

「はい、班長なら奥の個室に」


 ケムラーは身分証を見せ、通信班長と極秘の話が有るので暫く席を外して欲しいと、半ば無理矢理に三人の通信兵達を退出させた。

 そして多分、大型の衣装室と思われる部屋の扉を乱暴に開けると、ドスの効いた声で其の部屋の主を罵倒した。

 

「おうコラ、チンパンジー‼」

「なんだべ、マンドリル‼」

 

 少し訛った声が、やはり悪口を云い返す。

 随分と小柄な男が座っていた。まるで針鼠の様にツンツンと立った髪に何処か小悪魔を連想させる面相。其れより何より僕を驚かせたのは、何と其の手にパンツァーファウストを握って此方に向けていたからだ。

 スタインベックは慌てて二人の間に入ると、「待て、待て、待って! 此の前のメキシコの時の様な事はもう御免だよ。落ち着こう、落ち着いて話し合おうよ。其れに昨日の出撃だって、君が居ようが居まいが何れは行われていた作戦だろう。必然的事例に偶々、君が巻き込まれただけの事なんだよ。ねっ、分かるでしょ!」等と多少、自分本位な言い訳を唱えつつ、両手を拡げて必死に両者の静止に努めている。

 何なのだ、此の三人の関係は――仲間じゃ無かったのか? 僕は呆気に取られている。

 ケムラーとハルベルトと呼ばれる男は互いに物凄い形相で睨み合うも、スタインベックの必死の説得の末に漸く落ち着いた。


「まあいい。今、騒ぎを起こしたら面倒すぎるからな――其の代り、アイアイ。一寸、手ぇ貸せ」

「何、偉そうに命令してるだ、オラウータン。立場を弁えるだべ」

「待った、ハルベルト! 今回、悪かったのは僕等の様だ。彼の云う通りにしなくちゃいけないのは当然でしょ、ねっ!」

「先ず手前等に尋いときたい。此処の所長のヘッシュって奴、殺しても構わねぇだろ」


 ケムラーはいきなり、とんでもない質問をするが二人は平然と返答する。


「ああ、別に構わねぇべ」

「僕の独自計算に依れば、あの男が生き続けていても、生物科学の発展に貢献する可能性は零・五パーセント未満という処だね。今直ぐに死んでも問題無いよ」


 酷い謂われようである。しかしヘッシュを殺る事には了承してくれたのか?


「其れよりもさ――此の可愛い子、誰?」


 不意にスタインベックが妙に煌めいた眼で僕の事を尋ねてきた。今更ながらに僕は未だ、紹介すらされていなかったのだ。

 何故か彼の視線はネットリと絡まり付く様で、僕は少しゾクリとする。


「しまった。此奴の悪癖、忘れてた……」


 ケムラーは小声で呟いた。何か拙い事でも有るのだろうか。

 するとケムラーは一寸した縁で知り合った少年で、偶然にも此処の所長のヘッシュを殺すつもりでいると云うから物の序に連れて来たんだと、随分に雑と云うか素気ない紹介をしてくれた。


「へぇ~仇打ち? カッコいいねぇ……よし! 僕も手伝ってあげちゃおう‼」

「――たくっ、面倒な事ばかり増やしやがるべ、此のゴリラは。静かにフケてぇのに」


 如何やら二人共、協力してくれる様だ。


「よし! 此処の戦闘部隊の連中は、昨晩に路に迷って地獄に行っちまったから良いとして、問題は前に居る機甲化部隊だな。流石に俺も戦車が相手じゃあ骨が折れるし――だからピグミーマーモセット、何とかしろ」


 如何でもいい事かも知れないが、ケムラーとハルベルトの二人は御互いの呼称を猿の種類で呼び合っている。するとハルベルトは不意に僕に向かって語り掛けて来た。


「おい! 其処のライオンタマリン。御前ぇは自分の手でヘッシュを殺るんだか?」


 何故か僕も猿にされてしまった。しかし、そんな事は此の際、如何でもいい。


「はい。機会さえ与えて頂ければ、後は皆さんの迷惑にならぬ様に奴と刺し違えます。其の後でもし僕が生き延びていて、僕の存在が邪魔なのであれば――殺して頂いても一向に構いません。ですから如何か僕に、仇討の御協力を御願い致します!」


「一宿一飯の恩義は果たすよ」

 ケムラーは自信有り気に笑みを浮べる。


「どうせ、フケる序だべ」

 ハルベルトは不承不承ながらも同意した。


「我等、三銃士。ダルタニアンの為に‼」

 スタインベックは調子良く胸を張る。



 間違いなく善人とも良識人とも到底、思えぬ彼等だが――妙に頼もしく感じた。

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