第30話 下品な嘘

 僕は先程、彼から云われた指令を心の中で反芻していた。


「いいかいマルコ。君はヒトラー・ユーゲント(ドイツ青少年組織、十四歳から十八歳のドイツ国民は強制的に加入させられた)の団員だ。歳は十四歳という事にして、所属地域は秘密とする。ゲシュタポの極秘任務に従事しているとなれば、誰も突っ込んだ話しは訊けまい。ドイツ兵との会話は全て僕に任せるんだ。君は何を聞かれても……」

「はい。『自分は今作戦について、何も語る事は出来ません』 『上官の許可が無ければ何も申せません』――で、押し切れば良いんですね」

「其の通り、其れで大抵は乗り切れる」


 単純だが確かに効果的だと僕も思う、後は彼の饒舌な話術に任せればいい。実際に僕も騙されていた訳だし――でも彼の経験上、嘘を吐く時は本当の事も織り交ぜると、より真実味が出るのだそうだ。

 因みにクルト・ケムラーというのは彼の本名であるという。スイス生まれというのも、チューリッヒの大学を出たというのも、本当の事であるそうだ。

 だから僕にも本名のマルコ・デーメルを名乗っていろと云う。確かに其れなら偽名を使って、ボロが出る事は防げそうである。

 よし、心の準備は出来た。奴の牙城に乗り込む為に演じきって見せるぞ!

 パトロール隊の兵士が、止まれとの身振りをしている。僕等は其の場で立ち止まり「ヒトラーハイル・万歳ヒトラー」との御決まりの敬礼を翳した。本当は『ヒトラー、くたばれ‼』と叫びたい処だが、其処はグッと堪える。

 サイドカーから降りた陸軍軍曹が、「失礼ですが身分証を拝見します」と紋切型の言葉を投掛ける。するとケムラーは少し居丈高に身分証とゲシュタポの認識票を翳した。

 途端にパトロール隊の連中は顔を引き攣らせて、「ゲ、ゲシュタポの捜査官殿でありますか。い、一体、何用でありますか?」と、しどろもどろに訊き返して来た。

 やはりゲシュタポの威光は相当な物の様である。裏を返せば嫌われ者という事なのだろうけど。

 ケムラーは居丈高に命令を下した。


「車が壊れて難儀したが、漸く友軍に逢えたな。ヴィルヘルム・ヘッシュ少佐の研究所に用が有る。すまないが君達、送ってくれ」


 パトロール隊の隊員達には、何を偉そうにとの表情があからさまに出ているのだが、流石にゲシュタポには逆らえない様である。

 軍曹は憮然とした顔で、「分りました、単車の後部座席で宜しければ御乗りください」と、ふてぶてしく云った。そして僕をじろじろと眺めている。当然だろう、何故ゲシュタポ捜査官が子供なぞ連れているのか、疑問に思っているのだ。僕は唯、前を見据えて直立不動で立っている。嫌な緊張感が続く――するとケムラーはパトロール隊員達に答えた。


「ああ、其処の少年も私の今作戦の従事者である。優秀なヒトラー・ユーゲントの団員だよ。なあ、マルコ君」


 役者を見せる時が来た、意を決して叫ぶ。


「はっ! ヒトラー・ユーゲント団員、マルコ・デーメルであります」


 如何だろう……上手くいったかな?

 ケムラーの表情は良いよとの感じだがパトロール隊の連中は、やはり訝しんでいる様子である。


「あの、失礼ですが……其処の少年は、どの様な任務に付いていたのでありますか」


 当然といえば当然すぎる質問をして来た。

 此の手の質疑応答はパトロール隊の任務の範疇で有る。内地なら兎も角、此処は外地の最前線――下手に回答を拒否等したら幾らゲシュタポの捜査官とはいえ、厳しく尋問される事だろう。彼は此の局面を如何やって切り抜けるのか。


「うむ、私の任務は極秘なので余り多くは語れないが――君達、彼が事で、ある程度の想像が付かないか?」


 すると一人の兵士が、「あっ!」と叫んで蒼白な表情になった。

 其れを合図に周りの兵士達も何かを察したかの様に、各々に口籠る。

 一体、彼等は何を思っているんだ? 僕には解らない。ケムラーは軽く深呼吸すると、沈痛な趣で静かに語り始めた。



「私の調査標的であった、ソビエトの科学者はね――という歪んだ性癖の持ち主だったのだよ……」



 パトロール隊の兵士達は一様に、やはりと云わんばかりの驚愕の表情となった。

 しかし、一番驚いたのはだった。


 目の玉が飛び出そうな気持ちを必死に抑えて無表情を作ろうと努力したが、僕の顔は間違いなく赤らんでいた筈だ。

 其の後も彼は聞くに堪えない卑猥な説明を続けるが立場上、僕には口が挟めないので赤面した儘、俯いているしかなかった。

 何という恥辱――しかし此の酷い作戦は予想以上に功を奏したのだ。

 彼等は僕達を其れは丁重にヘッシュ少佐の研究所迄、送り届けてくれた。最初は単車の後部座席に座れと云っていたのに、サイドカーの座席を譲ってくれた。パトロール隊の軍曹が部隊の指揮官や一部の将校に僕の事を報告すると皆、一様に僕に対して憐みの表情を浮かべている。其れとは逆に、ケムラーに対しては侮蔑の眼差しを送っていた。

 彼も其れを知ってか知らずか、シレっとした顔で受け流している。

 機甲化部隊の指揮官などは、「あんな血腥い研究所よりも、当駐屯地で休息していきなさい」との提案をする程であった。ケムラーは確かに嫌な奴ですが、上からの命令ですから仕方なくヘッシュの処へ参りますと、やんわり指揮官の提案を断った。 

 ヘッシュの研究所は此処から歩いて直ぐなのだが、態々車でゲート前迄送ってくれた。車を降りる際に「坊主、よく頑張ったな。之、おじさん達からだ」と云って、飴やチョコレートを沢山貰った。

 僕はおもわず「有難う御座います。其れと信じて下さい、自分は貞操だけは死守したつもりです」と、つい余計な事を云ってしまった。運転手の兵士は、「負けるなよ」と励ましの言葉を投げ掛けて去って行った。

 僕は一応勝手な事をした手前、謝った。


「いやいや、上手いアドリブだったね。許される範疇だよ。中々役者じゃないか」


 僕は少し、いじけて云う。


「其れにしても酷いですよ、あんな嘘……」

「ああでも云わないと、君の長髪の言い訳が立たないじゃないか」


 そうだ、髪の事に気付かなかった僕の自業自得だな――さっさと散髪しとけばよかった。


「其れに君は未だ子供だから解らないかも知れないが、大人の世界ではああ云う嘘の方が騙し易いんだよ。皆、信じていただろ」


 僕は汚れを知らない子供の儘で死ぬのも、案外良いのかなと思ってしまう。



 ヘッシュの研究所前のゲートには守衛が一人しか居なかった。無理もない、守衛隊の類の兵士は恐らく昨夜の戦闘で殆ど戦死してしまった筈なのだ。陸軍部隊への応援要請も未だしていない様子である。僕等にとっては望ましい展開だ。

 ケムラーが身分証を見せると門兵は萎縮して、「申し訳ありません。当施設では唯今、人員が不足しておりまして、御案内も儘ならずに大変失礼いたします」と昨夜、出立した戦闘部隊が未だ帰隊していない事での混乱を如実に呈しているのが、ありありと伝わる。


「いや、案内等は構わないが――其れよりも何があったと云うのかね?」


 ケムラーは、いけしゃあしゃあと尋ねる。彼等の混乱の原因を作ったのは貴方でしょうに――虎の子の戦闘部隊を壊滅させて――僕等は既に分かっている報告を門兵から訊いて、驚いた振りをして心配してみせる。


「ふむ、君達の戦闘部隊が何かしらの奇禍に巻き込まれた事は間違いないだろうが――しかし連絡が無いとはいえ、壊滅の危機に在るとは早計だろう。敵の追撃途中に通信機が故障したとも考えられる。戦場では良く有る事だ。例え壊滅したとしても、此の施設の前には機甲化部隊が駐屯して居るのだから敵襲に際しても、安全面では揺るぐ事は無い。其の辺は私から、ヘッシュ少佐に意見具申しておこう。心配するな、親衛隊はそんなにヤワでは無いだろう。なあ、君!」


 何とも図々しい。どの口がそんな事を云うのだろうか。門兵は御気づかい有難う御座いますと一寸感動していた。真実を知ったら、今云った言葉を後悔するだろうな。

 門兵は何故か僕の事が気になる様子であったにも関わらず、何も訊かずに見送った。ケムラーは此処ではさっきよりも、やり易いぞと僕に云った。最初は何を云ってるのか解らなかったが、直ぐに理解出来た。

 研究所の扉をくぐってから、僕の事を皆が気にしているが、彼の「極秘任務である」の一言で誰も口を出しては来なかった。

 そうか。国防軍と違って親衛隊では――特に此処の部隊はハインリヒ・ヒムラーの直属機関と云われている処だ。ゲシュタポの威光が最大限に使える場所なのである。 

 之ならばもう、あんな下品な嘘を吐かれなくて済むぞ。

 施設内は、やはりバタバタと慌ただしい様子であったが、彼は一人の若い将校を捕まえると居丈高に訪ねた。


「すまないが君、ハルベルト中尉は通信室に居るのかね」

「はっ! 多分そうだと思いますが中尉は今、かなり多忙だと思われます。その……」


 理由は分かっていると云い、其れならばヘッシュ少佐は私室かねと尋ねると、少佐は私室に居ると云う。


「其れと、もう一つ。此の施設に、もう直ぐ本部からスタインベック大尉が来るとの事らしいが、何日頃に到着するのか分るかね」

「大尉殿なら既に着任されておりますよ」

「そうか、其れは好都合。すまないが君、大尉を呼んで来てくれないか。士官食堂にて待っているので」


 若い将校は失礼ですが御名前をと尋ねる。


「ゲシュタポ極東支部、ソビエト方面担当特別捜査官。アルトゥル・マウラー大尉だ」


 

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