第24話 襲撃
闇夜を縫う様に走る三台のトラック。
先頭の古いトラックが不意に停止信号灯を付けて止まった。そしてヘッドライトを規則的にカチカチと点滅させている。如何やらモールス信号を送っている様子である。暫くすると、一キロ程離れた小高い丘の上から返信が来た。其れを読むのはズボルトビッチである。
「ヘヘッ! 中尉殿、如何ヤラ『黒イ鼬』ノ連中ハ全員、眠リ深イソウデスヨ」
裏切り者のミハイル・ズボルトビッチは、厭らしく笑っている。
「よし、予定通り21:00丁度に襲撃を開始出来そうであるな。車はもっと近づけるのか? ズボルトビッチ」
「御任セ下サイ。目ノ前迄、行ケマス」
そう云うと、車をゆっくり発進させた。黒い鼬のアジトを目指して……。
車が黒い鼬アジトの洞窟前に到着すると、其処にもう一人の男が待っていた。
「中尉殿ハ初メテデスネ、私ノ相棒デス」
「オストレギオン間諜院、β・0079号か。確か名前は……」
車から降りたクレッチマーに、近づいて来た男は自己紹介を始めた。
「初メマシテ、クレッチマー中尉殿。私ハ暗号名β・0079号『セミノロフ』ト申シマス。以後、御見知リ置キヲ」
もう一人の裏切り者は黒い鼬の副リーダー、アンドレイ・セミノロフであった。
「如何だい相棒、奴等の具合は?」
「引っ叩こうが蹴っ飛ばそうが、誰一人として起きやしねぇよ。皆、夢の中だ」
「何も知らずに死ねるんだ、幸せだろ」
二人の被るクーバンカ帽には、ナチス親衛隊と同じ髑髏の徽章が付けられている。
セミノロフは全員が深い眠りに付いている事、目標の人物である『スウェーデン行きの客』クルト・ケムラーは洞窟の中央部辺りに寝ている事を伝えた。
クレッチマー中尉は満足そうに頷き、部隊員達に降車する様に合図を送ると全員が微かな物音しか立てず、まるで幽鬼の如く静かに且つ整然と並んだ。其の姿は頼もしそうだと云うより、寧ろ不気味で不吉な感じである。
彼等は自らを超人部隊と自称するが、他の部隊員達からは怪人部隊と揶揄されるのも道理であると、二人は思った。
クレッチマー中尉は小声で部下達に最終指令を伝える。
「よいか、私が指示する迄は機関銃、ライフル銃、ガス弾の使用は禁ずる。ナイフ、消音銃のみで任務を遂行せよ。目標以外のパルチザン部隊員達は必ず皆殺しにせよ」
部下達は沈黙をもって返答とした。
「其れと、捕獲目標である『スウェーデン行きの客』の身体的特徴は、二メートル近い長身の黒髪の白人である。決して間違わぬ様に。又、必要以上に傷付けぬ様に注意せよ。目標が激しく抵抗する場合においてのみ銃器の使用を許可とする。其れ迄は目標に対して発砲は行うな、解ったな。何か質問は有るか?」
再度、部下達は沈黙をもって返答とする。クレッチマー中尉は踵を返して、洞窟に向かい指差し、「行動開始!」と命令を下した。
部下達は各々に手にナイフや消音銃を握り締めて、洞窟内部に侵入を開始した。
セミノロフとズボルトビッチの二人も少し距離を取って後に続く。
「其れにしても、殺すにゃ惜しい女も居るんだがなぁ。嗚呼、勿体無ぇ……」
ズボルトビッチは小声で厭らしく呟く。
「誰だよ? 御針子のナスターシャか」
「あれも良いけどよ、おいらはオーリャが好かったなぁ」
小便臭ぇガキじゃねぇかよと、セミノロフはせせら笑った。
「そんな事ぁねぇぜ。ありゃあ、一端の女に為ってたじゃねぇか」
「ボルシェビキの女共なんざぁ其の内に皆、娼婦にならぁ。其の時になったら、上等なのを好きなだけ抱けや!」
セミノロフは下卑た、女性軽視の発言をすると不意に真顔になり、「身分を弁えぬ愚民共め。何れ為る、新生ロシア帝国の為に一人残らず駆逐してくれるわ」と、怒りの感情を顕わにした。其の言葉に触発されたか、ズボルトビッチも同様に、「赤の手先め等が、覚悟しやがれ!」と拳を叩いて気色ばんだ。ベロロシアの復讐の唸りが静かに上がる。
静寂に包まれた洞窟内、聞こえてくるのは四十一名の寝息だけである。宴の余韻が未だ残っている――久しぶりにハシャイだのであろう、彼方此方で雑魚寝をしている。オイルランプが幾つか点いた儘なので洞窟内部は意外と明るい。セミノロフの仕業であろう。不思議な事に之だけの人数が居るのにも関わらず、大きな鼾や歯軋りをする者が一人も居ないのである。普通、四十人からの人間が居れば二~三人は鼾や歯軋りをする者が居てもおかしくはないのだが――否さ、居ない方がおかしいのだ。
しかし戦場という特殊な空間の中では、何時敵に襲われるかも知れないという緊張状態に常に晒されている為、本来は自制出来る筈のない生理現象迄、止めてしまうというのだろうか? 無意識の防衛本能として。
クレッチマーは其れ等を観て、感じて、民兵ながらに優秀だなと思う。
皆、傍らには武器を置いても有る。酔った状態で有ろうとも、即座に敵襲に対して応戦出来る構えを取れている。
だがしかし、睡眠薬入りのウォッカの効果は絶大であった。幾ら酒に強いロシア人であろうとも、睡魔を抑える事は不可能だった様である。普段なら僅かな足音や息遣いにも、敏感に反応出来るパルチザンの強者共も今は深淵の眠りに付いている。
「我々の作戦勝ちだ……」
クレッチマーは小声で、そう呟くと右手の手刀を首の前で真横に切り――其の合図と共に怪人部隊の隊員達は一斉に行動に掛った。
ある者は眠っている者の口を押さえて、一気に頸動脈をナイフで切り裂く。僅かな呻き声も上げさせず絶命させた。
ある者は消音銃で眉間を近距離から撃ち抜く。やはり、呻き声一つ上げさせずに仕留めていた。一人、又一人と黒い鼬の構成員達が屠られていく。
微かな物音に気付いたか一人の男が薄っすらと目を覚ました。其の瞬間、口を塞がれて喉元を切り裂かれ――其の時の衝撃で眠る時でも被り続けている、御気に入りの鳥打帽が外れ落ちる……。
若い割に幾分、禿げ上がった頭が特徴的な男――ドミトリー・ヴィヒックである。
彼は絶命する寸前に傍らに眠る女性に対して虚ろな目を向け、消え入りそうな声で何かを云おうとしたが、其れは言葉にはならなかった。彼の人生は此処に終の時を迎える。未だ二十四歳の若さであった。
ヴィヒックの身体が崩れ落ちる音に気付いたか、傍らに寝ていた若い女性もゆっくりと身体を起こして目を覚ました。
彼女が寝惚け眼に見た光景は絶望的な物であった。薄明かりの中に息絶える仲間達の無残な屍、屍、屍……。
其れを見下ろし立ち尽くす、ヘルメットとガスマスクを付けた幽鬼の如し敵兵達。
「ひっ⁉」
低く叫んだと同時に、傍らに置いた機関銃に手を掛けるも、次の瞬間に彼女の身体には数発の銃弾が浴びせられた。
消音銃独特の、ポシュッという空気の抜ける小さい音が幾重にも響く。
断末魔を上げる間も無く、彼女は即死した。数発放たれた銃弾の内の一つが、彼女の胸元に飾ってある赤瑪瑙のブローチを砕いた。
砕かれた赤瑪瑙の破片が、まるで赤い星屑の様に彼女の身体に降り注ぐ。
うら若い乙女の生命も、無慈悲な凶弾の前に儚く消え去った。
――オーリャ・ゴムルカ。二十歳の誕生日を迎えたばかりであった。
怪人部隊の連中は殺しに慣れている。
彼等は人を殺すという行為に対して何の躊躇も罪悪感も持たないのだ。
兵士として敵兵を殺す事は名誉という感覚とも違う。寧ろ牛や豚を屠殺するのと同義なのである。其れが自分の生きる為の役割の如しに人を殺めるのである。
戦場の放つ妖気から生まれた魔人達。
クレッチマーは狂気に満ちた笑顔で笑い声を抑えて、此の虐殺現場を眺めている。
物の数分で作戦は終了したかに思われたが、遺体の数を数えていた副隊長の軍曹が少し戸惑った様子で、再び部下に数を数え直させ始めた。其れを見てクレッチマーは訝しみ、「如何した、状況は終了しておらんのか?」と副長に尋ねると、再度部下達の報告を受けた副長がクレッチマーに駆け寄り耳打ちした。
「おかしいです、隊長殿。遺体は三十九体しか在りません。一体、足りません」
「何ぃ?」
クレッチマーの怒りの形相に副長は一瞬たじろぎつつも、もう一つの報告を行った。
「も、申し訳ありません。そ、其れと、もう一点。『スウェーデン行きの客』の身柄も未だ拘束出来て下りません」
クレッチマーの怒りの形相は更に凄みを増していく。顔中に浮き出た血管が、まるでヒビ割れの様である。
「貴様等、誤って殺してしまったのか?」
副長は大きく頭を振って弁明する。
「ち、違います。本官も目視にて確認いたしましたが、『スウェーデン行きの客』に該当する容姿の者は居らなんだのであります」
「では未だ生きては居るのだな」
「はっ、恐らく。もう一名の者と共に」
クレッチマー中尉は暫し考え込むと、後方に居るセミノロフ達に、此方に来いと手招きをした。其れに気付いた二人がクレッチマーの傍に近づこうとした時に、黒い鼬のリーダー、タタモビッチの遺体を見つけた。
――イワノフ・タタモビッチ。此の人の好い中年男の死顔には苦悶や苦痛といったものは見られず唯、茫然とした表情が浮かんでいた。額の真中を撃ち抜かれての即死。恐らく自分が死んだ事にすら気付いていない様子である。
「死んで迄も、巫山戯た野郎だ」
其の表情を見たセミノロフは侮蔑の言葉を発し、彼の遺体に唾を吐きかけた。
「農民風情が、調子に乗りやがって!」
ズボルトビッチは彼の顔を踏みつけた。死者に対しての愚劣なる冒涜行為である。
タタモビッチは偶に意見を違える事は有ったとしても、セミノロフもズボルトビッチも友人だと思い、互いに生命を掛けて戦う仲間だと信じて疑わなかった。
彼の唯一の救いは、二人の裏切りを知らずに逝けた事であろうか。
「貴様等、此の洞窟の出入口は確かに其処の一つだけなのだろうな?」
出抜けの質問に二人は面食らった様だが、クルト・ケムラーが居ないとの報告を聞かされると顔を青くして、「そんな馬鹿な!」と先程迄ケムラーが眠っていた場所に駆け付けたが、確かに其処には彼の姿は無かった。
「そ、そんな馬鹿な⁉ さ、さっきモールス信号を受けた後にも奴が眠っている事を確認したんだぜ。いっ、一体何処へ?」
其れを見てズボルトビッチは洞窟内を小走りに駆けずり回るも、やはりケムラーの死体は見つけられなかった。
「失態だな、貴様等」
そう云ったクレッチマー中尉の顔は、意外にも怒ってはいなかった。逆にクルト・ケムラーという男を、相当の手練であると認識した様である。
睡眠剤をしこたま入れた酒を呑んだにも関わらず、敵襲に一早く気付いて身を隠すとは一流の工作員ではないか。恐らく、薬物に対して免疫を付ける特殊な訓練を積んでいるのだろうな、私と同じ様に――よかろう、相手にとって不足なし! 久々に面白い狩りが出来そうだな――。
クレッチマーは久方ぶりに出会う好敵手に戦闘狂の血が騒ぎ、歓喜している。
副長は其れを読み取り、少し安堵している様だ。之で叱責は受けずに済むと。
「申シ訳アリマセン。シ、シカシ洞窟ノ出入口ハ其処ノ一ツダケデアリマス。奥行キモ、ソンナニ深クハアリマセン」
セミノロフは恐縮しながら答えた。雅か睡眠剤入りのウォッカをあれだけ呑んで、こんなに早く覚醒出来る等とは夢にも思わなかったのだろう。
「敵が予想以上に優れていたというだけの事だ。よし、追撃戦を開始する!」
敵は目覚めている。もう奇襲は効かない。洞窟の奥で、あの恐ろしい刀と拳銃や手榴弾を持って待ち構えて居るのだ。其れでも命令は生け捕りにせよか、まったく面倒だな。でもクレッチマーは嬉しそうにしてやがるな……戦闘気狂いめ。
畜生、やはりあのケムラーという男は、一筋縄ではいかぬ相手だったか。そう思いながらセミノロフは一人、歯噛みした。
「おい! もう一人の生き残りはどんな奴なのだ?」
不意の副長からの質問にセミノロフはハッとしたが、ズボルトビッチが直ぐに受け取って答えた。
「心配アリマセン、モウ一人ノ生キ残リハ子供デス。狙撃上手イデスガ、肉弾戦トナラバ問題外デスネ」
報告を聞いてクレッチマー中尉は少し拍子抜けした顔になり、其の子供は射殺しても宜しいかとの問いにも興味無さそうに、「かまわん」と、ぶっきらぼうに答えた。あくまでも手応えのある相手が好みの様だ。
「もう一人の生き残りはマルコの小僧だったか。あいつも色んな意味で運が良いんだか悪いんだか」
「ユダヤ人とゴキブリはしぶといもんさ。だが、あの小僧の悪運も此処迄よ」
ふとセミノロフは思い出した。そういや、あの小僧、最近は何時もアソコで寝ていたっけな。もしかすると……。
「中尉殿。小僧ハ、アソコニ居ルカモ」
そう云って、セミノロフは十メートル程先の木箱を指差した。
其処は黒い鼬の連中が武器庫と呼ぶ一角である。文字通り武器の集積場所で、其処の一段高い岩の上に置かれた空の木箱をベッド代わりにして、最近のマルコは其処でよく眠っているのであった。
「御安心クダサイ、アノ箱ノ中ハ空デス。爆発物ハ入ッテイマセン。モシ中身ガ有ルトスレバ――ユダヤノ小僧ガ一匹ダケデス」
其れを聞くとクレッチマー中尉はニヤリと笑い、副長に云った。
「聞いたろう。小さな虫が一匹、居るそうだ。駆除しろ」
副長もニヤリと笑い、手に提げたベルグマン短機関銃を件の木箱に向けた次の瞬間――。
「撃てるものなら撃ってみろ! 大爆発に巻き込まれてもいいのならばな‼」
突然の怒鳴り声に副長は驚き、其処でクレッチマーは素早く銃撃中止の合図をした。ある異変に気が付いたからだ。
「微かだが――オイルランプ以外の油の臭いがするな」
クレッチマーがそう呟くと、周りの兵士達はビクリとした。此の男、薬の所為で通常よりも五感が研ぎ澄まされている様だ。
「随分、鼻と感が利くな。中尉殿」
マルコの問い掛けにクレッチマーは怒りの形相で低く一言、呟いた。
「小癪な……」
木箱と兵士達の奇妙な睨み合いが続く。
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