第25話 死なばもろとも

 之より少し前に時間を遡り、マルコは覚醒していた。ケムラーの御陰で殆どウォッカを飲まずに済んだマルコは睡眠剤の効き目も少なかった様である。

 木箱のベッドの中で微睡んでいたマルコは聴き慣れた言語に、うつらうつらと耳を傾けていた。

 嗚呼――懐かしい言葉だな。意味が瞬時に理解出来るぞ。何々、『状況を報告せよ』、『三十四、三十五、三十六』、数を数えてる?  

 何でだろう? 『酒に睡眠剤』……。


 えぇっ⁉


 馬鹿な‼


 ドイツ語⁉


 僕は一瞬にして覚醒した。木箱の隙間から外を見渡すと、其処には信じ難い――いや、信じたくない光景が映る――。

 仲間達の屍の山……其れを見下ろす敵兵達の不気味な姿が……。 

 何て事だ……皆、殺されてしまったのか⁉ 僕以外、一人残らずに⁉

 嫌だ、嫌だ、誰か嘘だと云ってくれ‼


 目の前がクラクラする――心臓がバクバクと波打つ――頭の中で脳がグツグツと沸き立つ様だ――あの日と同じ感覚だ。

 父さん母さんに親類縁者、同胞達が斃されたあの時と……。

 こんなに悲しく、悔しく、絶望的な経験をするのはもう沢山なのに。

 何故、僕だけ生き残る! なんで又、僕だけが‼ どうせなら一緒に逝かせてくれれば良いのに……エホバの神よ、貴方は残酷だ‼

 もう嫌だ……耐えられない……。

 其処に少しぎこちないドイツ語が聞こえてきた。明らかにロシア訛りがある。

 僕は涙を拭い、息を殺して目を見張る。声の主は――ズボルトビッチにセミノロフ⁉ 何て事だ――ズボルトビッチは未だしも、セミノロフがオストレギオンの間諜員? 裏切り者だというのか……信じられない……。


 全てを額面通りに受け取るな。


 セミノロフ――貴様の云っていた意味が解ったよ。今は戦時、此処は戦場と云う事なのだな。裏切りは日常茶飯事、見抜けぬ方が間抜けと云う事か――厭な時代だな。


 最早、之迄か……。


 僕はパルチザンに身を投じた時から、常に『死』を隣に置いてきたのだ。此処で死ぬのも仕方が無い。唯、ヘッシュを殺れなかったのだけは悔しいが。

 こうなれば、一人でも多く道ずれにしてやる! 僕は何時もズボンのポケットの奥深くに忍ばせている包帯の玉を取り出し、其れを解いた。中身は卵型手榴弾である。   

 之を目の前の武器集積所の爆薬付近に落とせば、かなりの爆発力が望める。心臓の鼓動が更に高鳴る……落ち着け、落ち着け、落ち着け……深く静かに息を吐く。

 最期の時が近付く。之で僕の人生は終わるのか? 何だか実感が湧かない。しかし、どう考えあぐねても僕の生きられる確率は皆無だろう。そう結論付けたら何だか少し楽になって落ち着いてきた。

 よし、黒い鼬の最後の一人として意地を見せてやる‼

 短い時間だが、やれるべき事をやり尽くそう。僕は上着のポケットの中から火炎瓶取り出し、中身の油を木箱の隙間からそっと下の武器集積所に垂らした。上手くいけばマッチの火か銃撃の火花ででも爆発させられる。其の間の時間差を使って、手榴弾と拳銃で更に多くの敵を倒せるかも知れないぞ。


 ズボルトビッチ、セミノロフ――貴様等だけは黒い鼬の名に懸けて、必ず屠ってやる‼


 奴等は僕の死体が無い事に気付き、洞窟の奥に来る筈。其の時が勝負だ!

 ドイツ軍部隊の会話に聞き耳を立てていると、ケムラーが居ないと云っている。

 そうか、目標は彼か。当然と云えばそうだろう。彼は黒い鼬にとって、招かざるべき客であったな――とは云え、彼に罪が有る訳では無い。戦場は常に殺るか殺られるかだ。

 しかし、さっきのドイツ兵の話だと御酒に睡眠剤を混ぜたというのに何故、彼は襲撃より早く目覚める事が出来たのだろう?

 薬が効かない様に特殊な訓練でも受けているのだろうか? 前に秘密諜報員は、そんな訓練をすると聞いた事があるけど。でも未だ身体は余り動かないんじゃないのかな。彼、大分呑んでいたから睡眠剤の効果も、其れなりに持続しているんじゃないのかな。だから身を隠したのかもしれない。隠れるとすれば洞窟の奥だな……如何する……彼も何かの作戦準備中かもしれない。爆発に巻き込んでいいものか、少し様子を見るべきか、そんな事を考えている内にセミノロフが僕の寝ている場所を云い当てた。


 不味い、最悪の展開だ。


「聞いたろう。小さな虫が一匹、居るそうだ。駆除しろ」中尉と呼ばれている、恐らく部隊長の男がそう命じた。


 僕の居る木箱に副長と呼ばれる男が短機関銃を向ける。此の儘では何もせずに殺られてしまう。こうなったら出たとこ勝負だ‼

 ケムラーさん、許してください。貴方を巻き込む事に成りそうです。でも僕はやらなければない、無残に散った仲間達の為に‼


 僕は腹の底から、大声で怒鳴った。



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