第22話 其の名はクルト・ケムラー

 中庭では既にクレッチマー中尉が守衛隊を集めて点呼を取っている。其処に現われたヘッシュ達に気付くと、踵を返して御決まりのローマ式敬礼を翳した。


ヒトラーハイル・万歳ヒトラー! ヘッシュ所長殿。守衛隊、総勢三十三名揃いました。之より我が隊は暗号名『スウェーデン行きの客』の確保及び、パルチザン部隊『黒い鼬』掃討作戦へ向かいます‼」


 ヘッシュ少佐は然も満足そうに顔を綻ばせて、「クレッチマー中尉、並びに守衛隊の諸君、戦果を期待しているよ」と激励の言葉を送った。

 出撃する部隊の後ろに、いやに汚い車が一台止まっていた。随分と古い型のTEGのトラックである。恐らく先の大戦の時にでも使われていた物が民間に流出したのだろう。当時は高級な輸入車だったのだろうが、今となっては時代遅れのポンコツである。其の車の横に一人、民兵の恰好をした男が立っている。如何にも小悪党といった顔立ちだ。あれがパルチザンに仕込んだという間諜員だろう。確か、β・0085号とかいっていたな。


「其れでは本作戦の最終確認を行う!」


 クレッチマー中尉が自分を鼓舞するかの様に大声を張り上げる。


「一つ、ソビエト連邦の『人造強化人間』計画に関する資料等の奪取」

「一つ、其れを所有する人物、暗号名『スェーデン行きの客』の身柄の確保。但し、彼の人物は手練との情報もあり、油断せぬ様に心掛けよ。しかし絶対に殺してはならぬ! 必ず生かして捕獲する様、留意せよ!」

「一つ、彼の人物の潜伏先、パルチザン部隊『黒い鼬』のアジトに居る構成員は全て抹殺処分とする! 『人造強化人間』の情報を知る可能性の有る者達は一人として生かして措いてはならない! 以上‼」


 ライフル銃や機関銃を持つ者が少ないと思ったら、代わりに消音器付きの拳銃を持っている者が多い。成程、夜間戦闘ね。殺しは静かにやれと云う事か。

 迷彩服に軍靴には足音を消す為のクッションカバー、全員ガスマスクを装着している処を見ると、ガス弾も携帯している様だな。中々決まってるじゃないか、一寸した特殊部隊気取りだな。クレッチマーだけがガスマスクを付けず、ゴーグルと首元にスカーフを掛けて顔を晒しているのは一寸した演出か? 其れとも自分は特別だという意思表示かな。あいつ結構、自信家だな。


「総員、乗車せよ!」


「了解!」と気合の入った掛声と共に、二台のトラックに分譲して隊員達が乗り込む。


「ズボルトビッチ、先導を頼むぞ。貴様の車に本官も同乗する」


 そう聞くとズボルトビッチと呼ばれるオストレギオンの男は、「了解デアリマスス、中尉殿」と少し訛ってはいるが、キチンとしたドイツ語で答えた。如何やらドイツ語が通じる様だな、僕はマウラーを撒いた程の腕を持つ、ソビエト政府の諜報員『スウェーデン行きの客』に興味を覚えていたので、彼に件の男の事を尋ねてみようと思い声を掛けた。


 「やあ、勇敢なるオストレギオンの戦友君よ。一寸、話を訊いてもいいかな?」


 そう云いながら近づくと、クレッチマー中尉がズボルトビッチに向かい、「敬礼をせんか無礼者が!」と怒鳴り、「此の方を何方と心得る。我が親衛隊の英雄フランツ・スタインベッック大尉殿であらせられるぞ‼ 大尉殿が今迄にこなされた、数々の功績は……」と余分な口上を語り始めたので、「まあ、其の辺の事はいいから」と話を切り上げさせた。どうも彼は僕の事を無駄に尊敬し過ぎている。此の事でズボルトビッチは緊張してしまい、「ハ、始メマシテ、オ、オ目ニ掛カリマス。ミハイル・ズボルトビッチト申シマス!」とガチガチになりながら名乗り上げた。


「いやいや此方こそ申し訳ない、出撃前の忙しい時に。『スウェーデン行きの客』に付いて一寸、訊いてみたくてね。どんな奴なんだい其の男は? 君の所見でいいから」


 彼は少し、逡巡してから答えた。


「ハ、ハイ、言葉デハ云イ難イノデスガ、確カニ只者デハ無イ感ジガシマス」


 もっと具体的に報告せんかとクレッチマーが叫ぶと彼は又、ビクリとした。僕は手でクレッチマーを遮り、優しい口調で話の続きを促すと幾分か安心した様に語り始めた。


「ハイ、仲間カラノ報告デハ、凄イ剣ノ使イ手ダソウデス。人間ノ首ヲ、スッパリト切リ落トスソウデス」


 クレッチマーが興味を示し、ナイフではなく剣を使うのかと真剣な顔で口を挿む。


「ハイ、日本ノ剣トノ事デス」

「え?」


 僕の思考回路は一瞬、停止した。其れでも何とか気を取り直して、平静を装い『スウェーデン行きの客』に付いて再度訊ねる。


「あ、ああ。其れは物騒な奴だねぇ……他に何か情報は無いかな? 例えば、見た目とかでも良いんだけど……ほ、ほら、報告書に特徴有る容姿で見間違える事無いってあったじゃない。どんな感じなのかなぁ……」


 必死に平静を装うも、やはり心の動揺は隠し切れずに少し言葉が上擦ってしまう。


「ハイ、確カニ特徴有リマス。背丈ハ二メートル近ク有リマス。肌ハ、病人ミタク真白デスネ、髪ハ鴉ミタイニ真黒デス。アト、眼ガ一寸コウ――何テ云ウカ……」


 ズボルトビッチのゼスチャーに斜視しているって事か? とクレッチマーが付け加えると、「ハイ、ソウデス」と答えた。


 「………」


 僕の思考回路は再度停止する。いけない、気を引き締めねば。僕は再び平静を装って最後の質問をする事にした。


「ふ、ふ~ん。そ、其れは不気味な奴だねぇ……で、ソイツは何て名乗ってるの?」

「ハイ、秘密諜報員ノ事デスカラ、本当ノ処ハ判リマセンガ……本人曰ク、ドイツ系ノ、スイス人『クルト・ケムラー』ト名乗ッテオリマス」


 僕は眼球が飛び出してしまいそうな程の驚きを必死に隠していると、其の後からヘッシュ少佐がやって来て、「其れでは、クレッチマー中尉。君に勝利の栄光が在らん事を!」と云い放つと、周りから一斉に「勝利万歳ジーク・ハイル」の掛け声と共に敬礼が翳された。

 クレッチマー中尉は感極まった表情で、之に応えて自身もキッチリとしたローマ式敬礼を翳すと、ズボルトビッチと共に車に乗り込んだ。車窓から身体を乗り出し、後方のトラックに合図を送ると「勝利万歳ジーク・ハイル‼」と再度敬礼を翳し、まるで古代ローマの将軍の如しに意気揚々と出立して行った。

 僕も唯、茫然と周りに合わせて敬礼を翳して見送るしかなかった。



 車両群が見えなくなると、見送りに出ていた者達も各々に屋内に戻り始めた。

 ヘッシュ少佐は上機嫌で高らかに笑いながら、一杯どうかね? と誘って来たが未だ用事が有るのでと断った。僕は今、そんな事をしている場合ではないのだ。

「其れは残念だな。まあ、気が向いたら士官食堂へ寄ってくれたまえ」と社交辞令を云いながら少佐は去って行った。

 僕はハルベルトを急いで見つけ出すと、直ぐさま駆け寄って睨みつけた。しかし彼は素知らぬ顔でソッポを向く。


「やったな……」

「何をだべ?」

「例の『スウェーデン行きの客』とやら、名前を『クルト・ケムラー』と名乗っているそうじゃない。之、どうゆう事かな」

「ほう、同名異人か。よく在る事だべ」


 彼はシレっとした顔で云い放つ。あくまでも惚けるつもりの様だな。

「其れ、本気で云ってる?」と僕は怒りの表情も顕わに云うが、彼に掛かると暖簾に腕押しである。


「別にソイツが同名異人だろうと、本人だろうと関係ねぇべや。掛かる火の粉を振り払う能力が無けりゃあ死ぬだけだと、何時も互いに云い合ってるべ、違うべか?」


「其れは、そうだけど……」と云い淀む僕を制して、彼はピシャリとたたみ掛ける。


「其れに誓って云うべがな、『クルト・ケムラー』という名前を聞いたのは今が初めてだべ。オストレギオンの間諜員共、目標の暗号名だけで、本人が名乗る名前を報告しなかったんだべ」


 そう云って彼は先程の報告書の束を僕に押し当てた。確かに『クルト・ケムラー』の名は見当たらない。


「まあ、今となっては如何する事も出来ねぇべ。成り行きを見守るべや」


 彼はそう云って話を無理矢理に纏めた。今からだって、出来る事は色々と有るだろう。でも今此処で僕が動けば、想定を遙かに超えた荒事に成る可能性が大だしなぁ。

 ハルベルトの言を借りる訳ではないが、彼の能力を信じて待つのが得策かな?

 そうさ、今迄も彼はあらゆる窮地を、幾度となく切り抜けて来たじゃないか。今回も信じて待ってみよう。そうゆう結論に至ったら、何だか急に御腹が空いてきたので、晩御飯を食べようと酒保に向かおうとした時、ふと気付いた。

 オストレギオンの間諜員からの入電。もし受けたのがハルベルトだったのなら、幾らでも内容を改ざん出来るじゃないのか? 例えば報告書から、『クルト・ケムラー』の文字を消す事も……。


 まあ、いいか。取り敢えず晩御飯を食べに行こう。

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