第21話 スウェーデン行きの客
スタインベックは兵員食堂で、テーブルに片肘を付いて少々ウンザリしていた。
彼は士官にも拘らず、堅苦しいのは好まぬ性質なので食事や御茶は元より、一杯引っ掻ける時でさえ、士官食堂や特別室は使わずに共同酒保に赴いていた。又、そうする事によって下士官兵達と懇意になれれば、より多くの情報が得られる利点が有ると彼は思っているのだ。実際、彼は人気者で情報通だ。
しかし、此の部隊の兵達とは余り仲良くなりたく無いなと、心の中で愚痴っている。好みの男が一人も居ないのも気に入らない。
「そうしたら、血泡がブクブクでよ……」
「ハハハ、子供は脆いな」
さっきから胸のムカつく、殺し方自慢の話が止まらない。其れも戦闘での殺しなら未だしも、全て捕虜への虐待行為である。
此処の部隊員達は烹炊、営繕班と守衛隊員を除けば、大抵が医科大学や一流大学の学生や医療従事者達で構成されている。所謂、エリートや良い所育ちの坊ちゃん連中である。そんな青瓢箪達でも、一度軍服に袖を通せば戦士と変わる様だ。下手に頭と育ちが良い分、性質の悪い狂戦士に。
戦争の狂気の良い例だ。平時なら決して、そんな事は犯さないだろう知識階級の人間達が、いざ戦時となると率先して理性の箍を外してしまうのだ。人を殺さなければ一人前になれない、敵性民を殺す事が国家への奉仕になる、そんな風潮が彼等をより残虐に仕立てるのだろう。
しかし此の目の前に居る若い兵士達は敵兵との戦闘体験は殆ど無く、逃げ惑う敵性一般人ばかりを殺してきた輩だ。
――肌に合わない――自らは闘わず、別の誰かが捕らえて来た捕虜を嬲り殺すだけで、一丁前の戦士の振りをしている様な奴等は。
何だかアレに似ているな――昔、西洋中で魔女狩りと称して無実の女達を攫って来ては拷問に掛けて殺しまくっていた、キリスト教の坊主共に――。苛烈な拷問により虚偽の自白をさせては磔刑に掛けて悦に浸っていた、あの狂人共……。
普通に考えて、自分達のやっている事が正しいとは思わないだろう。唯、自分の持つ権限で他人を征服する喜びに――本来、人間が持つ可虐性を最大限に使える快楽に酔いしれていたのだ。其れを正義だと偽って――神の名の下の大量殺戮……。
本当に肌に合わない、僕の一番苦手な人種共だな。ハルベルトの云っていた軍隊ゴッコのやり過ぎという言葉が身に染みてくるな――早い内にナチスという処からフケとかないと――変な思想が感染したら困るしね。
ハルベルトの様にどんな場に居ようとも、自分の目的以外には無関心でいられる境地には中々、至れない。本当に達観しているよなぁ、彼は……。
不意に同席していた若者達が、「処で大尉殿は、今迄に何人位の敵を仕留められたのですか?」と、くだらない事を訊いてきた。
答えるのも億劫だ。僕はガラにもなく、少し無頼を気取って返答してみた。
「そんなモノ、一々数えちゃあいないよ。唯、目の前に立ち塞がる奴等を排除してっただけさ」
「そ、そうでありますか、流石ですね……」
若い兵士の一人が妙に上擦った声で、そう答えると急に周りが静かになった。思った以上に効果が有ったな。自分で云うのも何だが僕は童顔である。しかし童顔の者が其の容姿に似合わない過激な言葉を発すると、意外に怖い様なのである。チンピラがガナリ立てるのとは違った怖さが有る様だ。
僕の場合は多くの作戦行動を完遂させている実績が有るので尚の事、不気味に感じたのであろう。皆、僕から視線を逸らせている。
自分としては人に怖がられるというのは一寸凹むのだが、強者気取りの青瓢箪共に五月蝿くされるよりかは良いだろう。
嗚呼、此奴等に比べると先刻に決別したグランス伍長は好かったなぁ……彼はあらゆる意味で此奴等とは真逆の存在だった。
以前に彼は僕に向かい、こう告白した。
「大尉ィ。実は俺、未だ人を殺した事無いんすよ。機会は有ったんすけどねぇ、びびって撃てなかったんすよ」と云って、ケラケラと笑っていたな。
兵士としては情けないが、人としては微笑ましい。ある意味、彼は戦時という状況に措いても決してブレない、一本筋の入った人間なのかもしれない。
いや、其れはやっぱり褒め過ぎか――何にしても上手く逃げ切れよ、グランス。
そんな事を心の中で呟いていると、廊下の方がバタバタと慌ただしくなった。如何やら何事か有った様だな。
「守衛隊、集合―‼」
「守衛隊員は速やかに対夜間戦闘装備に着替えて中庭に集合せよ、急げー‼」
クレッチマー中尉の怒号が響く。緊急招集か――其れにしても夜間戦闘装備とは、何処かの逸れ部隊に夜襲でも仕掛けるのかな? 酒保の中に居た守衛隊員達は、慌てて飛び出して行った。他の兵達もザワ付きながら、ニヤニヤと笑い合っている。
「又、新鮮な実験体が手に入るかもよ」
「なるべく壊れていないのが好いねぇ」
一々、ムカつく事を云う。本当に腹の立つ連中だな。いざ事を起こす時には、此奴等に遠慮は要らないな。まあ、出来れば静かに去れるのが一番なのだけど。
クレッチマー中尉が僕を見つけて声を掛けてきた。先程よりも筋肉の肥大が、やや見られる。又、投薬したな――身体の崩壊が近そうだ、恐らく今年いっぱい持つまい――肉体の高揚感を貪ったツケは大きいぞ。
「之は大尉殿! こんな所に御出ででしたか。相変わらずでありますな」
敬礼をすると胸ボタンがはち切れそうだった。
「ああ。相も変わらず、堅苦しい士官専用室は性に合わなくてね。何時迄経っても、こんなんじゃぁいけないのだろうけど」
「そんな事はありません! 其れでこそ我々の信頼する大尉殿であります!」
信頼するか――其れは止めた方が良いだろう。僕は君達の想像する埒外の者だからね。
「処で中尉、之は何事だい?」
取り敢えず何が有ったのか知りたいので、緊急招集の理由を尋ねてみた。
「はっ! 御報告致します。先刻14:45我々がパルチザンに潜入させている、オストレギオンの間諜員より、『スウェーデン行きの客』つまり、人造強化人間の情報を持ったソビエト連邦の諜報員を発見、監視しているとの連絡が入りました。之により、当部隊長ヘッシュ少佐及び、クレメント中尉、作戦士官協議の元に、18:30我等、守衛隊に彼の人物の捕獲命令が下されました。以上!」
僕、ツイてる! いきなり人造強化人間の情報が転がり込んで来た‼
しかし彼の人物とやら――恐らくマウラーを撒いた奴だ、相当の腕利きだろう。守衛隊の連中だけじゃあ、イマイチ心許無いな。よし! 僕も付いて行こうと思った矢先に酒保の扉の前にハルベルトが立っていた。
彼は素早く、僕達だけに通じる指信号を送って来た。僕は周りに悟られぬ様、さり気無く眼を凝らして信号を読んだ。
《オマエ・ハ・イク・ベカラズ》
御前は行くなか……彼の事だから何か考えが有るのだろうが、でも目の前のクレッチマー中尉は僕が付いて来てくれる事を期待している顔で、僕の返事を待っている様子が在り在りに解かる。散歩に連れて行ってほしい時の仔犬の表情と同じである。
さて、如何するか――仕方ない、もう一度無頼を気取ってみるか。僕はなるべく興味無さそうに振舞ってみせる。
「ふ~ん――民兵に諜報員か……歯応え無さそうだねぇ~」
此の台詞にクレッチマー中尉はビクリとする。よしっ! 好い反応だ。
「ハハ、た、大尉殿の腕に掛かればそうで有りましょうな……」
よしよし、びびってる。もう一息。
「ああ。最近、そんなのばっかり相手にしていてね、雑魚には少々食傷気味なんだ。せめてソ連の特殊部隊か、アメリカの空挺部隊位の相手がしたい処だねぇ」
「ハハハ! 然も有りましょうな、大尉殿の腕ならば。何れ其の様な敵と相見える時は不肖、此のクレッチマーも是非、御供させて頂きたいと願っております!」
完璧だ。之で彼から僕を誘って来る事は無いだろう。其の予想通りにクレッチマー中尉は、「其れでは本官は之で失礼致します!」と云って、キッチリとした敬礼を翳してから去って行った。入れ替わりにハルベルトが、ニヤニヤしながら酒保に入って来た。
「中々の役者だべ。上手いもんだぁ」
彼は笑いながら小声で囁いた。
「詳しく話を聞きたいなぁ、取り敢えず一杯どおぉ……」
僕は自分のウイスキー瓶を軽く翳した。
彼はコップに注がれたウイスキーを一息に呑み干すと、安物だなと毒を吐いた。
「今は戦時、贅沢云わないの。其れより早く説明してよ」と促すと、「じゃあ、簡単に説明してやるべ。大した事じゃねぇべがな」と軽い調子で云い放った。
酒保の中は、もう殆ど人が居なかった上に、離れた食席に疎らに四~五人が座っているだけなので、遠慮なく話が出来る状態である。
彼は懐からタイプ打ちの書類を数枚取り出して、淡々と文面を朗読した。本当に簡単で事務的な説明を。
14:45、オストレギオン間諜員、β・0085号より、入電有り。
《・『スウェーデン行キノ客』・現ワル・現在・パルチザン・『黒イ鼬』・アジト・ニテ・三日間・居留・決定・以後・監視・続ケル・指示・仰グ》
14:46、ヘッシュ所長に報告。
幹部所員招集し、緊急会議開催さる。
15:00、β・0085号へ送電。
『スウェーデン行きの客』を確実に足止めする為に酒宴を開く事を提案する。又、先に渡した睡眠薬を使用されたし。目標は必ず生かして捕らえるべし。
「僕が御昼後の間食食べてた時に、そんな事やってたの?」
そう云うとハルベルトは呆れて云う。
「御前ぇは何回、飯食ってんだべ……」
16:56、オストレギオン間諜員、β・0085号より、再入電有り。
《・『スウェーデン行キノ客』・『黒イ鼬』・アジト・歓迎会・酒・入手・成功・睡眠薬・多量・有リ・使用・可能・指示・仰グ》
「僕がオヤツ食べてた時の頃か……」
そう云うとハルベルトは怒って云う。
「御前ぇは、どんだけ食ってるだ!」
17:25、β・0085号へ送電。
当部隊は『スウェーデン行きの客』を今夜に捕獲する事を決定した。21:00を目途に強襲部隊が『黒い鼬』アジトへ向かう。他のパルチザン構成員は処分する為、確実に眠らせておくべし。又、目標には危害が及ばぬ様、安全に留意せよ。
18:20、オストレギオン間諜員、β・0079号より、再入電有り。
《・『黒イ鼬』・構成員・全員・睡眠薬・入リ・酒・多量・摂取・セリ・21:00・眠リ・深イ・事・確実・ナリ・目標モ・同様・ナリ・目標・目立ツ・容姿・ナリ・間違ウ・事・無シ・強襲部隊・到着・待ツ・》
18:30、クレッチマー中尉に下命。
守衛隊は今夜、パルチザン部隊『黒い鼬』に対し、夜間襲撃を慣行せよ。襲撃予定時刻は21:00とする。又、本作戦において目標である、暗号名『スウェーデン行きの客』の身柄は確実に、生かして捕獲する事を厳命する。
「僕が一杯呑んでる時……つまり今か」
そう云うとハルベルトは先手を取って云い放つ。
「御前ぇ……雅か此の後、晩飯食うつもりじゃあねぇべな」
「駄目なの?」
「勝手に食え……」
此の流れで晩御飯を食べるのは憚られたので、僕はウイスキーをもう一杯だけ空けてからハルベルトと共に酒保を出た。其れにしても、僕を行かせたくなかった訳は何だろう? 其処の処を聞き忘れたな。
マウラーを撒いた程の腕利きと争うのは危険と思ったからかな。まあ、彼は僕に優しいから、そうゆう気遣いをしてくれたのだろうと思おう。
其れよりも、そろそろ守衛隊の連中が中庭に集合し終える頃だな。流石に立場上、見送りにでも行こうかと二人で話していたら、廊下の向こうからヘッシュ少佐達がゾロゾロとやって来た。
「やあ、スタインベック大尉。今回の作戦の事は聞いたかね? 君に黙って兵達を動かすのは、如何なものかと思ったのだが――大した危険は無いと判断したのでね……」
ヘッシュ少佐は少し、ドギマギしながら言訳がましく云った。
スタインベックは此の研究所の撤収作戦の指揮を取るべく、派遣されている。其の彼の了承を得ずに今回の夜襲を決行した事に対して、多少の後ろめたさを感じている様だ。当然であろう。もし彼が今回の作戦に反対したら、幾らヘッシュ少佐でも其の意見に従わざるを得ないのである。
しかしヘッシュ少佐は何を差し置いても、人造強化人間の資料が少しでも欲しいのである。既にソ連軍が実戦投入を開始しているという事実は、彼のプライドを著しく傷付けたのだ。先を越された事に対する遅れを少しでも縮めなければという焦りから『スウェーデン行きの客』の早期捕獲を強行したのである。スタインベックには内密にしてでも。
万が一、反対された時の為に先に既成事実を作ってしまおうと思ったのである。彼の性格ならば、そんなに強く反対される事は無いと思いつつ――だから彼に対して少し怯えた感情をもっているのだ。
でも其れらはやはり杞憂である。スタインベックは兵の損耗を案じて、今作戦を見送る等とは云いはしない。何故ならば彼は此の施設の撤収作戦でさえ、真面には考えていないからだ。勿論、ヘッシュ少佐自身はそんな事は露程も知らぬ事だろうが。
「いやいや、とんでもありません。ソビエトの人造強化人間の情報なら、是非とも欲しいでしょう! 本作戦の成功、祈っておりますよ、ヘッシュ少佐」
予想通りの返答とは云え、拍子ぬけする程にあっさりと認めてくれたので、取り敢えずは胸を撫で下ろした様だ。
ハルベルトは心の中で、「本当にこいつは小物だべ」と嘲笑っている。スタインベックも同意見だろう。
「では、勇敢なる精鋭達の見送りに参りましょうか」
スタインベックの一言にヘッシュ少佐も同意を示し、皆で連れ立って中庭に向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます