第19話 疑惑のウォッカ
各々がコップを持って酒瓶の周りに集まり始めた時に、「おいっ‼」と凄い怒声を上げてセミノロフが帰って来た。皆の御帰りの声も聞こえぬかの様にツカツカとズボルトビッチに向って行き、彼の胸倉を締め上げた。
「おい、手前ぇ! 此の酒、何処から調達して来やがった‼」
「な、何だぁ……お、おいらの持って来た酒にケ、ケチ付けんのかよ⁉」
「うるせぇ、俺の質問に答えろ! 何処から手に入れやがった‼」
セミノロフの剣幕にズボルトビッチのみならず、周りもたじろいだ。
「な、何だよ。『赤い鼠』の連中だよ……」
「何ぃ~、赤い鼠だぁ……」
セミノロフの怒りが更に増した様だ。無理もない、赤い鼠はパルチザン部隊の間でも評判が宜しくないのだ。彼等は敵兵以外に民間人からも略奪を行うと噂されているのである。勿論、彼等は否定しているが真偽の程は定かではない。其れ故に此の辺りのパルチザン部隊は、赤い鼠との接触を極力避けているのである。
「手前ぇ! あんな野党紛いの連中とは付き合うなって、散々云っといただろうが‼」
セミノロフが更に強く締め上げた為にズボルトビッチは、「うげぇぇ……」と苦悶の声を漏らした。之には流石に周りが慌てて何とか二人を引き剥がしに掛り、リーダーが青い顔で必死に宥めに入った。
「よせよぉ、アンドレイ! こいつだって、皆の為にやってんだからよぉ、そんなに怒る事ねぇだろぉ‼ なあ、落ち着けよぉ」
ズボルトビッチはゲホゲホと咳き込みながらも、セミノロフに咬みついた。
「へっ、何だよ。おいらが酒を手に入れて来たのが羨ましいのか? 口惜しいのか? ハッキリ云ってみろってんだ‼ 其れに教えといてやるがなぁ、此の酒は赤い鼠のアジトの村で昔っから作ってるモンなんだよ! 何処かから、かっぱらって来たモンなんかじゃあ、ねぇんだぞコラぁ‼」
「よせよ、ミハイル! 御前ぇもムキになるんじゃあねぇよ!」
「別に羨ましくも、口惜しくも有りゃしねぇよ……それより手前ぇ、此の酒の対価に何、払いやがった? あぁっ‼」
セミノロフが問い詰めると、ズボルトビッチは少し逡巡した後に云い放った。
「おいらが拾い集めた武器だよ。ドイツ軍の機関銃とか拳銃とかな。MP41とか、ワルサーにラドム――其れに……」
「其れに――何だ?」
「あ、後はよ……パンツァーファウストを、す、数本だよ……」
「対戦車ロケット迄、くれてやったのかい――随分と気前の良い話だなぁ」
「そ、そんなに高ぇ買い物じゃあねぇよ。み、見ろよ、此の酒の量を! 拾い物と交換したんだ! 充分、得してんだろうが‼」
ズボルトビッチは交換した品の個数等を正確には親告しなかった。多分、相当な量を奮発したと想像出来るな。其れにしても貴重な対戦車兵器を手に入れられたのに、アッサリと横に流すなんて……其処迄しても御酒って、欲しい物なのかな?
子供の僕にはイマイチ理解しづらい事である。突然にセミノロフは酒瓶の蓋を開けて、クンクンと臭いを嗅ぎ始めた。之に驚いたズボルトビッチの、「手前ぇ何してんだ」との問い掛けに、セミノロフは真面目な顔で答えた。
「変なモンが入ってねぇか、確かめてんだよ。工業用アルコールでも入れてカサ増しでもされてちゃあ、かなわねえからな」
「て、手前ぇ! おいらがそんな紛いモン、掴まされる訳ねぇだろうが!」
怒りに震えるズボルトビッチの肩を押さえる様に、リーダーが言葉を継ぐ。
「まあ、良いじゃねぇかミハイル。アンドレイが今、調べた通りに混ぜ物も無ぇ、出所は確かな酒なんだし――其れにミハイルだって相場は解ってるさ。損な取引はしねぇよ。其れに何より、同志ケムラーの歓迎の宴に之以上、水差すのはよそうぜぇ」
リーダーが何時もの様に、おちゃらけずに意外にも真面な仲裁に入ったので、之にはセミノロフも感心した様子で渋りながらも納得するしかなかった。
「そうだな……之以上、同志ケムラーの前で、みっともねぇマネは晒せねぇな。けどなミハイル、今度から何か取引する時にゃあ、必ず俺を通せ。分かったな‼」
ズボルトビッチは未だ何か云いたそうだったが、之以上話が拗れるのは得策ではないと思った様で、眉尻を顰めながらも、「了解したよ。副リーダー殿」と、ふてぶてしく返事をした。
「よし! そうと決まりゃあ、同志ケムラーの歓迎の宴を始めるぞぉ~! 皆、今夜は盛り上がろうぜぃ~‼」
此の一言に今迄、殺伐としていた洞窟内に再び活気が戻った。リーダーの乾杯の音頭に皆、各々に酒を酌み交わして彼方此方で歓声が上がった。一時は如何なる事かと思ったが漸くに好い雰囲気となった。セミノロフがケムラーに向い頭を垂れた。
「申し訳ありやせん、同志ケムラー。御恥ずかしい処を御見せしやして……」
するとケムラーは、セミノロフとズボルトビッチの双方を気遣う様に言葉を掛けた。
「いいえ、同志セミノロフ。貴方は組織の副リーダーとして、当然の確認をされた迄です。何ら詫びる事などありません。其れに同志ズボルトビッチの行動も、仲間の為にと行った事です。事前の報告、連絡、相談を怠ったのは遺憾でしょうが――其れは恐らく急を要した為の独自判断という事で許される範囲でしょう」
そう聞くとズボルトビッチは我が意を得たと云わんばかりに、「そう! そうなんでさぁ同志ケムラー! あの時、取引を決断しとかにゃぁ、他の部隊に酒を持ってかれちまう処だったんでさぁ‼」と、得意満面に云い放った。
セミノロフは余り調子に乗るなよと云いたげな顔で睨み付けているが、酒の力を借りて周りも味方に付けたズボルトビッチは、そんな事は御構いなしにハシャギまくっている。本当に調子が良過ぎるのが此の男の悪い処だな。そんな事を思いながら、ふと隣を見ると既にケムラーも酒を呑まされていた。
大きなコップに既に二杯目である。やっぱり見た目通りに御酒は強い様だ。ウォッカをあれだけ一気に呷っても、顔色一つ変えていない。屈強な大人の男という感じで格好良いな等と思っていたら、僕も何時の間にかコップを手渡され、其処に並々とウォッカを注がれていた。
おもわず背筋がゾッとする。明日の二日酔いは尋常なものではないぞ之は……。
すると不意にケムラーが、先ずは食事にしようと云って僕に座る様にと促し、ロングコートの裾で僕の手元をさりげなく隠すと同時に、僕の持っていたコップの中身を、自分の持っている空のコップの中へ、素早く九割近くを注いでくれた。
誰にも気付かれていない、鮮やかな手並みである。そして小声で、乾杯の合図と共にゆっくりと呑んだ振りをして、最後に一口だけ呑めばいいよと指示してくれた。
僕は其の通りに演技して、少し酔った振りをして見せると、周りから拍手が起きた。
よかった、バレてはいない様だが、早速に注ぎ足しが来そうになったので再びゾッとしたが、間髪入れずにケムラーが、「彼はまだ子供なので余り空腹で呑み過ぎると身体に良くありません。先ずは食事を取らせてあげましょう」と周りに云ってくれた御蔭で過剰なアルコールの攻撃から何とか逃れられた。
やっぱり此の人は優しい上に、あらゆる事を見通しているなと改めて思う。一寸した読心術でも使えるのではないかとすら、思ってしまう程である。
何はともあれ、ベロベロに酔った状態ではなく、素面で美味しい食事にあり付けるのは有難い事だ。今宵の主採は何時食べられるのかと待ちに待っていた、鴨の燻製肉が遂に御目見えした。因みに此の鴨は殆ど僕が撃ち落とした物だ。
黒パンに鴨レバーのパテ、ボルシチスープにサワークリームを乗せたジャガイモと香草のサラダ、スグリのジャム入りのブリヌイ。
こんな御馳走は何時以来だろう。此の間の貨物運搬列車襲撃成功の時でさえ、此処迄は豪華では無かったな。
そうだ、あの時はオーリャや他の女性陣がペリメニを食べたいと云って、何故か其ればかり大量に作り過ぎてしまい、他のおかずが無かったんだっけ。
其の話をすると、ケムラーは大笑いした。ドイツ語で喋ったのだが、オーリャは勘で気付いた様で、僕の頭を強烈に締め始めた。
「ペリメニ美味しかったでしょ。いっぱい食べても飽きないくらいに……」
「ハイ……美味シカッタデス……」
頭はギリギリと痛いが其の反面、顔は胸の感触が心地好い。本当にオーリャは優しいのか粗暴なのか、よく解らない時がある。彼女だけは未だに間違って作り過ぎた事を認めないのである。他の女性陣は認めているのに。
ケムラーは此の遣り取りを見て、更に笑い続けている。意外にも笑い上戸なのかな?
今夜は楽しい宴になりそうだな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます