第14話 通信技師、カール・ハルベルト中尉

 クレメント中尉に礼を述べて地下保管室を去ると、旧知の友であるハルベルト中尉の元へ向かう最中、スタインベックは心の中で呟いていた。

 もう此処に見るべき物は無い、如何やら今回もハズレっぽいねぇ……僕好みの男も女も居ないし、早々に立ち去りたいけど未だマウラーが来てないしなぁ……。



 通信室の扉をノックすると「どうぞ」と云う声が聞こえた。中に入ると数人の通信兵がタイプライターやモールス信号等をカチャカチャと絶え間なく打つ音が鳴り響いている。そしてインクと紙の香りが鼻を擽る――此の匂いは大好きだ。


「失礼、カール・ハルベルト中尉は……」


 見渡すが見当たらない。すると眼鏡を掛けた兵士が、「班長なら其処の個室に」と指差した先は個室と云うより大型の衣装室であった。相変わらず狭い所が好きだなと思わず微笑んでしまう。其の個室の扉をノックすると、「どんぞ」と少し訛っている聞き慣れた声がした。部屋に入ると中は様々な機械や書類で、ごったがえしており、足の踏み場も無い程である。西の壁際に小窓が一つ付いていて、少し換気が出来るのがせめてもの救いだ。


 「はぁい! 僕、来たよぉ……つうかっ、もう一寸奇麗にしときなよぉ……整理整頓‼」


 すると部屋の中央の机で、もの凄い速さでガチャガチャと右手で無線機器、左手でタイプライターを同時に操る小男、ハルベルト中尉が振り向きもせずに毒づいた。


「此処に有るもんは、おらの研究とは無縁のもんばかりだべ……だからゴミと同じなんで、ほっぽいとんだべ」

「一応、今は必要な書類とかでしょう。軍の機密情報とか色々あるんだから」


 スタインベックは唇を尖らせて云う。

 そう云われてハルベルト中尉は、「ふんっ」と鼻を鳴らし、器用な手付きで電信操作とタイプライターを打ち終えた。そして振り向き様に更に毒づいた。


「おら達にとって、ドイツが負けようが朽ち果てようが関係ねぇべや。唯、必要な情報だけ頂ければ、後は如何なろうと知ったこっちゃ無ぇべ」

「君は相変わらずだねぇ……てっ、声、外に漏れてない?」

「こんぐれぇの声量じゃぁ、大丈夫だべ。既に実験済みだべさ」


 どんな実験をしたのだか――完璧主義者の彼が云うのなら間違い無いだろう。


「じゃあ、フケるべか」彼は唐突に云う。


 漆黒で強い直毛の髪が針鼠の様にツンツンと立っている。厚い瞼に鷲っ鼻、おちょぼ口に尖った顎、何処か小悪魔の様な風貌を持つ此の男、軍人としては余りにも小柄すぎる。  

 身長は百四十センチ程しかないのだ。親衛隊の規定する身長、体重を大きく下回るのだが、其れにも関わらず士官になっているのには勿論、理由がある。

 一つは天才的な事務能力である。特に通信技術に情報処理能力は秀逸であり、彼に掛かればどんな暗号でも解析してしまうと云う。

 もう一つは、其の小柄な肉体からは想像も出来ぬ程の身体能力の高さである。行軍演習では八十キロの荷物を担いだ儘、五十キロの道程を軽々走破する体力を持っている。彼は最初、補助要員として働いていたのだが、余りの有能さに上層部も放って置けず、終には中尉にまで昇進してしまった、いわば変り種である。彼について難点を挙げるならば、仕事の面では優秀なのだが人付き合いを嫌う処だろうか。しかしスタインベックとは妙に仲が良い。


「じゃあフケるかって、未だソビエトの人造強化人間の資料が手に入って無いでしょうが!」


 スタインベックは片眉を上げて抗議する。


「御前ぇも、もう見たべ。あの不細工な肉塊を。あんなもん役に立つ訳ゃねぇべや」


 確かにアレでは大した役には立たないだろう。しかし、どの様な薬剤を使用しているのか、其の成分表くらいは欲しいと云うと、ハルベルトは澄まし顔で其の資料を持ったGPUの連絡員が此方に向っていると、興味なさそうに云った。


「潜水艦に乗って、海周りで行きゃあいいのに、わざわざ危険な陸路でスウェーデンに向かわせるそうだべさ。阿呆だべ」


 まあ、今の御時世では陸、海、空路に電送と全てが危ないだろう。しかし、「何で、スウェーデン?」と質問すると、ハルベルトはボリボリと頭を掻きながら呆れ顔で答える。


「頭ぁ使うだよ。自国の至る所でドンパチやってる中で、特殊な研究したいと思やぁ、第三国――同盟国か中立国に民間企業を装った施設作って、其処でコッソリとやるのが定石だべさ」


 成程、流石に君は頭が良いねと褒めたら今度は怒った顔で云う。


「御前ぇ……此処んトコ、軍隊ゴッコやり過ぎて頭ぁ鈍ったでねえか?」

「うん。そう云われると、そうかも」


 あっけらかんと答えるとハルベルトは両手で頭を抱え、「はあぁ……」と深い溜め息を吐いて項垂れた。


「御前ぇはと血を分けた実の兄弟だべ、何でこうも違うんだべか。嗚呼、博士ぇ……御許しくだせえ……おらが不甲斐無いばかりに何時までたっても御迎えに行く事が出来無ぇで…………」


 ハルベルトは本当に泣き出した。スタインベックは慰めるつもりで、「まあ、今は兄上の事はいいじゃない」と云うや否や、もの凄い勢いで椅子から飛び出すと胸倉を攫まれ、恐ろしい力で彼の顔の位置まで引き下げられた。そして怒りの形相凄まじくドスの利いた声で呟やく。


「おら達の行動理念は常に博士の事が第一義だべ、其れ以上の事は無ぇだ」

「ごめん、ごめん、そうだった……謝るよ……」


 必死になって許しを乞うと、暫くして漸く怒りが収まったハルベルトが手を離してくれた。ゴホゴホと咽込む、かなり強い力で絞められていた。改めて思う、迂闊だった。彼の前で、兄上の事を少しでも軽視する発言は命取りに為りかねない――解っていた事なのに――其れにしても彼の忠誠心の高さは見上げた物だ。どんなに時が経とうとも決して揺らぐ事が無い……素直に感心してしまう。

 調子を切り替え、会話を元に戻して、「そう云えば、其のGPUの連絡員って……」と言葉を続け様とすると、「あのボケがモスクワで撒かれた奴だべ‼」と不機嫌に吐き捨てた。

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