第13話 ヴィルヘルム・ヘッシュ軍医少佐

 ブラブラと歩いて見て気付いたが、車両の数が少ないな。相当量の荷物を諦めるつもりか。

「まあ、大した物は無いだろうけどね」と傍らの中型トラックをポンと叩いた。このオペル・ブリッツも相当に草臥れている。足の速そうな車を見つくろうも、ロクな物がない。民間車を徴用した物が多い様だ。よく、こんな中古のポンコツ車両群でロシアの悪路を奔ってきたものだ、素直に感心する。一番真面そうなのは正面ゲートに置いてあるキューベルワーゲンか後は其処のツェンダップの単車位だな。

 一寸、心許無いなと想いながら建物の裏手に回ると我が目を疑った。何と其処には飛行機が置いて在るではないか――其れもフィーゼラー社の傑作、連絡観測用ストール機が――ちゃんと此処の部隊番号を胴体に描いて。


「シュトルヒじゃないか……何で?」


 ドイツ軍において、飛行機は全て空軍部隊の管轄であり、陸軍、海軍、親衛隊が飛行機を使用する際は貸与という形になる。

 戦闘機や輸送機ではなく、連絡機となると軍団長か師団長、最低でも大隊長級の高官でないと貸し与えられる事は先ず有り得ない筈である。其れが、こんな訳の解らぬ小規模部隊の少佐風情に貸与されるなんて、幾ら親衛隊長官ヒムラーの威光を翳そうとも不可能と思えるのだが? 何せ空軍の主といえば、ヒムラーが決して頭の上がらぬ兄貴分のヘルマン・ゲーリング元帥である。しかし事実としてシュトルヒ連絡機は此処に在るのだ。巧くやったと褒めるしかない。


「流石……でも之、二人乗り用?」


 スタインベックは一寸、首を傾げた。



「久しぶりだな、大尉。よく来てくれた」

 親衛隊、特殊生物科学研究隊ロシア出張基地、所長ヴィルヘルム・ヘッシュ軍医少佐が労いの言葉を掛けた。

 建物二階の所長室――元は書斎の様で装飾は其れなりだが、調度品の類は殆んど無い――先のロシア革命のおりに有象無象の民衆達に皆、持って行かれてしまったのだろう。歴史の有りそうな備付の大きな本棚だけが往時の名残を留めている。

 現在の館の主、ヘッシュ少佐は実務主義者であり、無駄な飾り付け等は好まない人物である。其れ故に今の館内は近代的な事務所と病院施設といった様相で、古式ゆかしい王侯貴族のゆとりは一切感じられない。

    

「有難う御座います。少佐殿も御健勝そうで何よりであります」


 そう云いながら彼の顔を繁々と眺めて、スタインベックは思った。コイツも違った意味で変わってきたな。以前の少佐は初老とはいえ、もっと活力に溢れて精悍な顔付きだった筈なのに。何かの実験事故で片目を失って以来、右目に黒革の眼帯を巻く様になり、其れが一寸した効果を出して潰しの利いた面相となって、迫力が有ったモノだが今や見る影も無い。

 相当に病んだ顔付きになっている。其れに此の異様な雰囲気――打ってるな、自分自身に何らかの新薬、麻薬の類を――。

 以前に比べると身体が太ったというよりも浮腫んでいるし、眼も泳いでいる。

 戦場で人の身体を弄くりすぎ、殺めすぎて半ばイっちゃったか? 其れともイカレてるのは元からかな? コイツも此処迄の奴だな――スタインベックの彼に対しての評価は決まった様だ。


「当研究所で行うべき実験は未だ山の様に有るのだがな……。今、此処を離れるのは忍びないが戦況の変化により、一時撤退も仕方の無い事か」


 おいおい、戻って来るつもりでいるのか?

真面な時勢判断が出来なくなっている様だな、大分壊れている。薬のやり過ぎか。


「しかし少佐が本国に戻られれば、超人計画は更なる飛躍を遂げる事と思います」


 形通りの御世辞を云う。


「うむ、其処の処は期待して貰いたい。なにせ本国に送った資料だけでは計りしれない経験というモノが、私及び此処の所員達には有るからな。そして何より、ソビエト連邦の人造強化人間の遺体も手に入った今、我等の研究は着実に完成へと向かうだろう」


 其の後、ドイツ民族の更なる発展だの千年王国の樹立だのと、ナチス心酔者の妄言が熱っぽく長々と語られる。其の内容はいかにも稚拙であり、コイツ本当に大学出て博士号取ったのかと疑いたくなる程だ。ドイツの学識は如何してこうも穿ってしまったのか。としてナチスに潜り込まなくて正解だった。延々と止まらぬヘッシュ少佐の語りの間隙を巧く吐いて、スタインベックは云い放つ。


「其れでは少佐、例の遺体を拝見しても宜しいでしょうか?」

「うむ、クレメント君に案内させよう。一寸、待っていたまえ」


 そう云うと、ヘッシュ少佐は卓上電話を手に取った。スタインベックは会話の流れを操るのにも長けている様だ。

 暫くすると、ヨアヒム・クレメント軍医中尉が所長室に現れて、「やあ大尉、御久しぶりですね。貴方がやって来るとは、まあ物騒ですな」と本気か皮肉か解らぬ挨拶をした。四十絡みの小柄で痩身の如何にも学者肌の風貌である。丸眼鏡の奥の瞳は澱んでいる様で少し不気味だ。年の割に頭髪に白い物が多いが、不思議と白黒の調和がとれている。


「其れではクレメント君、後は頼むよ」


 ヘッシュ少佐がそう云うと「はい、分りました。まあ御案内しましょう」と軽く手招きすると、淡々と歩き始めた。何処までも学者肌な男だな。スタインベックは苦笑した。

 遺体の保管して有る地下室に向かう途中、ソビエト連邦の人造人間開発の成功について訊いてみると、クレメント中尉は人目も憚らずに大声で叫んだ。


「あの人造人間が成功? 冗談じゃない。まあアレはとんでもない失敗作ですよ」


 周りが少しザワついた。しかし彼は此の研究所のナンバー2と云える人物である。誰も文句は云えなかった。


「たった一人で、完全武装の一個小隊を壊滅させる戦闘力を持つと聞きましたが」


 そう聞くと、クレメント中尉は少し乱暴に地下室の扉を開けて中に招くと、数枚のレントゲン写真を広げて見せた。


「之を御覧なさい。酷いモノでしょう」


 其処に写っている肋骨なり、上腕骨なり、大腿骨なり、全てに置いて無数の罅が入っていて骨折も何箇所か見られる。確かに酷い。


「鍛え過ぎた運動選手が、自らの筋力で骨折したというのを聞いた事がありませんか?」

「ああ、ありますね。すると之は……」


 クレメント中尉が顰め面で質問する。


「尋常ならざる怪力で人間を引き千切り、あまつさえライフル弾でも撃ち抜けぬ強靭な肉体を持つ――そう聞いて大尉はどんな人間を想像しますか?」

「う~ん……凄い筋肉の大男?」


 スタインベックは適当に答えると、クレメント中尉は、「はい、正解!」と云い、パチンと指を鳴らした。そして奥のベッドの上に置かれているシーツを被せた物体を指差した。あれが例の遺体? 人間にしては大きすぎないか? まるで熊の様だ。


「まあ外装が強くても内装が弱くてはダメという事です。骨は鍛えられませんからね。そして圧迫されて傷ついたのは、骨だけではありません」

「内蔵も?」

「その通り、あれの死因は心臓を含む内臓破裂によるものです――其れも過剰運動による自滅ですよ。第一装甲軍団の連中は自分達が仕留めたと云っとる様ですがね」


 ソビエトの人造兵士一人に、装甲車両二台にトラック一台、兵員四十一名を殺害されて焦った軍団長が戦車砲で粉々にしろと命令を出す直前で息絶えたらしい。其の間にソビエトの研究部隊には逃げられたそうだ。


「まかり間違えば此の遺体は手に入らなかったのですよ。まあ私に云わせれば、こんな出来そこない有っても無くてもですがね」


 ヘッシュ少佐の見解とは随分違うな。其れは云わずにおこうか。

「まあ取敢えず見てくださいな」と、クレメント中尉はベッドにツカツカと近付いて、シーツの端を握り締めると一気にはぎ取る――其の遺体は雅に異形そのものであった――。

 極度の肥満体かと思ったが違う――全て筋肉である。例えるなら、身体に空気ポンプを差し込んで筋肉を風船の様に膨らませたかの如し体型なのである。


「ソビエトの人造強化人間。我々は之に、『巨大ハム』と名付けましてね。まあ健康の為に筋肉を付ける事は宜しいのですが、過度に付けると骨や内臓に迄、負担が掛かる上に日常生活にも支障をきたすでしょうね。此処まで来ると」

「確かに。之では排便した後に、自分でオシリを拭けないかもしれないな」


 スタインベックは馬鹿な感想を云うが、其れに対してクレメント中尉は真面目に答える。


「その通りです。見てください、この大胸筋と上腕金の膨らみを。此れでは確実に肛門に手が届きません。尻を拭く処か一物も握れないので、まあ排尿行為から自慰行為に至るまで儘ならないでしょう」


 別に巫山戯ている訳では無いのだが、下品すぎる。自分の思った事は何でも率直に云ってしまうのが学者の悪い処だろう。クレメント中尉が云うには、此のソビエトの人造強化人間の最大の失敗点は二つ。

 一つは、力を最大限に発揮すると僅か十分程度で心臓破裂を起こす事。其れでは兵士としては役に立たないだろうし、日常生活にも支障をきたす様な体型では人としても役に立たないだろう。

 もう一つは見た目である。確かにあんな箱みたいな体型には誰もなりたくないだろうし、レオナルド・ダビンチの提唱する美しい人体の黄金比率から著しく掛離れている。


「之がヒトラー総統の目指す、人類の最終進化系で有ると云うのなら――まあ私としては断固拒否するでしょうね」


 其の意見には烈しく同意する。


「確かに見た目は大事ですよねぇ」


 そうでしょうと、クレメント中尉が頷くと同時に壁掛け電話のベルが鳴った。


「はい、地下保管室……ええ、はい。居られますよ。分りました、御伝えします」


 電話を切ると、クレメント中尉はスタインベックに簡潔に報告した。


「通信室からです。ハルベルト中尉が至急御会いしたいとの事だそうですが」

「了解です。伺いましょう」

 

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