第12話 超人計画
如何やら二人共、自分達がどんな立場に置かれているか、ちゃんと把握している様だ。確かに最前線で科学の実験なんかされては普通の兵士達にとって、迷惑此の上ない事であろう。特にヘッシュ少佐の部隊で行っている実験に関しては、親衛隊内部からも毛嫌う声が上がっている。
そう――実は此の部隊、表向きは負傷兵に対して、最新の治療法を行う医療部隊という名目になってはいるが、本当の目的は純粋な医療行為では無く別の処にあった。
何と此の部隊は自軍の負傷兵に人体強化手術を施して、不死身の超人兵士を作り上げ様という、半ばオカルティズムとも云えるべき途方もない任務を帯びた秘密部隊なのである。其の作戦名は——超人計画――。
此の部隊の正式名称は親衛隊、特殊生物科学研究隊。本部は首都ベルリンに置かれており、主に医師や医学生等を中心に組織された五百名程の極秘部隊で、総司令官にはナチス党随一のオカルティストと揶揄されている親衛隊長官ハインリヒ・ヒムラーが直々に当たっている。
神秘主義者であり、選民思想の強いヒムラーは何れ全てのドイツ民族が多民族と一線を画する程の能力を有するべきだと真剣に考えており、其の第一歩として驚異的な身体能力を持つ超人兵士を戦線に送り出すべく、様々な人体実験を行わせていた。
しかし現段階では望む様な結果は出ておらず、此処に運ばれた負傷兵は生きて戻る事は無いとの専らの噂であり、同戦線の兵士達から忌み嫌われる部隊なのである。
此の神の摂理に背き、人権を無視する様な人体改造術は、第一次世界大戦中に先進各国の間で一部の狂気染みた医師や科学者達によって、密に執り行われて来た様である。
何処の国でも御偉いさん方は、兵士の損耗率を少しでも減らそうと考えた末に、こんな非現実的な方法をも試して見ようと思ってしまうモノなのか。此の手の実験は医学分野に明るい国々で極秘裏に行われているとされ、特にドイツ、ソビエト連邦、アメリカ、日本が先行していると噂されている。
そして遂に昨年末頃にソビエト連邦が其れらの国々に先駆けて、人体改造を施した兵士を一部の戦闘地域に実践投入を開始した。
之に焦りを覚えたヒムラーは、武装親衛隊が仕切る戦線全域に件の人体改造を施されたと思われる兵士の捕獲を命じ、先月の終わり頃――漸くに一体の人体改造兵と思われる遺体の回収に成功したのであった。
だが、其れと引き換えに多くの犠牲者を出す事となり、ヘッシュ少佐の部隊への嫌悪感は一層強まって、今では親衛隊のみならず国防軍からも疎まれる存在になっていた。
しかしヒムラーは上機嫌であり、「之で我ドイツ軍兵士の未来に光明が射す切欠となるだろう。『超人』の誕生迄、後一歩なのだ」等と、のたまう始末であり――之らの発言も事情を知る者達にとっては、「あの、イカレたオカルト・マニア共め!」と、大きな反感を買う要因の一つとなっていた。
スタインベック大尉もグランス伍長も其処の所を良く解っているので、先程の陸軍軍曹の慇懃無礼な態度にも腹を立てる事はなかったのであろう。
「俺達、嫌われてるっすね」と、グランス伍長がおどけて云った。
「戦友をモルモット代りにしてんだもんね、嫌われて当然でしょ」
スタインベック大尉も自嘲気味に呟いた。
先導する単車に付いていく事、約四キロ。重厚な戦車群が見えてきた。如何やら目的地に着いた様である。Ⅲ号、Ⅳ号戦車に混じり、新型のⅤ号戦車と重装甲のⅥ号戦車も数量有って、中々に壮観な眺めだ。
「本当は此の部隊も、新型戦車のみで再構成される予定だったらしいんっすけど……」
「生産も配備も間に合わないよねぇ」
「早く強い戦車持ってこないと、戦線が下がるっすよ。あと飛行機も……」
「無い物強請りだよ。グランス伍長」
「はあぁ――ドイツも、もうダメっすかね……」
絶望的観測も致し方無いだろう。ドイツ本国は元より占領地の工業地帯も連日に及ぶ連合軍の爆撃によって生産機能は完全に麻痺しており、其れに加えて資源の乏しいドイツでは軍需品はおろか、日用品の生産もおぼつかない程の物資不足に見舞われている現状で、早期に新たな戦車や戦闘機の納入など期待出来るべくも無いだろう。
長引く戦争により今やドイツはジリ貧の状態である。
陸軍部隊の簡易ゲートの守衛にパトロール隊の軍曹が何やら此方を指差し、雑な報告をしている。すると守衛も顰め面でゲートを上げて、「行け」という合図を投げやりに送ると後は見向きもしなかった。
「俺達、トコトン嫌われ者っすね」
「だから早々に撤収するのさ」
「頼りにしてるっすよ、大尉ィ」
戦況の悪化により、ヘッシュ少佐のロシア出張基地も安全で無くなった為、近々本国に撤収する運びとなっているのである。其処で貴重なサンプルを本国に送り届ける指揮を執る為に、スタインベック大尉が派遣されて来たのであった。
彼は其の華奢な容姿とは裏腹に荒事に長けていて、幾つもの危険な任務を成功させて来た有能な士官であり、若くして大尉に昇進して柏葉剣付き騎士十字章をも授与される程の腕利きなのである。其れでいて決して驕る事は無く、何時も物腰の柔らかい態度で人と接しており、同僚や部下は元より上司からも信頼は厚かった。
少し走ると今度は親衛隊員の歩哨が立つゲートが見えて来た。此方は先程の陸軍兵の態度とはうって変わり、丁寧なローマ式敬礼で出迎えてくれた。
「スタインベック大尉殿ですね、御待ちしておりました。どうぞ此方へ」
そう云うと歩哨兵は小走りに玄関の前迄、車を誘導してくれた。
多少、外壁が草臥れてはいるが旧ロシア貴族の別荘と云うだけあって、中々洒落た造りである。玄関扉も重厚感が有り、手の込んだ装飾が施されている。唯、百二十人の大所帯となると少々手狭な為に、兵員宿舎の方は急拵えの粗末な別棟なので全体で観ると不均等な感じは否めない。
二人は車を降りて待っていると、玄関から守衛隊の隊長が出て来て大仰にジャックブーツをカチリと鳴らし、教本通りの様なローマ式敬礼で名乗り上げた。
「
御決まりの台詞で敬礼を交わす。
「親衛隊特殊生物科学研究隊、守衛部隊長ヨハン・クレッチマー中尉であります。御久しぶりであります大尉殿。以後の指揮、宜しくお願い致します‼」
がっしりとした体躯に、落ち窪んでぎょろりとした眼の大男である。前に会った時よりも一回り大きくなっている。コイツも相当打っているなと、スタインベックは思った。
「久しぶりだね、クレッチマー中尉。又、宜しく頼みますよ」
「此方こそ宜しくお願い致します! 再び大尉殿と一緒に暴れられるなんて、光栄至極であります‼」
前にスタインベックが行った作戦に従事した経験の有る、クレッチマー中尉は彼を尊敬している様であった。
「ヘッシュ少佐の所へ参られますか? 御案内いたしますよ」
「いや――一寸、雑事を片付けてから少佐の所へは自分で行くよ」
「そうでありますか、御用の際は何時でも御声を掛けてください!」
クレッチマー中尉は再び大仰な敬礼を捧げて其の場を去って行った。
「クレッチマー中尉……段々とエライ事になってきてるっすね」
グランス伍長が心配そうに囁き、スタインベックも「ああ」と呟く。初めて会った時の彼は、もっと細身で今の様な筋肉達磨ではなかった筈だ――超人計画の成れの果てか。此の部隊では負傷兵ばかりではなく、健常な兵にも人体実験を施しているのである。とはいえ身体に直接メスを入れる訳では無く、筋肉増強剤や興奮剤を定期的に投薬しているのだ。其の御陰で此の部隊の守衛隊員は皆、オリンピック級の運動選手並みに身体能力が高いのだが、薬と引き換えに手に入れた能力のツケは僅か数年から、早ければ数ヶ月で其の身体に顕著に表れた。
精神に異常を来たす者、植物状態に陥る者、突然死してしまう者等々、超人とは程遠い散々たる結果なのである。薬の過剰摂取が原因なのは明白なのだが、実験に失敗は付き物であり、成功迄には時間が掛ると人権もへったくれもない暴理がまかり通る状態なのである。戦争の狂気の一例であろう。
グランス伍長は、あの余りにも変わり果てたクレッチマー中尉を見て、自分の所属する部隊ながらにも末恐ろしくなってきた。自分は車両運転兵で良かったと思う。
ドイツも負けそうだし、俺も何処かにフケようかな――等と考えていると、「逃げるんなら早めにしなくちゃね」と、まるで心の中を見透かされたかの様な言葉を大尉が発したので一瞬焦った――任務の話だよな……。
「さて、グランス――君はそろそろ戻ってもいいよ。日が暮れる前に此の辺り離れとかないと、パルチザンの恐ぁ~い連中に食べられちゃうかもしれないぞぉ!」
スタインベック大尉は、まるで子供をあやすかの様に、おどけて云った。
「はあ、でも本当に俺一人で戻っちゃっていいんすか? やっぱ御供しましょっか」
「僕を誰だと思ってるんだい」
彼はにこやかに、其れでいて自信たっぷりに云い放った。
そうだな、此の人に限って何も心配は要らないな。例え地獄に迷い込んだとしても、鼻唄歌いながら戻って来そうな人だし……。
「其れでは之で失礼しまっす、大尉殿! 作戦成功を御祈りしてまっす‼」
そう云うとグランス伍長は車に乗り込み、軽く敬礼を翳して走り去って行った。車中でグランス伍長は一人呟く。
「大尉ィ……之でオサラバっすけど――又、何処かで逢えるといいっすねぇ」
如何やら彼は帰隊せずに此の儘、脱走する腹積もりらしい。スタインベックも其れを見越して、逃走を促す様な発言をしていた様である。とても親衛隊員の行動とは思えない。若者特有の無軌道行為か、其れとも戦時下という特異な状況下では其れも又、有りなのか。一つ云える事は二人共余り真面目な人間ではないという事だろう――否さ、明らかな不良青年達である――。
スタインベックも小声で呟く。
「グランス――之でサヨナラだけど上手く逃げおおせるんだよ。君は好い奴だからね、僕の荒事には巻き込まないであげるよ」
そう云うと彼は踵を返し、施設内を散策し始めた。
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