第11話 ナチス親衛隊、フランツ・スタインベック大尉

 軽快な音を立てて一台の車が西から来た。

 戦場には似つかわしくない程に、奇麗に磨き上げられたフォルクスワーゲンの指令車が奔って行く。扉にはナチス親衛隊を示す髑髏の紋章が描かれている。

 其の後部座席には之も戦場では珍しく、緑色の野戦用型ではなく黒色の制服を着た若い将校が一人座っていた。

 年の頃は二十代に見えるが、もっと上らしい。軍人と云うには少し華奢な感じである其の容姿は少年的でもあり、女性的でもある、中性的な雰囲気を醸し出していた。    

 タンポポの花の様に伸びた金色の髪は一見して床屋に行きそびれた風にも見えるが、襟足をキチンと整えているので故意に伸ばしているのだろう。親衛隊の将校としては少し不真面目の様だ。


「スタインベック大尉、後ろ平気すか?」

「今の処はね、グランス伍長」

「此処迄は安全に来れたっすけど、此処等辺はパルチザンの出没地帯なんすよねぇ」


 運転手の更に年若のロベルト・グランス伍長が情けない声で呟いた。栗毛で顔にソバカスの有る、如何にも御調子者といった感じの若者である。

 逆にフランツ・スタインベック大尉と呼ばれる此の男は、親衛隊大尉という身分の割には珍しく部下との上下関係や言葉使いに関して、かなり寛容な態度である。


「随分と戦線が押し戻されたよねぇ、無敵を謳ったドイツ軍も今や看板倒れだ。此処等も危険地帯になっちゃったし……ヘッシュ少佐の研究所は大丈夫なのかな? 未だ、ちゃんと在る?」

「少佐自身が検体になってたりして」


 二人は呑気にアハハと笑い合う。聞いている者が他に居ないとはいえ、本来なら懲罰モノの発言であるが、若さゆえの軽率だろう。


「大丈夫っすよ、大尉。ヘッシュ少佐の研究所の前にゃぁ、陸軍さんの戦車部隊がドーンと構えてんすから」

「『親衛隊特殊科学研究所ロシア基地』――なんて云うと聞こえは良いけど、実際は総人員も守衛隊合わせて百二十人程度、建物も廃屋同然だった旧ロシア貴族の別荘を接収して、手を加えただけの安普請だからねぇ」

「完全に名前負けっすね」


 二人の毒舌は止まらない。


「処で例の遺体。第一装甲軍団から送られて来たヤツ……何日経ったの?」

「えっと、確か今日で十七日目っす」


 スタインベックは顔をしかめて云う。


「十七日ィ! じゃあもう、腐ってんじゃないの? 原形留めてる?」

「ちゃんと、クレメント軍医中尉が防腐処理してるそうっすから、大丈夫すっよ」

「本当にぃ? クレメント中尉、いい加減な処あるからなぁ」

「まあ、そうっすけど――鼻栓でも用意しとくっすか?」


 二人は大爆笑した。若者らしいと云えばそうなのだが、軍人としては些か不用意であろう。二人きりの車中だから許されるものの、之が駐屯地内だったら憲兵から鉄拳制裁である。


「其れよりもあの研究所、誰か新しい隊員は入ってないの?」


 スタインベックの質問に、グランス伍長はギクリとした。背筋に冷たい汗が出る。


「い、いやぁ……大尉の御眼鏡に適うのは――如何なんすかね……」

「何だぁ、居ないの?」


 グランス伍長は本当に困った御仁だなと、つくづく思う。此の悪い癖さえ無ければ大した人なのに――何とも、し難い事だと――。


「大尉ィ……あんまりが過ぎると其の内、捕まっちまうっすよぉ」


「じゃあ、グランス。君が相手してくれるかい?」そう云いながら、スタインベックはグランス伍長の股座に手を伸ばした。


「ちょっ、やめっ、本当、勘弁してくださいっすよ! 俺、つい此の間童貞捨てたばっかなんすから、汚さないでぇ~‼」


 グランス伍長は絶叫しながら、必死に抵抗している。車が蛇行運転となる。


「情けないなぁ。僕みたいに両方使える様にならなきゃ、一人前の軍人には為れないぞ‼」

「そんな一人前に為りたくないっすよ‼」


 勿論、公にはしていないが彼は『両刀使い』なのである。彼を良く知る一部の間では有名な話であるらしいが、こんな性癖がナチス党教育指導部にバレたりしたら、懲役刑は免れぬ事だろう。しかし古今東西において、軍隊組織には何故だか男好きや変態性欲者という輩が一定数居るのも周知の事実である。

 其れらの多くが之も何故か、ある程度の権力を持っている上層部の御偉方や将校に多く居り、表沙汰になる事は少ないのである。件の彼も其の例に漏れず、捕まる様なヘマはせず、巧みに飄々と躱しているのである。


「いいかい、グランス。女性を抱くなら、初潮を迎えた少女から閉経を迎えた熟女迄。男性なら可愛い少年を抱き、渋めの大人に抱かれる。之が基本と心得たまえ!」


 スタインベックは堂々と云い放った。


「大尉ィ、上官にこんな事を云うのも何ですが――本当、変態っすよねぇ……」


 そんな巫山戯た会話をしている内に、正面にサイドカー付きの単車が一台現れた。 

 二人は一瞬ドキリとしたが、直ぐに友軍だと解りホッとした。如何やら陸軍のパトロール隊の様だ。パトロール隊の兵士は止まれの合図を送って、其れに従い停車すると、サイドカーに座っていた陸軍軍曹が運転席側の窓に近づいて来た。


「失礼ですが、身分証を拝見します」

「御勤め、御苦労さまです」

 

 二人はにこやかに身分証を提出し、其れを一瞥した陸軍軍曹は顔を顰めて云った。


「もしかして、ヘッシュ少佐の研究所へ――ですか?」


 スタインベック大尉が「はぁい」と満面の笑みで答えると、陸軍軍曹は身分証を返しながら、ぶっきらぼうに云う。


「御案内します。付いて来てください」


 サイドカーに座り込むと、運転手の部下と何やら小声で話して笑っている。

 グランス伍長も小声で呟く。


「何を云ってるかは聞かずとも――すね」


 スタインベックも苦笑いで答える。


「またオカルト・マニアが来たぜ――だね」

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