第3話 ソビエト連邦への不信感

 一体、如何したらこんな不自然な屍が出来るのだろうか? 考えられるのは尋常成らざる怪力で捻じ曲げ、引き千切り、叩き潰したという事になるのだろう。きっと其の通りの事が行われたのだろうが、どんな腕力をもってすれば此処迄の事が出来るのか?異常にひしゃげ壊れた屍、屍、屍の山。テントで寝ていた負傷兵六名を含む、総勢二十八名のドイツ軍部隊の死亡を確認した。

 何人かは余りの壮絶さに耐えきれず、嘔吐していた。検体八号と呼ばれていた異形の男は立ったまま絶命していた。身体には夥しい数の弾痕が有り、其の中に幾つか肉が大きく捲れている弾痕が有る。


 之は――ライフル弾⁉ そんな馬鹿な‼


 こんな近距離戦闘で放たれたライフル銃の弾なら、普通は貫通する。例え体内にとどまっても、其の部分の肉は爆ぜて飛散り、侵入口はえぐれる筈だ。でも異形の男、検体八号は其の常識を異常な筋肉の壁の前に覆してしまった。

 至近距離から撃たれたのは間違いないのに肉が捲れただけで、弾も貫通していない。人間の肉体は鍛えると此処迄、頑丈に成れるものなのか? 少し信じられない気分であるが実際目にした以上は信じるしかない。

 赤軍の兵士達は良く効く栄養剤だなと冗談交じりに話しているが、そんな次元の物では有り得ない、あれは危険な薬だと僕は思う。

 何故なら、検体八号の死因は銃撃によるものではない。ライフル弾さえ貫通させぬ彼の肉体には拳銃弾では勿論、致命傷を与える事は出来ない。其の証拠に彼は殆んど出血をしていないし、他にも頭部等の急所には弾痕は無いのである。

 ならば何故、彼は死んだのか? 其れは薬に因る副作用ではないのか?

 しかし赤軍兵士の前でこんな話は出来やしないし、リーダーのあの態度を見ると仲間内でも此の話題はしづらいだろうな。其れにしても、何と常軌を逸した実験なのだろう。人権もヘッタくれも有りやしない。

 我が怨敵、ヘッシュの部隊も人体実験を行っているとの噂だが、雅か之と同じ様な事をやっているのか? そう考えると背筋が薄ら寒くなる……。

 作業の最中、赤軍兵士達から漏れ聞こえた言葉が妙に気になった――『人造強化人間』――何だか不吉な響きがした。何故だか僕は一生、此の言葉を忘れる事が出来なくなる様な気がした。

 検体八号の遺体回収の後、僕等は誓約書の再度確認をしただけで驚く程にあっさりと帰してもらえた。やっぱり、あの少佐殿は余り真面目では無い様だ。

 其れとは逆に我等がリーダーのタタモビッチ氏は何時もの笑顔を忘れ、真剣な顔で僕等に語りだす。


「いいか、御前等! 今日、見聞きした事は全て忘れろ‼ そもそもあんなもんはぁ……」


 何やら色々喋ってはいるが、余り要領を得ない。ウチのリーダー、人柄は良いのだが演説は一寸下手なのである。話を要約すると――つまりはソビエト赤軍の上層部は煩さ方が多いから注意しろよ、と云っている様だ。奴等は性質が悪いという言葉は呑み込んでいる。でも其れは誰もが思っていて口に出せない言葉でもある。


「ようようリーダー。そんな剣幕で喋ってんとよ、反革命にされちまうぜ」

「な、なんだとぅ⁉」


 タタモビッチが驚いて振り返る。副リーダーのセミノロフが混ぜっ返す様に云った。此の男、厳つい顔と身体に似合わず見事な金色の髪と髭の持ち主で、顔半分を覆う自慢の髭を何時も奇麗に整えている。細かい処に気の付く男で、如何やら少し気の張っている彼の事をほぐす腹積りらしい。


「ば、馬鹿野郎! だ、誰が共産党の悪口ィ云ってるってんだ。手前ぇなんかにゃあ、俺の高等な言葉が解んねえだろうがよぅ‼」

「御前さんの言葉は学者でも解んねぇよ」

「黙りやがれ、畜生めぇ‼」


 二人の冗談交じりの会話が場の空気を和ませた。時に熱くなりすぎるタタモビッチの頭をセミノロフが冷やし、時に火付きの悪いセミノロフの尻をタタモビッチが叩く。全く正反対の二人が支え合い、均衡を保ちながら我等、黒い鼬を形成している。共に無くては成らない存在なのである。


「けっ、止めだ、止めだ。御前ぇとジャレ合ったって始まらねぇ。皆、帰ぇるぜ!」

「おうよ、何時までもこんな所に居たら凍えちまわぁ。それに今日は旨い物が食えるしなぁ、早く帰ぇろうぜ」


 そうなのだ。あの赤軍少佐殿、やる気は無いが気前は良かった。何と僕等に食糧を配給してくれたのだ。先任軍曹殿は渋い顔をしていたが、そんな事は御構い無しだ。  ひょっとしたら少佐殿、口止め料としてくれたのかもしれないな。兎に角、食べ物の事も有って皆の顔にも笑みが生まれ、各々に軽口を叩いていた。   

「現金な奴等だなぁ」と云いながら、タタモビッチにも何時もの笑顔が戻った。

アジトへの帰り道――又、ちらちらと雪が降り始めた。ロシアの長い冬は未だ未だ終りそうにない。



 正直な話――赤軍、ソビエト共産党指導部の政策には常軌を逸した処が有る。 

 やたらと反革命のレッテルを貼り付け、多くの人々を粛清したり、満足な武器も持たせずに兵士を戦地に送ったり、最近では徴用工の女性や子供、老人迄も整備兵や車輌運転兵として戦地に送り出しているらしい。

 女性だけの戦闘兵団や飛行兵団等も組織しているという、正に国民総力戦状態だ。

僕等パルチザンは非正規兵だから比較的縛りは少ないが、もし赤軍正規兵として此の場に居たらと思うと少し恐くなる。            

 僕は既に死ぬ覚悟は出来ているが、其れは敵との闘いの中で死ぬ覚悟で有る。反革命とかいう理不尽な理由で仲間に殺されるのは絶対に御免である。とは云え、僕は未だ正規軍人に成れる年齢ではないので其処だけは良かったと思うが――いや、良くはないだろう。

 我が事ながら僕は未だ一三歳だ。ユダヤの教義でさえ成人は十四歳である。なのに子供が戦場で人を殺し続けるのは如何考えても良いとは云えない。狂った時代だ。

 

 でも、僕は自らの意思で此処に居るのだ。


 いや、違う。僕は戦争被害者だろう……。


 そう、此処で戦禍に巻き込まれて……。


 だから、家族の仇を取る為に闘う……。


 ならば矢張り、僕は自らの意思で此処に居る事になる。僕を庇って死んだ父も母も僕に仇を取ってくれなんて一言も云っていない。

 ならば、狂っているのは時代じゃ無くて僕の方なのか?

 もう止めよう……考えても解らない、解る訳がない、生や死についての倫理感なんて哲学者や神学者でも意見の分かれる難問だ……僕には如何にもならない。

 唯一つ解る事は僕が今、生きる為の目的はヴィルヘルム・ヘッシュを殺す事だ。其の為には死すら厭わない。死んでもいいから生きる? 別に間違ってない気もする。     

 正解、不正解は人によりけりだろうな。


 まあ、どっちでもいい……僕は狂ってる事にしよう。ヘッシュ――貴様を殺す迄、僕は狂い続けよう――。



 

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