第2話 人造強化人間

 最初の内は長期の野外生活や肉体労働に悪戦苦闘し、此の辺りでは其れ程でもないが矢張りユダヤ人差別は有り、幾度か嫌な思いもした。会話ではロシア語が殆ど解らず苦労したが、人は不思議と慣れるもの。ロシアの人々と接している内に、段々と言葉が理解出来る様になってきて、今では片言のロシア語を喋れる程になった。

 しかし僕は未だ子供だからと、戦闘行動の面では余り期待はされていない様だったが、でも僕は闘う覚悟と自信は持っていた。


 何故ならば僕には一つ、誰にも引けを取らない特技を持っているからである。

 其れは射撃の技術だ。


 僕の父は狩猟が趣味であり、年に三回は狩猟旅行に出かける程で、僕も幼き頃より父から特製の小型ライフル銃を与えられて徹底的に銃の手解きを受けていた。其の技術はどんどん上達してゆき――手前味噌で恐縮だが周りからは天才的と呼ばれる程になっていた。

実際、僕の絶対射程距離は三百メートルを誇り、五百メートル位迄なら大抵の獲物を一撃で仕留める腕前を誇っていた。因みに最高記録は八百メートル超だ。

四肢の伸びた現在では普通のライフル銃を操っているし、どんな銃でも操つる自信を持っている。拳銃の早撃ちだって得意だ。

 今では其の高い射撃技術と狙撃能力を買われて、黒い鼬の狙撃手『一撃のマルコ』との仇名を頂戴しており、仲間達からも一目置かれて信頼される様になってきた。

 そして僕は今日もナチス・ドイツの狼共と闘い続けている。怨敵ヘッシュ少佐の部隊を倒すべく、スコープを覗く。



 一九四三年――ロシアの冬は厳しい寒さである。僕もドイツ東部の生まれだから一応、寒さには慣れているつもりだったが此処の寒さはドイツの其れとは全く違う。    

 雅に冬将軍、到来せりと云わんばかりの厳冬なのである。

 しかし幸か不幸か戦禍に追われて廃村、廃屋となった幾つもの家々から防寒着を拝借する事が出来たので、何とか此の寒さに凍える事からは免れた。

 黒い鼬の仲間達は僕に云う。

「いいかマルコ。俺達は物を盗んでいるんじゃない。戦う為に必要な物資を調達しているんだ。そして御前は此の服を有り難く頂戴しろ。其の返礼に何をするかは御前次第だ」

 僕は大きく頷いて毛皮の襟飾りの付いた少し大きめのコートに袖を通した。其の時に此の服の持ち主は如何なったのかと思うと、少し物悲しい気持ちになるが、自分を鼓舞する様に云い聞かせた。


 「きっと君の仇を取ってみせるよ」 

  

 此の地に来てから早や数カ月――僕はパルチザンの戦士としての自覚を胸に刻み込み、戦い続ける。対峙した敵には容赦はしない。

 僕は一端の戦士を気取り始めた。否さ、戦士と成らなければいけないのだ。敵を殺す事に躊躇はしない、全て排除してみせる。

 正直、僕は未だ子供だ。本当は人を殺す事に抵抗が有る。しかし戦時という状況に置いて、そんな甘えは許されない。殺らなければ殺られるのだ。実際、逃げるだけだった僕の家族や親類達は皆、殺されてしまったではないか。

 僕は只、殺されるのを待つだけなんて絶対に嫌だ。どうせ死ぬのなら、敵と刺し違えて仇を討ってやる。

 僕の考えはきっと、短絡的であろう。だが其れでも構わない。間違っていると知りつつも、新たに闘いの決意を固める事が出来た。



 冬も深まった、一九四三年のある日の晩。珍しく定時連絡以外にソビエト赤軍の連絡将校が僕達の部隊、黒い鼬に接触してきた。

 此の近辺に孤立したドイツ軍の小規模部隊は居ないかとの事だった。丁度、該当する部隊が居り、我々も他のパルチザン部隊と合同で件の部隊を襲撃する計画である旨を伝えると、「其の部隊への襲撃は我々が行う。他のパルチザン部隊にも出撃中止の伝令を送って頂きたい。其れと、君達には道案内だけを頼む、宜しいか」赤軍将校は慇懃無礼に云い放った。

 其の赤軍将校の話によると彼等の部隊は新技術を携えた実験部隊との事で、詳しい概要は勿論の事、一切の質問も受け付けない。又、我等の部隊で見た物は一生涯に亘り決して口外せぬ様にと、全員に誓約書を書かせる程の徹底ぶりであった。

 戦時下に置いては秘密とせねばならぬ事も多かろうと其の場では皆、一応納得はしたものの雅かあれ程迄に強烈な物を見せつけられるとは、其の時は未だ思いもよらなかった――と云うよりも想像すら出来なかった。


 其れは戦争の狂気が生んだ悪魔の種子。


其の男の姿は怪異、其の物であった。赤軍の大型トラックの荷台に積まれていたのは異形の大男であった。普通の人間とは明らかに異なる形なのである。

 身長は一メートル九十センチ程で、最初は極度の肥満体かと思ったのだが、其れは贅肉や脂肪といったものではなく、全てが筋肉であった。腕の太さだけでも成人男性の胴回り位は有り、例えるなら其れは灰色熊が鎧を着込んだ様な体型である。

 赤十字腕章を付けた衛生兵が、其の異形の男に奇妙な形の注射を打ち込むと、一~二分してから静かに開眼して起き上った。

 異形の男は此の雪深い寒空の下で足元こそロングブーツを履いてはいるが、後は薄手のシャツとズボンだけという出で立ちなのに、寒さは感じていない様子である。

 僕等の陣取る丘の上から南東に下り、約一キロ先の林の中に本体から外れたドイツ軍の敗残兵部隊が潜んでいる。度重なる戦闘で戦死者、負傷者が出ている様で戦闘人員は二十二~三名と推測されている。

 双眼鏡を覗き込んでいた眉毛の薄い三白眼の厳つい顔をした赤軍の少佐――恐らく此の極秘部隊の隊長と思われる人物が異形の男に向かい敵陣を指差して、何の感情も無い様にボソリと呟いた。

 

「敵はあそこだ。行け」


 静かな口調で簡潔に命令すると、異形の男は頷くでもなくギョロリと林の方を睨む。


「はっ、はっ、はっ……」


 荒い息使いでザクザクと雪を掻き分け、敵陣に向かい歩き始めた。雪原に足音が響く。百メートル程進んだ所で異形の男は突然に立ち止まり、ブルッと一度身体を震わせた後に大声で叫んだ。                 



「ぎゃおおおおー‼」



 とても人間とは思えぬ凄まじい雄叫びをあげて、敵陣に向かい一目散に疾走して行く。之にはドイツ兵も直ぐに気が付いて、異形の男に向かって一斉に銃撃を浴びせ掛ける。しかし異形の男は、其の巨躯からは想像もつかない程に俊敏な動き方で銃弾の雨を掻い潜り、敵の待つ林の中に駆け込んでいった。

 其れから暫くは林の中から銃撃音にドイツ兵の叫び声、異形の男の咆哮が入り混じりに聞こえてきたが五分もすると物音一つ聞こえなくなり、辺りは静寂に包まれる。

 赤軍兵士が二名、斥候として三百メートル程の距離迄近づき林の中を双眼鏡で窺う事、約十分間――何かの手信号を送ってきた。

 其れを見た一人の若い士官が手に持っていたカルテの様な物に何かを書き込むと、部隊長であろう少佐に対して短く報告をした。


「『検体八号』活動停止より十分間経過――死亡したものと推定されます」

 

 報告を聞くと赤軍少佐は軽く頷き、後方に居る先任軍曹に命令を下した。


「よし、同志軍曹。『検体八号』の遺体を回収する。貴重なサンプルだからな」


 相変わらず感情の籠らない静かな口調でそう云った。其の命令を聞くと小柄だけど、がっしりとした体格の赤軍軍曹は姿勢を正して「了解」と敬礼をし、僕等の方をギロリと一瞥した後に少し小声で尋ねた。


「あのぅ……同志少佐。その、彼等は如何致しますか?」


 軍曹殿は極秘実験を目撃した民兵共を如何するのか――此の儘で良いのかと、問い掛けている様だ。其れを聞いて僕等もハッとした。極秘任務に係った者は秘密保持の為に始末する――そんな考えが、黒い鼬のメンバー全員の頭を過ぎった。嫌な汗が脇の下を湿らせる。


「ああ、そうだったな。ええっと、『黒い鼬』だったかな? 諸君、諸君等も見ていたアレは我軍の最高機密である。よって、今日此処で見た物や聞いた事は全て忘れたまえ。宜しいかな、諸君」

「へ、へえ! 今日此処で見たもんは全部、他言無用に致しやすぜ旦那ぁ‼」


 黒い鼬のリーダー、タタモビッチが直ぐさまに答えた。普段は白髪交じりのボサボサ頭に熊髭、何時も笑った様な顔が特徴的の温厚な男だが、今日ばかりは其の顔が強張っていた。でも之で僕等の頭の中を過ぎっていた不安が解消された。

 如何も此の赤軍少佐殿は、自分のやっている事に興味も責任も負っていない様子で、極秘任務事態も如何でも良いといった感じだ。其れともこんな事、誰に云っても信じないだろうとタカを括っているのかもしれない。


「何にしてもアレを此の丘の上まで引っ張り上げるのは手間が掛かりそうだな。諸君等も手伝ってくれたまえ」


 そう、ぶっきらぼうに云うと林の方に向かい、サクサクと一人で歩き始めた。

 其れを聞いていた先任軍曹は、チッと軽く舌打ちをし、部下達に付いて来いと命令した後で僕等にも向かって、御前等も来いと乱暴に手招きして赤軍少佐の後に付いて林の方へ下って行った。



 林の中は地獄絵図、其の物だった。

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