おみくじの結果がなんと『小吉』だった件について

猿川西瓜

お題「アンラッキー7」

 おみくじを引いた。七番だった。どう見ても『大凶』だ。


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 母は昔、『大凶』を二年連続で引いたことを私によく語っていた。社務所の巫女が、「ほとんど大吉なんですよ。大凶なんて、逆にラッキーだと思って下さいね」と母に声をかけたという。

 その時、母はとても苦労していたので、『大凶』は当たっていると思ったらしい。その『大凶』のおみくじは今も大切に財布にしまってあるという。一度見せて貰ったことがあり、確かに『大凶』とあった。内容についてはあんまり読まなかったが、ざっと斜め読みをしたのだが、それほど悪いことは書かれてなかったように思う。

 しかも、そのおみくじを引いた場所は、太閤秀吉、大阪城のふもとにある豊國神社だ。そんなめでたい場所でよくぞ『大凶』を引いたものだと思う。


 私の記憶によれば、その頃の大阪城はブルーシートのテントだらけで、夕方になれば、公園全体、近づくことすら危ぶまれた。(今は、夜、ランニングする人々であふれていて明るい)

 そんなところに、昼だとしても母一人で行くというのは、ある程度の覚悟が必要であったろうと思う。

 不登校で小学校に行かずにだらだらゲームしていただけの私を横目に、財布に『大凶』のおみくじをしまった母は、せっせと晩ご飯を料理していたのだ。


 母の料理はすべて甘かった。砂糖があらゆる食べ物に混ざっており、卵焼きもご飯も豚肉もすべて甘かった。出される紅茶もコーヒーも砂糖たっぷりだった。そして、甘い料理が終わった後はひたすらテレビに向かって話しかけていた。

「どんならん」

 と、母はテレビに向かって言う。「どんならん」とは「Don't run.」という英語ではない。

「どうにもならん」という意味で、けったいなニュースや、どうしようもない事件に対しての母の一言コメントである。


 高校時代になって、ある程度立派になった私は、「ケケケケ」と笑うスピリチュアル系女子と付き合うことになった。いつも猫背だが、柏手を打つ姿勢だけは良い。おかげで、市内の神社はほとんど参拝した。

 ある日、母が参拝した太閤神社にも行った。

 本殿を参った後、社務所に行って、おみくじを引くことになった。おみくじ箱の中の一番下まで手を突っ込んで、ガサガサとおみくじを混ぜて、これだと思って引いた。

 小さく畳まれた紙にうっすらと『第七番』の文字が見えた。

「七番じゃん」と、私の隣のスピ女子は嬉しそうに言った。

「ラッキーセブンやね。ケケケケ」

「そうか?」

 私は母のことを思い出していた。

「七ってな、『大凶』なんだぜ」

 スピ女子はキョトンとしていた。私はおそるおそるおみくじの封を解いた。


 七番、結果は……『小吉』だった。


 大阪城はいつの間にか観光客が多くなり、憩いの地になっていた。外からのお客さん向けに悪いおみくじの結果も出ないようになったのだろう。せっかくお金を払ったのに、凶だの大凶だの何事だと、クレームを入れられたのかもしれない。


「どんならん」と、私はつぶやいた。

「どんならんってなに?」

「どうにもならんって意味やで」

 彼女はケケケと笑いながら言った。

「そんなに『大吉』が欲しかったのかい?」

 私は「いや、『大凶』……かな」と、松の木におみくじを結びつけながら首を傾げた。


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 その後、私があまりにマザコンなので、彼女に愛想を尽かされて別れることになる。関係は友達同士に戻ったが、ケケケと笑ってくれなくなったのがとても切ないのである。

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