アンラッキー・セブン

あじさい

* * *

 我が文芸サークルは、伝統的に女のそのだった。


 大学には文芸同好会もあるが、そちらは男子ばかりで構成されている。

 団体が男女で2つに分かれているのは、その方が活動しやすいからだ。

 男子には男子の、女子には女子の文芸があって、全く相容れないとは言わないまでも、同じ卓上で品評し合うのはリスクが大きい。

 文芸は書き手の内面が色濃く反映される都合で、同性同士の方が話しやすいことや、異性がいない場でないと話しづらいこともある。

 そのため、両団体の設立以来、文芸同好会は男子を、文芸サークルは女子を募集するのが習わしだった。



 その春、新入生歓迎会を迎えたときも、4人のメンバーは全員女子だった。

 新3回生が2人、わたしを含む新2回生が2人。

 奇跡的な偶然だが、会長の花村スミレ先輩、副会長の鳥山ツバメ先輩、書記の風間アオイちゃん、会計のわたし・月島マシロで、ちょうど花・鳥・風・月になる。

 実際、サークルはこの4人だけで充分楽しかった。


 意外な展開はなくても、った文体で世相せそうる作品を書くスミレ先輩。


 普段はサバサバして見えて、切なくて甘酸あまずっぱいBLばかり書くツバメ先輩。


 国文科のガチ勢で、王朝文学や漢詩・和歌が大好きなアオイちゃん。


 そして、3人に追いつこうと、実体験と妄想が入り混じる青春小説をせっせと書くわたし。


 4人それぞれ方向性は違うけど、お互いの良さを尊重して、(時にはおもてに出せない下ネタで)キャーキャーさわぎながら、率直な意見やアドバイスを言い合っていた。



 春になって、1回生の女子2人が新たに加わった。

 例年、途中離脱や幽霊会員が多いから、わたしたちとしてはもう少したくさん入ってほしかったけど、会長のスミレ先輩は「6は完全数だ、縁起が良い」と笑っていた。


 それから少し遅れて、5月末、2回生の林くんが入会を申請してきた。


 アオイちゃんが文学部の国文科、わたしが文学部の社会学科なのに対し、林くんは農学部で、面識はほぼない。

 高身長、細身のオシャレさんで、少し高めのよく通る声で、女子相手にもハキハキとしゃべる。

 1回生の頃に文芸同好会に入ったものの、夏合宿で嫌になって退会したらしい。

 その後は1人で小説を書いていたが、この春になって文芸サークルに入ることを思いついた。


 男子を入れるのはサークル設立以来、初めてのことだから、会長のスミレ先輩は新入生を含む6人全員を招集してミーティングを開いた。

 林くんが事前に提出してきた小説は、金星移住計画と地球外生命体との邂逅かいこうを題材にしたSFファンタジーで、完璧とは言わないまでも、技量不足やコンプラ違反で門前払いするようなものではなかった。

 となると、話は当然、「男子の入会を拒否するのは男性差別なのではないか」という方向に展開する。


「文芸は開かれたものです。男性が書いたものを女性が読んで感動することは珍しくないですし、逆もしかりです。商業用の小説が男性向けと女性向けで分けられることはあるにせよ、意見交換の場で、性別を理由に誰かを排除するのは差別だと思います」


 勇ましくもそう言ったのは、まだ入会1ヶ月にも満たない酒井さんだ。


「それに、女子だけで意見をぶつけ合っても、リアルな男性キャラは書けません。男子の目線があった方が、よりリアルで豊かな作品が書けるはずです」


 文系の大学生の多くは自堕落じだらくな生活でふやけているし、真面目な人もそれに影響を受ける。

 だから、新入生の方が、学問や芸術に対して理想を抱き、情熱を燃やしている。

 こう言って良ければ、わたしもかつてはそうだった。

 このときの酒井さんは、わたしには直視が苦しいほど眩しかった。


「それこそ、学外のコンテスト用の小説を書くときに考えればいいことじゃない?」


 机の上に手を組み、目を逸らしながらではあったが、スミレ先輩が意見した。

 スミレ先輩に限ったことではないが、わたしたちの多くは中学・高校で教室のすみや図書室でおとなしく本を読んでいたタイプだ。

 議論や言い争い以前に、そもそも対人コミュニケーションが得意ではない。

 堂々と明朗めいろうに話せるのは、『身内』しかいない場に限られる。

 それに対して、酒井さんは宇宙人かというくらい強い。


「どうしてですか?」


 どんな場合でも、漠然ばくぜんと『どうして』と問われると、返答が難しい。

 相手がどこに引っかかっているのか、どういう返答を望んでいるのか分かりづらいし、文言自体にも圧力がある。

 スミレ先輩は去年までの快活さが嘘のような、ほとんどおどおどした様子で答えた。


「学外のコンテストに出すなら、より広く読者を得るために工夫を凝らさないといけない。だから、私たちみたいな数人の女性の目線だけでなく、男性を含めた少しでも多くの視点を取り入れて、整合性を担保たんぽした方が、良い作品……望まれる作品になると思う。でも、私たちがサークルの活動として書くときは、私たち自身が良いと思える作品を書いて良いと思う。……というか、その方が――」


「どうしてですか? 文芸サークルは学園祭で作品集を冊子にして配布するんですよね? 自己満足ではなく、より良い作品を作った方が良いんじゃないですか?」


 酒井さんがスミレ先輩の言葉をさえぎって、たたみかけた。


「あのね、うーん、何ていうか……」


 と、言葉を探すスミレ先輩は、酒井さんではなく同期のツバメ先輩を見ていた。

 ツバメ先輩の態度はスミレ先輩への支持を表すものだったし、実際に助け舟を出しそうだったが、その前にスミレ先輩自身が言った。


「強い言葉になるけど、万人受けを狙いすぎると、創作の幅がせばまる……とは言わなくても、制限されるでしょ。私たち……私としては、そんなに読者受けは気にしなくていいと思う。読者全員が納得するフィクションなんて、どうせ作れないんだし。書きたいことを書いて、書くこと自体を楽しむのが、文芸サークルの活動というか、ね」


「会長の言うことは分かりました。でも、書きたいことを書く場から、性別のみを理由に特定の人を排除するのはどうしてですか? はだかを見られるわけじゃあるまいし、男子に読まれたって恥ずかしがることないじゃないですか。現に、林さんはこうして私たちに作品を提出しているんですし」


 酒井さんはこう言うが、林くんの小説は彼が自主的に提出してきたものだ。

 わたしたちの誰かが読みたがったわけでも、審査をしたがったわけでもない。

 林くんが恥ずかしくないのは当然だ。


 ちなみに、この少し前に感想を言い合ったが、林くんの小説はわたしたちの琴線に触れなかった。

 スミレ先輩とアオイちゃんはそもそも金星や宇宙人に興味がないし、火星ならまだしも金星への移住計画を進めるくらいなら、その前に地球でやるべきことがいくらでもあるだろう、というドライな立場だ。

 わたし自身は、理屈っぽいのに科学的根拠があやしい話を読むと、考えることが多すぎて、登場人物に感情移入するどころではなくなる。

 新入生の池田さんもわたしと同じで、基本設定の時点でよく分からなかったと言っていた。

 ツバメ先輩は文章とペース配分を評価しつつ、「主人公以外がバカすぎる」と言って、良作認定はしなかった。

 林くんの小説を「面白い」と言ったのは、酒井さんだけだった。


 ともかく、スミレ先輩は対応にきゅうした。

 小説を男子に読まれることが恥ずかしいか恥ずかしくないか、そんなことを議論しても無意味だ。

 恥ずかしさは理屈ではないのだから、相手を黙らせられるのは、

『何も恥ずかしくない! 恥ずかしがる理由がない! 理由があるなら説明してみろ!』

 と言い続けるがわに決まっている。


 スミレ先輩がだまった後は、アオイちゃんが『表現行為とは何か』について語り始めたが、何も言い終わらない内に「そんなのはせまい見方です!」と却下された。


 ――あんたの視野は狭くないのか。


 とわたしは思ったが、口には出せなかった。

 入会して間もない、どこに地雷や逆鱗があるか分からない相手を刺激したくなんてない。

 それに正直、酒井さんは怖かった。

 先輩相手にズバズバ意見を言うこともそうだが、林くんを絶対入会させるという気迫が、当時のわたしには理解できなくて怖かった。


 ツバメ先輩は感情論で駄々をこねた。

 結果的にはこれがいちばん強かった。


現実リアルの男はヤだよ。人格もプライドもない××女ばっかり書きたがるし、おっぱいとパンチラにむらがる自分らをたなに上げてBLと愛好者のことキモいって言うし、恋愛小説を猿真似してベタベタさわろうとしてくるし、男同士じゃくせに女に批判されたらすぐキレるじゃん」


「林さんはそんな人じゃありません」


「そんな人だよ。そうじゃない男なんてリアルにゃいねぇんだ。だからあたしはBL書いてんだ」


「偏見です。男性差別です」


 理屈としては酒井さんが優勢だ、とわたしは思った。

 一口に『男』と言っても様々だから、『男はみんなこうだ』と決めつけるのは間違いなく偏見だ。

 セクハラや性犯罪に走る人がどうしても注目されがちだが、心優しく自制心のある男性もきっと多いことだろう。

 同性愛者や性欲のないAセクシャルもいるし、林くんがそうである可能性もある。


 でも、気持ちとしては、わたしはツバメ先輩に加勢したかった。

 ツバメ先輩は高校時代の文芸部で、先輩男子たちの小説を課題として読まされ、ベッドシーンの感想をしつこく求められた。

 その部は以前から性の話に大らかだったらしいが、入部して間もない高校1年生のツバメ先輩は嫌で仕方なかった。

 ツバメ先輩がBL好きであるにもかかわらず、男性に不信感を抱いているのは、この経験があるからだ。

 林くんに非がなくても、ツバメ先輩の不安は尊重されるべきだと思う。


 ツバメ先輩の主張は、わたしが口をはさむ間もなく続いていた。


百合ゆりに男をはさむな! 百合に挟まりたがる男を許すな!」


「このサークルは百合じゃありません」


 なぜか、新入生の酒井さんがそう断言した。

 間違ってはいないが、そのことにスミレ先輩がクスッと笑った。


「女性専用車両を守らないのは女性差別じゃろがい」


「このサークルはそういうのじゃないって言ってるんです。大学公認のサークルで、サークル紹介パンフレットで会員を女子に限定すると明示していないんですから、男子にも門戸もんこを開くべきです」


「ヤダ!」


 ツバメ先輩の男性不信と酒井さんの男性善良説は、その後もずっと平行線だった。

 たっぷり30分も言い争った後、スミレ先輩が案を出した。

 そして、サークルとしては林くんの入会を受け入れて、話しにくくなったようなら別枠の女子会を検討する、ということになった。


「別に、メンバーが全員そろってるときでないと話をしちゃいけない、ってわけじゃないからね」


 スミレ先輩はそう言うが、難しいだろうな、とわたしは思った。

 おそらくスミレ先輩自身も、ツバメ先輩とアオイちゃんも、それは分かっていただろう。

 大学生は意外と多忙だ。

 サークルとは別にメンバーの予定が会う日を見つけるのは大変だろう。

 それに、理由はどうあれ林くんを仲間外れにすれば、また酒井さんが騒ぐことは想像にかたくない。


 ただ、こうでもしないと落としどころがないから、納得がいったふりをしたにすぎない。



 林くんが正式に入会して、我が文芸サークルの会員は、完全数の6人から7人になった。

 世に言うラッキー・セブンだが、誰もそんなこと言わなかった。


 林くんを交えての初の読書会は、わたしたちの自作小説ではなく、川端康成の『伊豆の踊子』が題材だった。

 有名な短編だから読みやすいし、新入生も意見を言いやすかろうという配慮に加え、この作品を林くんがどう論じるか、様子見もねていた。


 会長のスミレ先輩が1回生の酒井さんと池田さんに率直そっちょくな感想をたずね、話をふくらませながら、他のメンバーにも意見を聞いていった。

 酒井さんが最初に口にした感想は「文章がきれいで読みやすいですよね」という当たりさわりのないものだった。

 一方、先日の話し合いで静かだった池田さんは意外にも、


「はっきり言って、男性が独りよがりな思い出補正で作ったファンタジーだと思います。川端自身も、彼が体験した伊豆も、実際はずいぶん違ったでしょう」


 と爆弾を放り込んだ。

 ツバメ先輩とわたしは大笑いしたが、林くんは「えー、そうかな?」と懐疑かいぎ的だった。

 林くんがそれ以上突っ込んだ議論に進むことはなかったが、ツバメ先輩とわたしは会が終わって解散した後に、

「林くん、ずっと不満そうだったね」

「何が問題か分かってませんでしたね」

 と陰口し合った。


 林くんには悪いことをしたかもしれない。

 でも、彼の入会をめぐってサークルがめたのは事実だし、わたしはその場にいない林くんに気をつかうより、ツバメ先輩に共感して便乗したかった。



 数週間後、酒井さんがサークル入会とほぼ同時期に、林くんと恋人同士になっていたことが判明した。

 これが、林くんが今年度になって我がサークルに入りたがった理由であり、彼女が林くんをサークルに入れたがった理由だったわけだ。

 2人は当初、この関係をもう少し隠しておくつもりだったらしいが、ツバメ先輩がいつまでも林くんを警戒しているのが鬱陶うっとうしくてカミングアウトした、とのことだ。

 酒井さんとしては、林くんは一途いちずだからツバメ先輩が警戒する理由はない、と言いたかったのかもしれない。

 でも、林くんを信頼し切って女子会にまで呼びたがる酒井さんと、男性不信をぬぐえないツバメ先輩との間には、ずっとみぞがあった。



 その後、半年にわたってわたしたちが見ていた限りでは、林くんはそれなりに真面目で、謙虚さと柔軟性のある人で、わたしたちが彼の作品を批判してもきちんと耳を傾けてくれた。

 ツバメ先輩が警戒し続けたような、趣味の否定や明らかなセクハラ行為は、誰に対しても最後までしなかった。

 もちろん、林くんという男子がその場にいること自体が、去年まで野放図だったわたしたちに、女性らしいしとやかな振る舞いをいる空気を発生させていたことは否定しない。

 また、わたしが小説を書くとき、異性に見られることを意識して、ある種の表現をひかえめにしたことも事実だ。

 だが、林くん自身について、少なくともわたしは、取り立てて言うほどの嫌悪感はいだかなかった。


 そんな林くんは、クリスマスを目前に酒井さんと別れると、サークル内に居場所を失って、あっけなく来なくなった。

 彼と同学年のアオイちゃんとわたしは、そんな林くんを居酒屋に誘い、事実上のお別れ会をした。


 この頃、スミレ先輩とツバメ先輩はすでにサークルOGとなり、インターンや就活の合間にたまに顔を出すくらいになっていた。

 その意味では今さらではあったが、林くんがいなくなった後、ようやくツバメ先輩と酒井さんが打ち解け始めた。

 色々と皮肉な結末だ、とわたしは思った。



 来年度、このサークルにまた男子を受け入れたものか、わたしたちはまだ決めかねている。

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アンラッキー・セブン あじさい @shepherdtaro

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