第18話 男の話

みじめな過去は、自分の手で清算した。

『こんなこともうまくできないのか!』

 家の手伝いを失敗するたびに叩いてきた、父親。

『妹の方がしっかりしてるわね……』

 ため息混じりに呟く、冷たい目をした母親。

『こんな問題も解けないのかよ! 運動も魔法もダメ、ほんっとにダメダメだな! あはは!』

 できないことをあざ笑う、同級生達。

 どうして、俺は生きているんだろう。俺はこの世で生きていてはいけないんじゃないか?

 こんな、役立たずの俺なんか。

『お兄ちゃんは、優しいから』

 ……この世に俺を繋ぎ留めた、ただ一人の存在。

 妹は、可愛らしい顔立ちで要領も頭も良かった。

 確かに、嫉妬はしていた。

 その力の半分でも、俺にあれば。

 あんな奴らに、馬鹿にされずに済んだのに。

『お兄ちゃんが上手にできない分、私が頑張ればいいんだから、気にしないで?』

 妬み恨みの感情と同じくらいの熱量の、妹への真逆の思い。

 だが、妹は突然この世からいなくなった。

 十八の歳に、将来を誓い合ったはずの男に裏切られたのだ。

『こんな問題も解けないのかよ! 運動も魔法もダメ、ほんっとにダメダメだな! あはは!』

 妹を裏切った男は、そう言って俺を嘲笑った、俺の元同級生だった。

 やり直そう。やり直して、再出発するのだ。

 くだらない連中を見返す力を、手に入れて。

『やめろ!』

 皆が皆そう言ったが、俺は手を止めなかった。

 力ある魔族と取引し、力を得るには相当な数の代償(にくたい)がいる。

 小さな村だ。全員を手にかけても、足りるかどうか。

「うぅむ……少し足りないが、私も退屈でね……おまけしておこう!」

 呼び出した隻眼の魔族は、俺が山積みにした村の連中の遺体を前に、にやりと笑った。

「君にあげるのは、ターゲットの体積を自分のイメージ通りにできる能力ちからだ……これは便利だよ……小さくするも大きくするも、思いのままだからね」

 俺の血に刻まれていく、魔族やつの力。

 まるで生まれつき備わっていたかのように、魔法それはごく自然に使えた。

 俺を馬鹿にし、虐げてきた連中を礎に俺は幸せになるのだ。

 これを因果応報っていうんだ。ざまあみろ。


「ぶあっくしょん!」

「うっわ、きったな!」

 リタは心底嫌そうに顔を歪めた。

 その手には、今しがたクシャミをした男の鼻に突っ込んだ綿棒が握られている。

 リタは綿棒を即座にゴミ箱に捨てると、手足を縛られたまま簡素なベッドに横たわっている男の顔を覗き込んだ。

「起きたかぁ……気の毒な男!」

「その声……確かダンジョンで聞いた……」

 男はリタの声にぼんやりと呟いた。

「あんたさ、なんで魔族うちらと取引なんてしたんだよ」

「うるせえ……お前なんか、すぐにぺしゃんこにしてやる……あれ? なんか変だ……」

 男は呻き、眉根を寄せる。

「だから言ったろ、回収するってさ。私が言ったこと、忘れたのか?」

 リタは呆れたようにため息を吐いた。

「く、くそっ……」

 男は手足の拘束を解こうと、ジタバタし始める。

 簡素で狭いベッドがギシギシと音をたて、やがて男はベッドから転がり落ちた。

「痛ってぇ……」

「もしその縄解いたら、次は手足が千切れるくらいの力で縛るよ」

 耳元で響くリタの低い声音に、男はピタリと動きを止めた。

「くそ……魔族がよ……この卑怯者ひきょうもんがっ……!」

「あんたねぇ、その卑怯者ひきょうもんから力もらったくせに、その言い方はないんじゃない? それよりあんたが払った代償……」

「うるせえ! 代償あいつらはいいんだ! 散々俺を馬鹿にしやがったんだからな! ああなって当然なんだ!」

 男はリタの言葉を遮って怒り叫んだ。

『こんなこともうまくできないのか!』

「くそ親父は俺を何度も殴った……家の手伝いがうまくできなかったからって……」

『妹の方がしっかりしてるわね……』

「くそばばあは、俺と妹を比べて見下した……まるで俺には、何一つ価値がないみたいに……」

 過去を思い出す男の顔が、どんどん歪んでいく。

「それに……あいつら……勉強も運動もうまくできない俺を馬鹿にしただけじゃない、俺の妹も侮辱しやがって……皆! 皆、死んで当然なんだ! 俺の役に立って、奴らの罪が償われたんだ!」

 男の叫びを黙って聞くリタの脳裏に、自信のなさそうなルシェの声が蘇る。

 それは、初めてルシェが“たすけ手”に電話してきた時のものだった。

『……でも僕、勉強も運動も精霊魔法も……なにをやっても、全部ダメなんです』

 ルシェは、勇気を出して行動した。

 例えそのきっかけが、ポストに投函された一枚のチラシだったとしても。

「あんたが引き返せる時に、私と出会っていたらな……」

 リタは目を伏せ、ぼそりと呟く。

 変化をもたらす出会いとタイミングは、自ら手を伸ばさなければ得られない時もある。

「まあ、あんたの言い分はわかったよ」

 リタは言い、ひょいと男を担ぎ上げた。

「な、なにすんだ⁉」

 男はリタの肩の上で、慌てふためいた。

「暴れんなよ……床に落ちたら、また痛い目みるよ……あんたを裁くのは、私の役目じゃないんでね。然るべき方のところへ連れていく」

 リタは淡々と男に告げ、瞬間移動する。

 裁きと更生、処罰、処刑が行われるその場所へと。

 どうか下される判断が、やさしいものでありますように。

 リタは無表情の裏で、そっと祈っていたのだった。

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