第7話 硝煙の匂いの記憶をたどる
「たまに下宿に硝煙の匂いを振り撒いている犯人は、やはり君だったのか、ジュリ」
予定、というのは点検のために預けていたクレー射撃用の散弾銃を受け取りに行くことだった。当然のようにセナは同行すると言い、私はそれに関して特に何も意見を言わなかった。今日の今までの経験から、早くもそばにセナがいる状況に慣れ始めていたし、同行して当然だとすら思っていたからだ。
店の前にセナを残して散弾銃を受け取り、焦茶色の合皮が貼られたガンケースを手に出てきた私を一目見て、セナの煙を閉じ込めたような目がパッと見開かれたのだった。
「そんなに匂いを持ち込んじゃっていた?」
用事は済んだしガンケースを連れまわしながらの道草は重労働なので、セナと私はまっすぐに来た道を戻る。太陽はさらに水平線へと接近して、陽光は赤を強めていった。
「ああ、特に私の部屋の前の踊り場あたりだ。あの辺りは空気が停滞しやすい」セナはいかにも楽しそうに口角を上げた。「食べ物を焦がした匂いともタバコの煙の匂いとも違う、野生的だが文明を感じる独特の匂いだから目立っていた。だからと言って気にする必要はない、好きな匂いだ」
「それはよかった。何しろ無意識にしていたことだからね、匂いに気を付けるのは難しいんだよ」私は言った。「それにしても、『やはり』ってことは匂いを運んでいるのが私だと前から予想していたんだよね、そのプロセスを聞いても?」
「もちろんだ。まず、建物内で硝煙の匂いがする状況を作るには、建物内での発砲、近隣での発砲、発砲した者の建物の出入りあたりが考えられる。ほとんど部屋から出ない私が発砲音を聞いたことがないし、何よりアンドロイドがアラートを出したことはない。よって、建物内での発砲ではない。次に近隣での発砲だが、そんな事件があればジュリは騒ぐだろう。だから違う。となると、どこかで発砲してきた何者かが建物を出入りしたと考えるのが妥当だ。では、出入りしているのは誰だろう。私ではないし、下宿のアンドロイドに関しては重火器を持たない。頻度から考えて訪問者でもない。となると、硝煙のにおいを持ち込んでいるのはジュリである、というのが私の予想だった。そして、その予想は現在君が持っているそのケースによって裏付けされた、というわけだ」
早口でまくし立てたセナはふう、と息を吐き、含みのあるような笑顔を私に向けた。
「それに、私は君がわざわざプロセスを聞いてくれたのだと気づいている。聞きたかったのも嘘ではないのだろうが、それ以上の理由がそこにはあるように私には見える。それが何かは分からないが、ありがとう、いい気晴らしになった」
セナは満足そうに控えめに笑ったが、私はどこか釈然としなかった。確かに私は、物珍しい重火器がずらりとディスプレイされている店内で好奇心を発揮されては帰れなくなる、とセナを店の外で待たせていたことの償いになればと考えて彼女にガス抜きを促したのだ。違和感が出ないように自然な流れを作れたと心の中でガッツポーズをとっていたのだが、いったいどこでバレたというのだろうか。
下宿に到着すると、まだ午後5時を少し過ぎたころだった。夕食にはまだ早い時刻だったので、私はセナを部屋に誘って、映画を観ようと提案した。いつもなら特に何をするでもなく時間をつぶすかアカデミーの課題を片付けるところだが、どこかに彼女の存在を常に感じる状況ではうまく集中もリラックスもできそうになかった。こういうときの人間は、簡素なイベントを安易に提案してしまうものなのかもしれない。
今日はもう外出する予定はないので制服を着替えてくるように、とセナに言い残し、彼女の部屋の前を離れて私はさらに追加でワンフロア分の階段を上った。
私の部屋にテレビはないので、代わりにラップトップを作業用のデスクからローテーブルの中央に移動させて起動した。他人に言っておいて自分は制服を着たままでは筋が通らないので、ぎりぎり外出着としても通用するであろう部屋着に着替えた。制服とガンケースをクローゼットの所定の位置におさめ、動画サブスクリプションのアプリを起動させていると、前触れなく部屋のドアが開いた。
「なんだ、今日はジュリも鍵をかけていないのか」
ダークグリーンのかなりオーバーサイズなトレーナーを身に着けてポニーテールもほどき、すっかり家モードになっていたセナがこともなげに言った。細くて頼りないような白い脚は相変わらずむき出しで、見ている私の方が冷え込んできそうだ。
「すぐ後に君が来ることが事前にわかっていたからかけなかったんだよ」私は立ち上がり、出入り口に向かった。「鍵をかけなかった私にも多少は非があるけど、ノックくらいしてほしかったな」
「来ることがわかっていたのなら、ノックは無意味では?」
「意味はあるよ。例えば、着替えている最中だったら恥ずかしいよ」
「私は気にしない」
「セナがどうかは知らないけど、私は気にするんだよ」平行線の議論を短いため息で強制的に打ち切った。「この話はまた今度。ほら、中に入ってソファに座って」
ドアを閉めて鍵をかけ、部屋に一歩だけ入ってドアの前から動かないセナを奥へと誘った。なぜか足音を立てずにそろそろとついてくるセナをソファに座らせ、私もその隣に腰を落ち着けた。ラップトップのフラットポイントに指を滑らせて、ジャンルも雑多な映画のサムネイルを表示させる。
「気になる映画ってある? それか好きなジャンルとか監督とか……」
どちらかといえば流行や定番を追いかける私がセレクトする映画ではセナは退屈するだろうし、せっかくの機会だから彼女の好みが知りたい。選択肢を絞ってもらおうと質問を投げかけて視線を向けると、セナは突けば滑り落ちそうなほど浅くソファに腰掛けて視線をあちこちに泳がせ、見るからに緊張していた。
「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。昨日は勝手に上がり込んだくせに、私の部屋は落ち着かない?」
「……招かれたのは初めてだから、勝手が違う」セナは少しだけ不機嫌そうに言った。「それに昨日じゃなくて今日の2時だ」
同じような光景をつい2時間ほど前にも見たことを思い出した。どうやら、部屋の中で2人きり、という状況はセナを幾分か緊張させるようだ。それなら夜中の2時に暗い部屋の中でしばらくじっとしていたのにも説明がつく。きっとその状況に自分を慣らしていたのだ。
「……映画ならSFとかサスペンスが好きだ。今の私達には考えられないような技術や、裏から世界を操る組織が出てくるような」
「そうか、それなら……これなんかどうかな」
少し前にごく一部のコミュニティで話題になっていた、時空間のねじ曲がるような映画のサムネイルをクリックした。
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