第6話 A号室のプラネタリウム
セナがスイッチを入れると、暗く閉塞的な1Kの天井が満天の星空に変貌した。大小さまざまな白、青、オレンジの星がちらちらとランダムに瞬いて、時々流星が走り去る。アルバイトの帰りに見上げる空とは比較にならないほどの星の数に、宇宙に放り出されたと勘違いした両腕が上半身を支えるのをやめそうになる。
「どうだ? おもしろいだろう」
「うん、とてもきれいだね」
体を預けていたベッドの右側が沈み込んで、セナが隣に座った。
「プラネタリウムの良いところは、時間を選ばなくてもいいところと、肉眼では見ることのできない星まで確認できるところだ。おかげで気軽に好奇心を満たすことができる」
「確かに、真冬の夜中に眠い目をこすりながら目当ての星が見つかるまで望遠鏡をのぞき続けるのはつらいかもね」
隣でふふ、と小さく笑うのが聞こえた。それがわずかに皮肉をにじませていたような気がしたのは、セナはさっきの私の意見に同意しないだろうという思い込みのせいだろうか。いつだかに管理人代理のアンドロイドから聞いた話によれば、彼女はまともな嗅覚と集中力が続く限り何時間もぶっ続けで調香をしているようだし、食堂で鉢合わせするタイミングはバラバラで、鉢合わせすらしないこともしょっちゅうなのだから夜更かしの常習犯なのだろう。そんな生活を苦も無く続ける彼女には、夜通し望遠鏡をのぞき続けることがつらいことだとは想像できないだろう。
「あそこに白い大きな星があるだろう? あれが金星だ」セナの声は少し弾んでいた。「男性は火星から、女性は金星から来た、という誰かの言葉があるが、もしそれが本当なら私たちは冬を越せずに死んでいたか、進化の過程で冬眠の習慣を身につけなければならなかっただろうな」
「不思議なことを考える人もいるんだね」
楽しげに話すセナに対して、私の発した声は耳に届くと想像以上に色彩を欠いていた。
「君はこういうのに興味はないのか?」
「正直に言うと。眺めるのは好きだけどね」私は苦笑しながら言った。「規模が大きすぎて私には掴めないし、私にとって夜空は、ただそこにあって美しければそれで十分なんだよ」
「知識を参照しながら眺めればもっと面白いと思うのだが」
「君の言うことが分からないわけじゃないけど、私は読まない本を本棚に飾っておく趣味はないんだよ」知識不足を指摘されたようで少しイラついたが、あくまで穏やかに、短く笑ってどうにか追い払った。「木星の衛星がいくつとか、地球は亀の甲羅の上にはないとか、そういうことは知らなくても不満なく生きていけるものだよ」
「本棚を増築すればいいのでは?」
「それができれば定期試験で苦労はしないんだけどね」
春の星座や惑星間スーパーハイウェイ、宇宙エレベーターや火星の無人ローバーなど、とにかく雑多な宇宙に関する情報を垂れ流し続けるセナの声をBGMに天井に散らばった星々を眺めていると、前触れなく光は徐々にやる気を失い、ついに室内は真っ暗になった。
「30分経ったら勝手に消えるようにタイマーをセットしておいた。そうでもしないと時間の感覚がなくなってしまう」
右側から傾きの原因となっていた重みがなくなり、セナが遮光カーテンを勢いよく両側に開いた。少し傾いた陽光がせきを切ったように部屋に流れ込み、視界がホワイトアウトして反射的に目を閉じた。瞼の向こうの明るさにようやくなじみ、目の奥を痛めないようにゆっくりと目を開けた。それでも何度か目をしばたかせなければならなかった。セナは既にボールチェアの中に戻っており、冷めたコーヒーが気に入らなかったのか、一口だけ飲んでマグカップを一瞥するともう一度作業台に戻した。
「どうだろう」セナは言った。「ジュリの期待には沿えただろうか?」
「うん、もちろんだよ。部屋の中は何から何までセナらしいし、宇宙に関心があるなんて少し意外なところも知れたしね」
「意外……意外だったか?」
「少なくとも私から見ればね」珍しく理解が追い付いていないようで目を丸くしているセナに、私は不意にこみ上げる笑いを抑えながら言った。「君はこういう……際限のない憶測とか果てしない空想めいた仮説とかは非現実的で興味がないかと思ってたんだよ。それより、セナの方こそ順調?」
「いや、はっきり言って順調とはいいがたい」セナは訝し気に眉をひそめた。「データが集まって、反例が示される仮説は消えて……普段通りのはずだがどうも違和感が……」
視線を落としてうなり声をあげるセナを小さじ1程度の哀れみでもって眺めた。何をそこまで真剣になって実験しているのか、説明してくれないのだから助けようもないのは当然だ。話してくれれば手助けできるかもしれないのに。
「もうこの話はやめだ。悲観的になったところで何も解決しない」
自分から始めた話をさっさと切り上げて、セナは窓の外に目をやった。
「今は何時だ?」
突然の質問に少し慌てながらジャケットからモバイル端末を取り出し、少し振ってロック画面をつけて時刻を確認した。
「今は……4時のちょっと前だよ…………あ」
予定があったことを思い出した。
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