第4話 君は例外
セナは猫かぶりな微笑みを浮かべ、マシロは好奇心に目を輝かせている。私は……どうだろう、自分では見えないが、きっと顔の筋肉がちぐはぐに動いて複雑な顔になっているはず。
店内を満たすポップスアレンジされたクラシックと周囲の楽しげな話し声が、局所的な沈黙をしばらくごまかし、唐突にセナがそれを破った。
「今からお2人には軽く会話をしてもらいます。当然、私をその会話に交えずに」
「何のために、どういった会話をすればいいの?」私は言った。「私だけならともかく、もうすでにマシロも巻き込んでるんだよ。全部じゃなくてもいいから説明してくれる?」
私に視線を振ったセナはもう猫をかぶっていなかった。
「さっき2人がレジの前で話をしているのを見て、ひとつの仮説を立てた。だからその雰囲気の再現をしてもらいたい。話している2人を観察をすることによって、そのひとつの仮説を定説に近づけるためだ。会話の内容はさっきと同じでも、違っていても、何でもいい。とにかく話して」
いまいち欲しいところに手が届かない説明に喉の奥でうなりを殺していると、マシロがふふ、と小さく笑った。
「いいよ、よくわからないけどおもしろそうだね」とマシロ。「じゃ、お話ししようか」
雑談を意識的にするのは難しい。それも、鋭い視線で第三者に観察されながらであるならなおさらだ。しかし、そう考えていたのは私だけだったようで、マシロはテーブルの上に放置されているドーナツをだしにして話し始めた。
転がってしまえばそれはなかなかに順調で、二転三転した話題が再び変わろうとしたとき、
「ありがとう、十分だ」
セナの小さいがよく通る、落ち着き払った声によって雑談は中断された。少し消化不良だが、もともと意味のない会話に未練はない。私たちが正面に向き直ると、セナは満足げに口の端を上げ、今度はマシロに灰色の目を向けた。「次はマシロさん、私とお話ししてくれますか?」セナはあからさまに猫をかぶりなおした。
すっかり冷めてしまったアメリカーノに口をつけながら、2人が話す様子をただぼんやりと眺めた。雑談はマシロがイニシアティブをとって進行しているようだった。共通項が私とアカデミーくらいしかない2人が会話をしているのは、奇妙な光景だ。エネルギーにあふれていて社交的なマシロと内省的なセナは会話がうまく続かないと予想したのだが、セナが思いのほか穏やかにマシロに合わせていた。
セナにマシロを友人にする気があればいいのだけど、と望み薄な考えに思考を浸していると、「ありがとう」とまたセナが脈絡を無視して話を切り上げた。
「で、何かわかった?」
「まだ何も」とセナはそっけなく言った。「ではマシロさん、仕事に戻っていただいて結構ですよ」
「そう? 私はもう少し話していたかったけど」マシロは立ち上がってサロンをつけた。「じゃあまたね、また来てくれたらその時もコーヒーのサービスするからね」
あてられればミモザでも咲きそうなオーラを発散させながらレジに戻るマシロを見送って、私たちはようやくドーナツに手を伸ばした。
「彼女は愉快な人だな」セナはオールドファッションを食べながら小さく笑った。「考え方も行動も私とはまったく違うが、だからこそ興味深い」
「私の友達だから、あまり妙なことに巻き込まないでよ?」
「巻き込まない。でも彼女は恐らくどんなことでも楽しめる人間だろうから、強要しなくても巻き込まれてくれるかもな。それでも心配はいらない、私が巻き込むのは基本的に君だけだ」
「あんまりありがたくない特別だね……」
それから、いつだかに通りで見かけたリクガメの話をしながらテーブルの上を空けた。「何かおもしろい話を」とのリクエストに応えたのだが、セナの反応は意外と悪くなかった。
結局、セナはオールドファッションを食べただけで、フレンチ・クルーラーは私に押し付けた。まずは彼女の胃を一般的なサイズまで大きくさせる必要があるようだ。
ドーナツ屋を出たセナと私は通りを歩いていた。
「どこに向かうんだ?」
「下宿だよ、今日はもう疲れた」
「2コマ目を無断でパスしたのにか?」
「そうだよ。2コマ目をパスするほど疲れてるんだよ」血糖値の乱高下による微弱な眠気を感じながら、疑念のようなものに行き合った。「もしかして、下宿でぼーっとしている間も横に……?」
「当然だ。覚えてないのか? 私は、今日、一日中――」
「覚えてるよ、ただの確認だよ」あくびとため息が混ざったようなものが出た。私ばかりが疲れているようで不公平だ。ちょっとした仕返しになるいいアイデアはないかと脳をひっかきまわし、それらしいものを見つけた。
「ねえセナ、帰ったら君の部屋に入れてよ。そうすれば、君は慣れた環境で実験が続けられる」
「私にはありがたいことだが、君にはどんなメリットがあってこの提案を? 私が君ならそんな提案はしない」
「君の部屋に入れる。君は他人を自分の領域に入れることに抵抗がありそうだし、それなりの理由がないと、自分の部屋に招いてくれないタイプに見えるから」
セナは瞼をわずかに持ち上げ、ほう、と息を吐いた。
「意外と鋭いんだな、ジュリ。白状すると、私は君を甘く見積もっていた。でも見誤っている」彼女は意地悪と柔和のちょうど中間に座標をとる笑みを浮かべた。「何事にも例外あり、だ」
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