探偵、谷ケ菜正義の事件簿

黒片大豆

第一話 最終回『アンラッキーな7』

『X7Z』

 被害者が最期に残した、いわゆるダイイングメッセージである。


 探偵、谷ケ菜やがな正義まさよし。彼は、いの一番に疑われた。というかすでに取調室でかつ丼を食らっていた。


(殺されたのは、中海老剛造なかえび ごうぞう、90歳の資産家。まだ足腰は丈夫で、ボケとは程遠い健康状態。毎朝は犬の散歩を日課としていたが、そこを襲われた、と)


 死因は、頭部を固いもので一撃。近くにレンガが落ちており、凶器は特定済み。

 問題は、この現場が閑静な住宅街の小さな公園、しかも早朝であったこと。

 周囲には誰もおらず、目撃証言は皆無だった。


「さ、谷ケ菜さんよ、やっと吐く気になったかい」

 あだ名を付けるなら『ゴリさん』がこれほど似合う刑事は居るだろうか。それくらいの風貌、体格の刑事が、取調室で谷ケ菜と対峙していた。

「なんでオレ、捕まってん?」

「あのな、中海老に借金作っておいて、当日はアリバイなし。動機は十分だろう」

「でも、確定的証拠は無し。結果的に被害者が残したダイイングメッセージだけで、オレを捕らえたってか」


 ゴリ刑事(本名;五里鉄夫ごりてつお、ギャグかよ)が、ぐぬぬといった顔をした。まさに図星だったようだ。


(ま、こちらとしては、取り調べついでにいろいろ詮索させてもらったけどね)


 事件後に偶然、現場を通りかかった人がいた。第一発見者(以下、A氏とする)は、中海老が遺したダイイングメッセージを、唯一見ることができた人物だった。A氏は取り乱しつつも、なんとか救急車を呼ぼうと四苦八苦している間に、その大切なメッセージは、中海老氏が連れていた犬が動き回って消してしまったのだ。


(それが……『X7Z』、ね)


 余りに証拠が少ない中。特に中海老氏に恨みがあると思われ、かつアリバイがない人物を中心に、警察は容疑者は三人にまで絞っていた。


 一人は、一番怪しいということで手錠まで付けられちゃった、谷ケ菜 正義(やがな まさよし)、24歳男性。

 中海老剛造には、そこそこ多額の金を借りていた。

「探偵事務所って、なかなか住宅ローン組めなくてね」


 二人目は、中海老 英和(なかえび ひでかず)、30歳男性。被害者の孫にあたる。

 資産家の祖父の金をたびたび失敬し、かなり遊びまわっていたようだが、最近、剛造氏が彼に愛想をつかし、勘当したという話もある。


 三人目は、妻沼 果林(めぬま かりん)、22歳女性。

 なんと、中海老剛造と肉体関係を持っていたとのこと。御年90を迎えても、下のほうはいまだ健在だったという。

 彼女は剛造から多額の借金をしており、それの返済のためだったと、彼女から言質は得ている。


(ふうん……)

 取り調べられている筈の谷ケ菜であったが、彼は巧みな話術を駆使し、ゴリ刑事から事件の情報を盗み得ていた。

「……刑事さん、どこぞの馬の骨に嵌められたな。不運だねぇ、ま、俺もだけど」

「どういうことだ?」


「あんたら警察は、暗号を、こう解いたんだろ?」

 すると、谷ケ菜はゴリ刑事が持つペンとメモを失敬した。さらさらと、彼は紙に『X7Z』と記した。

「X、Zと有れば、本来は間にYが来る、しかし、メッセージでは7、Yが7だった」

 7の部分を丸で囲い、矢印を引きその先にYを記した。

「Yはローマ字でヤ行。だから、ヤが7、ヤがなな、やがな……で、谷ケ菜(やがな)に繋げた」

 彼は自分の名前をメモに記した。が、すぐに横線でそれを塗りつぶした。


「あほらし。昨今の謎解きゲームではもっと納得いく回答貰えるぞ」

「うるさいっ!勝手にぺらぺらと……貴様、この暗号の意味が分かったのかっ!」

「おう、わかったよ」


 あっけらかんと、谷ケ菜が返した。ゴリ刑事は、谷ケ菜の自信満々な回答にぽかんとした顔をしていた。


「わかるんだけど、一個だけパーツが足らない。一つだけ教えてくれ……。A氏、つまり、この暗号の『最初の発見者』は、誰だ」

「ふん! 守秘義務があるわい! 教えられるわけ……」

「じゃあ当てるぜ……ズバリ、『白人の留学生』だろ、しかも来日してまだ日は浅い」

「……!」


 谷ケ菜の回答は当たっていたのだ。ゴリ刑事の驚く顔を見て、谷ケ菜は確信した。

「A氏は『なんとか救急車を呼ぼうと四苦八苦』していたというのが、引っかかってね。もち、殺人現場を見てパニックになったってのも思い当たるけど、来日してすぐの外人さんだったら、119が思い浮かばないのも、このダイイングメッセージが『誤って伝わった』理由も、全ての謎が一度に解けるぜ」

 谷ケ菜が、さらにドヤ顔になった。非常に不快な顔つきである。10人にアンケートを取れば、うち8人は『殴りたい』と答えるような、そんな顔だった。


「……話を聞こう」

 しかし、ゴリ刑事は残りの2人になんとか収まった。振り上げたこぶしを下ろし、冷静に話を聞こうとした。

 なんせ、中海老剛造殺害の証拠は実質このメッセージだけだったのだから。


「んじゃあ、回答編と行こうじゃないか」

 谷ケ菜は再度、『Ⅹ7Z』とメモに記した。

「この文字列、英語と数字を交互に羅列している、英語と数字の繰り返しってことは……?」

「英語、数……! 剛造の孫、英和(ひでかず)かっ!」

 ゴリ刑事の無い脳みそがフル回転して答えを導くも、すぐさま谷ケ菜が否定した。

「ざんねーん、それもあり得ませーん」

 非常に癪に障る言い方である。ゴリ刑事の堪忍袋の緒がぶち切れる寸前までなるも、しかし、谷ケ菜の次の言葉が、彼を一気に冷静にさせた。


「推理マンガの見すぎだよ。『死ぬ間際』にそんな暗号、遺せるわけがないじゃん」

 あっ……。刑事はハッとした。

 あまりに単純なことだ、ダイイングメッセージが、何時から『暗号』だと思うようになった?


「つまり……『Ⅹ7Z』とは」

「犯人の、名前そのものさ」

 彼は指を銃の形にして、刑事に向けた。指をさされたゴリ刑事は、普段の自分だったら手を出してもおかしくなかったが、明らかになりつつある『真実』への好奇心が勝った。


「さあ、ゴリ刑事、おさらいだ。このメッセを見つけたのは?」

 谷ケ菜はまるで学校の先生のように、ゴリ刑事に質問をした。

「留学生だ、まだ日本語はたどたどしい」

「当たり。慣れない日本語を、彼は『見間違え』たんだ。被害者が名前を記したが、留学生は『読めなかった』」

 銃の形にして指さしていた谷ケ菜は、刑事に向け、『ばんっ』と撃つ真似をした。

「見間違え……」

「そ」


 谷ケ菜は三度目の『Ⅹ7Z』をメモに記した。しかし今度は、かなり乱暴な殴り書きであった。雑に書かれたⅩ7Zは、Xが斜めになり、Zは崩れて全体的に伸びていた。


「さ、最後の設問だ。エックスによく似た日本語って何だ?」

「……カタカナか!」

「ビンゴ。カタカナの『メ』だ」

「しかし谷ケ菜。その方向だと、7は『フ』か『ワ』だぞ、そんな人物……」

「確認しただろ?『白人の留学生』か? って!」

 彼は、7に斜めにスラッシュを入れた。


「……! これは!」

「英語圏では、7と1の見間違い防止のため、7にスラッシュを入れる事がある。つまり、その外人さんが見たのは、日本スタイルの『7』じゃない……カタカナの『ヌ』だ」


 メモに並ぶ、『メ』『ヌ』。この2字で始まる容疑者は、一人だけだ。


「被害者は『マ』を記したかった。しかし既に満身創痍だったため、二画目に繋がる線は繋がってしまい、見ようによって『Z』に見えたんだ」


 そして、真の容疑者の名前が、メモに現れた。


 すぐさま、ゴリ刑事は外で待つ部下に檄を飛ばした。

妻沼めぬまはどこにいる!!」


「め、妻沼は、実家の佐賀に帰省しているとの……」

「ゴリさんまずいぜ。佐賀空港は、中国への国際便がある」

 谷ケ菜の一言が、ゴリ刑事の思いを確信に変えた。


「妻沼を逃がすなぁああっ!!!」



 ***************



「いやはや、今回は参ったな」

 谷ケ菜は晴れて、外の空気を吸うことができた。担当刑事たちは全員が出払ってしまっていた。

 彼は、うーんと体を伸ばした。サンサンと照らす太陽が眩しかったが、彼は存分に日の光を浴びたかったのだ。


「うーん、どうするかな」


 妻沼が警察にやっかいになるのにはそう時間はかからないだろう。

 なんだかんだで、日本の警察は優秀だ。


「ま、おれも、やるだけやったわけだし……」

 谷ケ菜は再度背伸びをした。この平和な、穏やかな時間をもっと楽しみたかったが、彼には既に時間が迫っていたのだ。




「さーて、時間稼ぎはできたし、今のうちに海外に高跳びしますか!」

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