【KAC20236アンラッキー7】ケイオスワールド・ファンタジア

羽鳥(眞城白歌)

はじまりの季節、桜の木の下で。


 僕は、自分の誕生日が嫌いだった。


 世間では――といってもごく狭い界隈の間でだが、僕の生まれた年は「アンラッキーセブン」と呼ばれているらしい。僕の場合、父がたまたま金融関係の仕事だったから知っていただけで、他人の口からこの話が出たことはない。

 それより大きいのは、海外で起きた悲惨な事件の翌日が僕の誕生日だってことだ。日本の事件ではないのでやはり言及されることはないが、誰かに祝福されるたび、哀しく散っていった多くの命を想って息が苦しくなる。

 心から祝ってくれる家族やごく少数の友人たちからの祝福であれば素直に受け取ることもできるけれど、儀礼的で機械的な「おめでとう」を飛ばしてくるSNSの画面や企業からのDMは、鬱陶うっとうしいを通り越して気持ち悪くなるほどだ。


 インターネットに不慣れな頃は正直に個人情報を登録しては誕生日に辟易へきえきしていたものだったが、最近では可能であれば未入力のままにすることや別の日付で入力することを覚えた。このオンラインゲームに登録したのも父の誕生日だった。

 父と僕とはちょうど三十歳の歳差がある。父の生まれた一九七七年は、同じく下一桁が七の年だというのに金融危機アンラッキーには含められないらしい。僕は父の生まれ年が羨ましかった。僕がアンラッキーセブンの生まれなら、父は正真正銘のラッキーセブンだ。所詮はジンクスだとわかってはいるけれど、あやかるくらいは許されたい。

 と、思いつつも。偽りの個人情報は規約違反だともわかっていた。非公開ではあるが、万が一にも運営に怪しまれて連絡が来ることがあれば――そんな意識が働いたのか、当時はだいぶ渋いキャラメイクをしてしまったな、と思う。

 今となれば、スタッフが登録個人の実在を確かめるため一人一人の情報を調べるなんて余力、あるはずないってわかるのに。


 出来心から演じることになった向こう側の僕は、古書店を営む四十代半ばの男性。種族は東欧風の人間だがモデルは父だ。選んだ家には販売棚の他に同居枠が一つあって、でも僕はゲーム内恋愛とか義兄弟のなりきりRPには興味を持てず、その枠が埋まったのはずいぶん後になってからだった。

 思い返せば、変わったゲームシステムだった。

 攻略より交流がメインだったし、種族や世界観の設定も緩く何でもありで、なりきりRPを尊重する方針が没入感を増していたのかもしれない。魂の半分がそこで実際に生活している錯覚を覚え、いわゆるゲーム廃人を多量に生み出してしまうくらいに。


 そのオンラインゲームは昨年の九月をもって、惜しまれつつサービス終了となった。

 終わった直後のロスがひどく、僕は寂しすぎて体調を崩したりもした。仮想世界バーチャルだとわかっていたのに、僕は入り浸りすぎて馴染みすぎたのだろう。終了後はSNSでの交流に切り替えたプレイヤー同士もいたが、僕にとってそれは何か違う、という感覚で。

 想い出語りの交流などいらなかった。僕はあの世界に沈んで浸って、あの世界に住んでいたひとPCたちに、会いたかった。何より誰より、ほんの一年ほどだったけど同居していたあの子に会いたくて、仕方なかった。


 そんなことばかり考えていれば授業に身が入らず、しかも最近はあの世界の自分になりきった夢を見ることが多い。楽しい夢ならいいのに、僕はいつも白いほのおかれてあの子に別れを告げる場面ばかりをリフレインするのだ。

 青い両目にいっぱい涙を溜めて手を伸ばしてくるあの子に、僕はいつも何かを告げて――いや告げようとして、そこで目覚めてしまう。まったく熱くも痛くもないのに、現実的で迫力がすごい。

 誕生日が近づくにつれて不安が増しているのは、嫌いな誕生日をどうやり過ごそうかというストレス、ばかりではないだろう。

 僕は、何か大事なことを忘れている気がする。





 寝不足の自覚もあったので、白昼夢でも見たのかと思った。


 人で賑わう真昼の公園も、木陰にしつらえられたベンチは大抵空いている。いつもスマートフォンで読書するお気に入りの場所に、不思議な人物がたたずんでいた。

 まだ肌寒い春風が、盛りを過ぎた桜の花びらを吹き散らして舞わせている。その真下、不思議な金属光沢の長髪を風に流していた、スラリと背が高い、明らかに日本人ではない美貌の、おそらく男性が、鮮やかな青い目で僕を見た。


「おまえ、向こう側のこころが残ってるんだな。珍しい」


 唐突に、話しかけられる。響いた声は間違いなく男性的なのに、わずか細められた猫のような目と性別不詳の美貌が、僕から現実感を奪ってゆく。いつの間にか僕は境界線を踏み越えて、隠り世か妖精郷かそういう領域に入り込んでしまったのだろうか。

 僕のほうけ顔が可笑しかったのか、銀色のその人は楽しげに笑った。言葉を返したらそのまま引き込まれそうで、しかし背を向けたら何かに呑み込まれそうで、何を言うこともできず。固まったままの僕を見て、彼は再び口を開く。


「なるほど、向こうにを遺してきただろ。そういう奴は珍しいが、だからこそ道を開くこともできる。ただ――向こう側の存在いのちかれてうしなわれ、向こうの神様が扉を閉ざしたゆえにPCを作ることもできない。もしも渡るつもりなら、おまえは生身プレイヤーのままあちらの住人になるしかない」


 この人は何を言っているのだろう、と思う反面、心のどこかで理解する。

 があの子に告げた最期の言葉は、約束だったのだ。けれど、向こうの僕は運営かみさま削除デリートされてもう存在しておらず、サービス終了した今ではキャラクターを新規作成することもできない。そこまでは、理解できた。

 生身のまま渡る……つまりフルダイブするということだろうか。そんな、VRMMOみたいな技術は創作の中でしか聞いたことがないのだけれど。


「お兄さんも同郷プレイヤーだったんですか?」


 これ以上黙っているのも失礼に思えたので、思い切って返答する。彼は一瞬言葉に詰まってから「いや」と首を振って言った。


「オレ様は、おまえたち人間がいうところの神様とか悪魔みたいなものかな。たとえゲームのかたちを持った箱庭でも、始まった世界はおのずと成長し、存在し続けようとする。今も世界は『終わらせようとする意志』に抗い、生きようとしているんだぜ」


 神様オア悪魔って、まるきり両極端だ。意味深な言葉は僕の理解を超えていて、何と返すべきか本当にわからなかったけど。その瞬間、僕の脳裏によみがえったのは、玄関先で雪に埋もれ倒れていたあの子の姿だった。

 そういう設定で、そんなふうになりきるRPことで交流を楽しんでいた――はずだったのに。まるで過去本当に経験したことのような鮮明さで、記憶がよみがえる。向こうの僕が感じた心の動きも、願いや想いが、花咲くように色づいてゆく。


「あの子は……無事ですか」


 少しの沈黙を挟んで、彼ははっきりと頷いた。そして、僕にこう告げる。


「約束は導きに、願いは力になる。おまえなら、終わるだけの世界に希望みらいを拓けるかもしれない。同時にそれはこちら側との決別を意味する。二週間、時間をやるからじっくり考えてみなよ。それでも渡ると決めたら、ここに来い」


 二週間後、それはしくも――あるいは仕組まれたかのように、僕の誕生日だった。





 向こうの僕は四十代半ばの男性を演じていて、姿もそうだった。でも本当の僕はまだ高校生――次の誕生日を迎えても、ほんの十六歳だ。外見も年齢も、おそらく声だって変わってしまった僕に、あの子との約束を果たす資格があるのだろうか。

 世界は終わりに抗い、生きようとしている――告げられた言葉が、胸に響いていた。

 僕にできることがあるなら、と思う反面、僕に何ができるだろう……とも思う。でも、胸の奥で記憶がうずくのだ。


 あの子の涙に、伸ばした手に、もう一度触れることができるのなら、と。

 でもそれは、この現実を捨ててまで選び取るべきものなのだろうか、とも。

 国王でも権力者でもない僕が、終わりに向かう世界を救うなど本当にできるのか。


「まさに、神様ラッキーオア悪魔アンラッキーだよな。開けてみるまで、可能性なかみはわからない」


 父の幸運7にはもうすがれない。彼との出会いが、この決断が、道の先でどちらの運に結実するのか、今はまったく読めない。


「それでも、」


 スマートフォンを手に取り、愛用のスニーカーに爪先をじ込んだ。

 僕は、行こうと思う。

 向こう側の僕が遺した約束を、果たすために。


 



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