第3話 春の雨にまた君を思い出す

あの日以来、ヨガスタジオに行っても、彼女はいつもどおりに接してくれた。

バイトをしてヨガスタジオに通って彼女と軽く雑談をして帰る。

そんな日が少し続いた時、彼女から思わぬ誘いが来た。


「千春さん。今日の夜って時間空いてますか?」

「ああ、大丈夫だよ」

「良かった。この間、良いお店を紹介してもらったから、今度は私のお気に入りのお店にご飯食べに行きませんか?」

「もちろんだよ。また仕事が終わったら連絡もらえたらうれしいよ」

「はい!じゃあ、仕事終わったら連絡しますね!」


それから一度家に帰り、時間を潰していると夜になった。

スマホに彼女から連絡が来た。


『仕事終わりました!今から向かいます!』


僕は近くのコンビニの前で彼女を待っていた。


「お待たせしました!」


彼女が小走りでこちらに向かってくる。


「いや、全然待っていないよ。行こうか」


二人で歩き出す。

そして数分後、目的の場所にたどり着いた。

看板には『Music Cafe Flan Lover』と書いてあった。


「ここなんですけど、雰囲気が良くて美味しいんですよ。音楽の生演奏もあるんですよ」

「へぇー、それは楽しそうだね」


中に入ると、落ち着いたジャズの音楽が流れており、照明も暗めなので大人の雰囲気を醸し出している。

席に着くとメニュー表を開く。


「私はハンバーグのセットでコーヒーをつけようと思います。千春さんは何食べますか?」

「じゃあ、僕も同じものを」

「はい、かしこまりました」


店員を呼び、注文をする。

待っている間、店内を見渡すとカップルが多いことに気がつく。

確かにここはデートスポットとしては最適かもしれない。

店の中央には、グランドピアノが置かれていた。


「すごいですよね。これ、飾りじゃなくて本物のピアノで、オーナーが時々ピアノを弾いてくれるんですよ」

「まさに音楽カフェだね」


それから十分ほどすると料理が届いた。


「それではいただきましょう」

「うん」

「いただきます」


まず最初にメインであるハンバーグを口に運ぶ。

噛むたびに肉汁が溢れ出し、口の中に旨味が広がる。


「千春さん。味の方はどうですか?」

「美味しい」

「良かった。お口に合ったみたいで」


次にサラダを食べる。

新鮮な野菜にドレッシングがよく絡まってとても美味しい。


「これも美味しいな!流石は、君のオススメなだけあるなぁ」


食事を終え、食後の珈琲を飲んでいるとき、彼女が真剣な面持ちで僕の方を向いた。

僕もつられて彼女の方を見る。

彼女は僕を真っ直ぐに見つめて、こう言った。


「私、千春さんからこの前言われたことを真剣に考えたんですけどね……」

「うん」

「ごめんなさい。やっぱりお付き合いすることはできません」


彼女ははっきりとした口調で言う。その表情からは決意のようなものを感じた。


「そっか……」

「千春さんのことは好きです。でも恋人としてではなく、もっと別の形であなたのそばにいたいんです」

「それってどういう意味?」

「言葉の通りです。友達とかそういう感じの関係になりたいってことです。それに私には、好きな人がいます」

「……そうなんだ」

「だから、あなたとは付き合えません」

「わかった。君の気持ちはよく分かったよ。ありがとう」


彼女は優しく微笑んでくれた。


「今日は本当にありがとうございました。すごく楽しい時間でした」

「こちらこそ、誘ってくれて嬉しかった。また一緒に遊びに行こう」

「はいっ!」


こうして僕の恋は終わった。

千度目の春、君と再び出会い、僕はやっぱり君に恋をした。

そして、君にフラれた。

前世で愛し合った。来世でも一緒にいようと誓った。


でもそれは叶わなかった。

なぜなら君は、前世の記憶をなくしていたから。

他に愛する人がいるから。

もう君は僕の知る君ではなく、別人だった。


ならば僕は、再び恋をした素敵な君の幸せを祈ろう。

それが君にしてあげる僕の精一杯だ。

そして願わくば、またいつかどこかで、今度は本当の意味で出会うことができますように。


再び千年待つのもいいかもしれない。

あるいは、今度はもっと早いかもしれない。遅いかもしれない。

それはいつの事になるかは、分からない。

でも君の魂が幸せであるならば、僕はこれ以上に嬉しい事はない。


帰り道では雨が降ってきた。アスファルトは濡れて、すぐに色が変わってきた。

傘は持ってこなかった。

天気予報は当てにならない。


ずぶ濡れになりながら走って帰る。

マンションに着くと、薄暗い部屋の中、明かりも点けず、一人涙を流す。


これは涙ではない。雨のせいだ。

そう誰もいない部屋の中、存在しない誰かに言い訳をする。


君とずっと一緒にいたかった。

君の中に僕はいない。


それでも僕は、きっとこれから先も、ずっと変わらずに、君を愛し続けるだろう。

季節はまた廻り、また春が来た。千年と一度目の春だ。

冬の残り香があった。


「……あのさ、聞いてる? ねぇ、ちょっと!」

「んっ、あ、何?」

「いや、話を聞いてたかなって思ったんだけど」

「あー、うん。聞いてたよ。それで?」

「いや、それだけだけど。大丈夫?」

「うん。大丈夫だよ」

「ならいいけど。ボーッとし過ぎじゃない」

「ごめん」

「別に謝らなくてもいいけど。なんか変だよ」

「そんなことないと思うけど」

「うーん。まぁ、何かあったら相談してよね」

「わかってる」

「じゃあ、私は行くから」

「うん」

「お疲れ様。仕事頑張ってね。バイバーイ」

「お疲れ様」


バイト仲間の女の子が、声をかけてくれる。

仕事中だと言うのに、頭の中は彼女にフラれたことをふいにまた思い出した。

仕事を終えて、いつも通り一人で家に帰る途中、喉が渇き、自販機で飲み物を買った。


外はまだ明るい。空を見上げると、雲一つなく晴れ渡っている。

今朝のニュースで、明日も快晴だと女性アナウンサーが言っていた。


「春だな……」


ポツリと呟く。

千年と一度目の春だ。

もうヨガスタジオには、通っていない。


なぜなら君は、去年の冬、愛する人と結婚したのだからね。

僕がヨガスタジオに通う理由なんてもうないんだ。


おめでとう。


そう祝福してから、季節が変わり春が来た。

春になると君を思い出す。

公園には、桜の花びらが舞い落ちている。

それを眺めると、千年前の君との日々を思い出してしまう。


君は美しい人だった。

優しくて、可愛くて、よく笑う人で、とても強い心を持った人でもあった。


「はぁ……」


思わずため息が出る。

すると後ろから肩を叩かれた。

振り返ってみると、そこには見覚えのある顔があった。


「こんにちは」


その瞳は真っ直ぐに僕を捉えていて、視線を逸らすことができない。


「久しぶり」


そこには、桜の雨の中、立っている彼女、相川百花がいた。


「私、妊娠しました。お母さんになります」

「そっか。おめでとう」

「千春さん。あなたは、これから先もずっと一人で生きていくんですか?」

「ああ、そうだね。一人は慣れてる。もう千年も続けてきたからね」

「寂しくないんですか?」

「どうなんだろう。もう分かんないよ」

「私は嫌です! 千春さんは良い人です。ずっと孤独に生きていくなんて絶対に駄目です」


彼女は大粒の涙を流して泣いている。


「千春さん。ごめんなさい。千年も待っていてくれたのに。それからありがとうございます。良い人見つけてくださいね」

「ありがとう。そのうちね」


僕は君の魂以外、愛せない。

愛しているからこそ君の、相川百花の幸せを願った。


それでよかったんだ。

だからもし叶うならば、次に会うときは、一緒にいられたらいいのにと思う。


「それじゃ、そろそろ僕は行くよ」


そう言って僕は、何度だって君のいない春を歩いていくよ。

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千度目の春 富本アキユ(元Akiyu) @book_Akiyu

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