clash
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暗い打ちっ放しの、荒んだ匂いのする部屋はあるできごとを思い出させるにはもってこいだった。しかも奴さんが、奴さんのボスを連れてくるまで復習しているのにちょうどいい量だ。それはアイツの死で、同時にある思考も浮かんでくる。
彼が死んだことに対して、私は特に何も感じなかった。
これがあること。
何故?
これが思考。
だが思考の答えはすぐに導き出せる。
何故なら彼は友人でもなんでもなかったからだ。
これが答え。
ああ、そういってしまうとなんの関係もなかったように思えるが、そうではない。私と彼は十年来の付き合いで同じ研究をしてきたし、同じ大学の同じ学部を卒業、院生時代から勤めている研究所の寮も隣室同士で食事も何百回とした。そうすると何か感情、例えば友情なんかが生まれそうだが特になかった。薄情?そうかもしれない。けれどそうなのだから仕方がないだろう。
そもそも彼自体もそうだったはずだ。
実に呆気なかった。
倒れた際に引っ掛けたのだろう、いつも積み上がっていた書類は床に散らばりパソコンのコードは足に絡まって六本抜けていた。いつも座っていたパイプ椅子は彼の死体の右隣で横に倒れて、ヒビが入ったコーヒーカップはあいつの足元に。ボサボサの適当に切られた髪はいつも以上に乱れていた。眼は、見えなかった。
——発見される三時間前に彼は死んでいたらしい。
刑事の一人がそういった。
白いシャツと汚れた白衣、黒のパンツに紺のスリッパ、右腕の、今じゃもう見かけることのない腕時計、頸の〈
何故こんなに知っているかって?
半年前の二〇五六年八月二二日、午前五時十二分、アイツの研究室の部屋のドアを最初に開けたのが私だからだ。
【驚愕】
【恐怖】
【悲嘆】
そのどれが当てはまるだろうか、いや、どれも当てはまらなかった。残念ながら。これには自分もびっくりで、そちらの方に涙が流れかけた。【歓喜】すらなかった。アイツは、私にとって、本当にどうでもいい存在だったのだと死んでようやく気がついた。しかしここでこうも思うわけだ。アイツが死ぬ前にもし。そのことに気がついていたなら、何か変わっていたのだろうか、と。答えは否だ。変わるはずもない。私はアイツを見ているようで見ていなかった。覚えているのは机にひたすら向かう背中と、その神経質な指、そして目の下の隈くらいなものだし、ギブアンドテイクの関係性を変えろと言われてもお互い首を縦に振らない。それも絶対にだ。
つまるところ、私の中でアイツはとても希薄な存在であり、しかし同時に需要な位置を占めていたのだ。でなければこんな状況でアイツのことなんざ思い出さない。どうでもよかった存在と散々っぱらいってはいるが、私が研究所にいたのはアイツが一〇〇パーセント関与しているし、そしてその研究所というのが私の人生を大きく変えてしまったのだから、そもそもの原因であるアイツが私の中で大きな存在となっていることは仕方あるまい。そういわざるを得ないだろう。
そしてそれら全てが原因で。
日本を離れることを余儀なくされ。
さて、ついでにことの発端も復習しておこう。
□
半年前、アイツが死んですぐのことだった。
勤めていた研究所は私に規定違反による強制解雇を言い渡してきた。当時私は天才であるアイツの後釜だったわけだが、どうやら役不足だったらしい。至極当たり前で、そもそも今の人類ではあの天才に追いつくのに軽く一〇〇年は必要だろう。つまり誰であれアイツの後継者になることはできない。規定違反も強制解雇も私を研究所から追い出す体のいい言い訳ということだ。
食い扶持を失った私はどこに就職し直すわけでもなく、しかし何かやり遂げなければいけないこともなく、稼いだはいいが使うことのなかった金を消費していた。ナメクジが這うかのように、ゆっくりと急いているかのような、緩やかに自殺していくような、日常が過ぎていった。
そんな私は古い二階建ての一軒家に住んでいた。
一軒家なんて今の子供たちは知っているのだろうか。そりゃスラム街に住むような子供たちは知っているだろう。高層ビルになんてもちろん住めないし、安価なボロアパートはとうの昔に政府によって駆逐されている。ならば自分たちで一軒家を作るしかない。だからか、今や『一軒家』という言葉は下級なスラングとしてでしか残っていなかった。
金持ちは超高層ビルに、一般家庭は高層ビルに。貧困層は二〇〇〇年代にマンションといわれていた朽ちかけのビルにそれぞれ住んでいる。両者の違いは単純にセキュリティ面と脳味噌の中のナノマシンに対応しているか否かだ。
この方法がとられるようになった理由は最も政府が管理しやすいからだ。てんでバラバラに存在するよりも「このビルにはこいつが」「あのビルには要人が」「そのビルには前科者が多い、警戒態勢を」。こういった風に。半強制的にビルに押し込められるこの社会で、何故私が一軒家に住めているか、そして住んでいるか、それは単にここが秋冷・是人のもので、私が相続したからというやはりどうでもいい理由からだ。アイツは政府に対して我儘を言える唯一の存在で、遺言でさえ守られるほど影響力を持っていた。アイツはここを非干渉地帯として存在・認識させていたから、研究所の人間も政府の人間も、私以外の人間は全員立入れないことになっている。なっている、はずだった。
「お久しぶりですねぇ、ツァイヴァル・コールデン」
そのときも私はリビングのソファに寝転び、壁に貼っつけてある〈
理由はもちろん、それがおかしいからだ。その男の声の主が政府の手先であること見知ったものであること云々かんぬんの前に、ここに人が訪れること自体がおかしい。さっきの、アイツが持ち主だからとかいうのもだが、そもそもここは人が来るような場所ではない。辺鄙という言葉でさえ都会に感じるような場所だ。周りは役目を終えた兵器、使い古した〈機手〉・〈機足〉の廃棄場でもある。それを整理するロボットと乱雑に壊したマンション。まるで核爆弾でも落ちたかのように荒れている“街”なのだ。ここは。
「…にしてもまぁ、哀れ、ですねぇ。ここまでくると。研究所にいた頃は豪勢な毎日を送っていたというのに」
「うるさいぞ、名無し」
唸る。心の底からそう思ったのは生まれて初めてだったかもしれない。
「残念、今の私には№22という立派な名前があります。脱名無しです」
至極真面目に男はいう。見なくてもその顔が笑っているのはわかっていた。わかるというよりも、覚えているといったほうがいいかもしれない。こいつは——№22は人と話すときに、特に真面目な話をするときに笑う男だった。22は私が振り返る前に隣に座ってくる。傲岸不遜・厚顔無恥とでもいおうか。自宅のようにくつろぐそいつに私は言葉をぶつけた。
「国家の中枢を担う〈G:φ〉のエリートスパイがわざわざ私を訪ねてくるとはな。今更何のようだ。もう関係ないだろう。お前たちとは縁を切ったはずだ」
「ええ、私たちの方から切りました。あなたは必要ない、とね。実際必要ありませんでしたし、あなたがあの研究所にいることができたのはひとえに秋冷・是人がそう望んだからです。あなたがいなければ研究は一切やらない、と」
「なら、何故、ここにいる。契約さえも破って」
「何をいっているんですか。あなたに用があるからここに来たんでしょう。でなかったら誰があなたに会いますか。それに死人にクチナシっていうでしょう?」
いいつつ22はスーツの懐から〈
——ここで命運は尽きていたに違いない。
しかしそのときの私は〈記録媒体〉を受け取り頸の〈演算器〉に接続してしまう。頸を覆うかのように存在するそれは、人体密着型インターフェースである。〈記録媒体〉はそれとセットで使う現代で最も普及している外部記憶デバイスの一つ。カード型やら何やら種類は豊富だが、研究所等ではこの六角柱状のそれがデフォルトだった。
ともかく、接続すれば現実に上書きされている
「…研究所内データベース、および〈G:φ〉施設内データベース、ウイルス…侵入に、ついて…おい、これは本当なのか」
私は22の方を見る。呆れて物も言えないという顔をされた。
「私があなたに偽の情報を見せるメリットを」
「…ない、な。嬉しいことに。だがあり得ないだろう、こんなことは。トップレベルの機密で、トップレベルの防壁だったはずだ」
「トップはいつか追い抜かされるための存在です。秋冷・是人がよくいっていたでしょう。それに、入られたことよりも見られたデータの方が問題です」
続きを、と促されまたデータに目を向ける。写るのはあり得ない出来事とそれを表すあり得ない文字列ばかりで、久しぶりに〈演算器〉を使うからなのか、それともデータが原因なのかわからないがとにかく。脳は混乱している。あり得ない、と呟いてもそれはデータとして既に起こったこととして存在している。だから、思わず口にする。
「何故、」
何故
「〈seasons〉の…データなんだ…」
そして
「〈イレイザー〉のデータも〈ジェネス〉のデータも見られているじゃないか…!」
この日本という国の住人なら全員強制的に体内に入れているものがある。入れなければいけない理由はただ一つ。管理を円滑にするため。SF小説とかでよく出てくるアレだ。二〇〇〇年代初期によく流行った体内に管理システム等を入れて国が人を管理するというアレ。〈
だが〈イレイザー〉には欠点があった。元々脳みそに突っ込んでいるナノマシンに付随する形で新たにパッチをつけるのだが、これがいけない。ただでさえ〈演算器〉で神経と脳に負担をかけているというのに、さらに脳内へ異物を入れたらどうなるかバカでも見当がつく。仕組みは解明されていないが、恐らく脳がバグったのだろう、〈過剰機能症〉という病が出現した。文字通り身体機能が過剰に動く病で、アレルギーといえばイメージがつきやすいかもしれない。最も、アレルギーなんざ比でもない症状を引き起こす。
で、それを補完する為に生み出されたのが〈
ともかく、私がいいたいのはどちらもプライバシーに関わる超重要機密だということだ。それを管理しているのは研究所で、私も一度そのデータを見たことがあった。もちろんアレのおまけとして。データの管理はさっきもいったように超厳重で、たとえ国防省をハッキングできたって入れないような厳重さだ。だから無論、ウイルスなんて。
「侵入したウイルスはあんたにも馴染みのあるものですよ。もう一つファイルがあるでしょう。それはウイルスの解析結果です。あぁ、ご安心を。研究所はもう洗浄済みでもう一段階上の防壁を張りましたし、保存先も変えました」
「…影響は」
「両所全施設の完全使用不可状態が小二時間ほど」
「そう、か」
私はもう一つのファイルに触れる。見ればそこにはでたらめに並んでいるように見える数字と記号があり、しかしその配列には特徴と見覚えがあった。一見しただけですぐにわかるその乱列は疑いようもなく彼女のものだ。
「これは、確かに、しかし、シレーナは死んだはずだ、そして死んだ時に持ち物を何一つ、本当に何一つデータすらほとんど完璧に消して、死んだんじゃなかったのか」
「だから、あなたにこのデータを見せている」
意味は、わからない。
「シレーナ・イレヒエーナ。彼女の影が少しでもちらついたらあなたは招集される契約で解雇された。それをおわかりで?」
「だから、今更ここに」
「わかっているじゃあありませんか。そうです、今更関係ないあなたの所に来るメリットなど一つもない。単にそういう契約だから来たまで。シレーナ・イレヒエーナは死後も研究所に接触することをここに記す、でしたっけ。遺言は。そしてその」
遮る。繋げた。
「そしてその場合、私がセロと呼ぶヒト科オスの黒髪黒目、血液型B型、西暦二〇五六年八月十日現在、身長一八二センチメートル体重六四キログラムの人間に調査させよ、だ。アイツの遺言に書いてあった文は」
「・・・わかっているじゃあ、ないですか」
そういうことで、私はNo.22と共にこの一軒家を離れる。
それは予想外で、だけどいつでも予想できたことだった。どこにでもあるような、三流小説のようなこの出来事は。
【LADY Lee】 朔 伊織 @touma0813
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