premise



□□□□

 まず、前置きとして話しておこう。

 今から口にすることは、この話の後に話すことと極めて重要な関係にある。

 そう、あいつのことを話すならばまずは俺のことについて話さねばなるまい。

 だから。

はじめに

頭蓋骨、頚椎、肩甲骨、肋骨、胸骨、剣状突起、上腕骨、尺骨、橈骨、手根骨、中手骨、指骨、脊柱、骨盤、仙骨、尾骶骨、坐骨、恥骨、腸骨、大腿骨、膝蓋骨、脛骨、腓骨、距骨、踵骨、中足骨、足指骨。

しめて二〇六個。上から順に、だいたいこんな感じだ。

また上から順に、

肺、心臓、血管、横隔膜、肝臓、胃、脾臓、副腎、腎臓、胆嚢、大腸、小腸、膀胱、プラス子宮か精巣。

しめて数十から数百。

さらに上から

前頭筋、眼輪筋、口輪筋、胸鎖乳突筋、僧帽筋、三角筋、大胸筋、上腕三頭筋、上腕二頭筋、広背筋、腕橈骨筋、尺側手根伸筋、橈側手根屈筋、伸筋支帯、総指伸筋、肘筋、外腹斜筋、腹直筋、腸脛靭帯、腸腰筋、縫工筋、大腿直筋、大腿四頭筋、大腿二頭筋、半腱様筋、半膜様筋、外側広筋、膝蓋靭帯、下腿三頭筋、前脛骨筋、ヒラメ筋、長指伸筋、アキレス腱。

しめて約四〇〇から六〇〇個。

最後に

脳、脊髄、間脳、脊髄神経、交感神経、腋窩神経、橈骨神経、肋間神経、尺骨神経、正中神経、上殿神経、下殿神経、大腿神経、坐骨神経、後大腿神経、総腓骨神経、深腓骨神経、

浅腓骨神経、脛骨神経等々。



 これらがヒトの中身。数に幅があるのは定義に幅があるからだ。

 そしてこれらが俺たちの研究対象。

 

 頭蓋骨が何故その形をとるようになったのか

 肺が何故左右一つずつ存在するのか

 前頭筋が何故その役割なのか

 脳が何故、思考するのか

 ヒトの行動原理や存在意義、思考パターン、性格形成、意思の有無、魂の存在までもが研究対象で、俺たちの周りには結果と過程を書き記した紙がいつもあった。

紙に埋もれる生活は端的にいえば不健康そのものだ。〈思考監視〉を入れて欲を押さえ込んでも、〈管理媒介〉を入れて食事を摂らなかったり酒ばかり飲んでいたりしていては、最先端の医療や科学だって意味を成さない。

だから。

 最近、身体の節々が痛かった。頭痛は毎分酷くなるし、喉からは空気が漏れ出すような声か咳しか出ない、視界は霞み杖なしでは歩けない。体も薬も限界に近かった。

 しかしそれでも研究を止めることはできない。

 研究を止めるのは死と同義だ。

研究内容は不老不死だった。



永遠の命。尽きることのない命。絶えることのない命。無くなることのない命。

それが、俺の研究内容。

魅惑の不老不死。命を生に繋ぎ止めておくことのできる魔法。

それを魔法でなくすのが俺の目的。



 何故研究するかって?そりゃ純粋に興味があるからさ。人が何故死ぬのかも、人が何故老いるのかも両方。一度は考えたことあるだろう。死がない世界を。それは一体どんな世界なんだろう、って。死というものを身近に感じたことがある人は尚更考えたことがあるかもしれない。死は喪失と同義だから、失いたくないと思ったものがある人も考えただろう。そして死んだ失ったものがとても大事なものだったとき、そのときこそ最もこの疑問を持つはずだ。

 何故失くなって死んでしまったのか、とね。

 古の書物で何回も取り上げられる『不老不死』。

 俺はそもそも何故死という概念があるのかさえもわからなくなったことがある。人はもちろんのこと、万物生きとし生けるものは死ぬものだ、と本能にインプリンティングされているから大半の人は『そういうもの』と割り切り、考えないで生きているのだろう。それは自然の摂理でもある。生き永らえる方法でもある。だって『死にたくない』と考えてしまえば『今』を生きるのに少し難しくなってしまう。生きていればどうしたって死ぬのだから、それは下手をすれば死に直結する考え方だ。

 俺たちは追求したくなった。深く深く、呑まれてしまうくらい。

 だって知りたかったんだ。俺は。ただただ純粋に。人が死ななかったら世界はどうなるのか。世界はどんな風に抵抗してくるのか。摂理に逆らうというのはどういうことなのか。

 そう思って、もう何十年も毎日研究所にこもっては実験と投薬の繰り返し。成功は、一度もない。殺してから生き返らすように不老不死にするのがいいか、それとも生きている内に不老不死にするのがいいか。そもそも不老不死になったら、それはヒトと呼べるのか。それすらもわかっていない。

 未だ成功していないその技術はあいつの協力なしでは成功しないだろうとずっと考えている。しかしあいつは参加を了承しない。大学時代からの付き合いのそいつは研究嫌いで有名だった。俺に匹敵するほどの、凌駕するほどの思考力を持っていながらそれをまともに使ったのは最後の数年くらいなものだ。もったいないという他ない。

 しかしそれがあいつにとって、世界にとっては幸運だったらしく、最期の最後でようやく気がつき、死んでいった。

 頭がいいからこそ気がつかないというものもある。

 例えば、自分のこととか。

 自分を信じれば信じるほど、知っていれば知っているほど。気がつかないループにあいつはどっぷりと浸かっていた。俺たちとしてはそれが残念でならない。

あいつはそれで良かったのだ。笑って死ねたのだからそれでいいのだろう。何、安心しろ、死体は俺が有効活用してやるといえば楽しそうな顔で

「名前は変えてくれるなよ」

 といった。


 名前の心配をする余裕のある死だった。

 まぁ納得もいく。あいつは【名前】を【在り方】だとよくいっていたから。


最後まで俺に協力しなかったあいつは死んだ。

最期まで何も教えてくれなかったあいつの目をみた。

最後まで俺を見て見ぬ振りをしたあいつが憎い。

最期まで自分を偽ったあいつに


この話をあげよう。

全て本当のこと。

全て本当にあった話。

全て事実の、この話を。


 砂糖一さじと大さじ二杯の野次馬でできた、この世界の話を。




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