雨と恋と不運な夜7時

日諸 畔(ひもろ ほとり)

恋の自覚は突然に

 雨が降っていた。


 携帯電話で時刻を確かめる。俺にとって、大変不運に思える夜七時だった。

 若い女性を駅まで送るには、良い時間だ。雨が止むまで引き止めることは難しい。


「行こうか」

「はい」


 俺は隣に立つ、小柄な女性に声をかけた。目を細め笑顔を作りつつも、やや緊張した面持ちだ。それでも、待ち合わせた時に比べれば、随分と柔らかい表情をしている。

 少しでも慣れてくれたことに嬉しく思いつつ、俺は手に持ったビニール傘を広げた。女性もそれに合わせ、手を動かした。


 今日は本当に楽しかった。

 それだけに、この天候がよりいっそう残念に思える。傘に当たる雨音で会話が成り立たず、早々にお互い会話を諦めてしまったのだ。

 今日は楽しかったのか、実物の俺をどう思ったのか。俺にとって、君はとても魅力的だった、できればまた会いたい。

 聞きたいことや伝えたいことがたくさん頭に浮かぶ。しかし、二人は傘の分だけ、距離を置いて歩くしかなかった。

 

 俺と女性は、約一年前にSNSで知り合った間柄だ。共通の趣味で意気投合し、毎日のように直接のやり取りをしていた。

 当初は性別なんて意識していなかったし、恋愛感情なんて以ての外だった。しかし、向こうは違っていたようだ。

 

  いつだったか、冗談めかして送ってきた『好きですよ(笑)』というメッセージも、精一杯の本気だったのかもしれない。今思えば、あの時の俺は、敢えて気付かないようにしていた。年齢差や住む場所の違いが、感情に蓋をしていたような気がする。


 会いたいと言い出したのは、俺からだった。女性は二つ返事で承諾してくれた。

 俺は新幹線に乗り、女性は在来線で少し遠出する。待ち合わせは、お互いにあまり馴染みのない駅だった。


 事前に写真を送り合っていたから、すれ違うようなことはなかった。女性が恥ずかしそうにはにかむ姿を見た時、俺は確信した。

 これは、恋だ。

 それなりの歳をした男が、知らず知らずのうちに本気になっていたことを自覚した。


 楽しい時間はあっという間に過ぎ、今に至る。ここにきて怖気付いたのか、俺はまだ決定的な言葉を口にできずにいた。

 無言のまま駅へと到着し、新幹線の改札前。俺は辛うじて、口を開いた。


「楽しかったよ。また会いたい」

「うん、ぜひ」


 驚きと嬉しさと恥ずかしさの入り交じった、複雑な表情だった。俺は思わず、女性を抱きしめた。ありがたいことに、抵抗はされなかった。


 帰りの新幹線の中、携帯電話に女性からメッセージが届く。


『今日はありがとう。私も楽しかった。でも、帰りの雨が残念だったね。傘を持ってきたのが失敗だったよ。そしたら、くっついて歩く理由ができたのに』


 唇が自然と緩む。次に会った時、俺からお付き合いを申し込もう。そう心に決めた。


 そして、半年後。

 あの時と同じ駅、あの時と同じ時間。ビルから出た俺の目に、無数の大きな雨粒が映る。


「行こうか」

「うん!」


 元気に笑う彼女は、俺の左腕に自身の腕を絡める。反対の手には、畳まれたままの傘がぶら下がっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

雨と恋と不運な夜7時 日諸 畔(ひもろ ほとり) @horihoho

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ