あなたのための本、あります KAC20236【アンラッキー7】

霧野

本は心のお守りのようなもの


 ヒールを突き立てるようにして、ガツガツ歩く。道路に八つ当たりするみたいに。行先なんて知るか、とにかく一歩でも遠くへ。

 鳴り止まないスマホを川にでも放り投げてやろうかと思ったけど、勿体無いからやめた。代わりに電源を落として、鞄の奥に突っ込む。ちょっと清々した……と言いたいところだけど、実際は虚しいだけだ。


 社会人になって7年、初めての無断早退。

 経営体制の立て直しを、と本社より配属されて2年、その実は杜撰な支店経営の尻拭いだが、それはまぁ想定内。業務外の仕事をガンガン丸投げされるのもギリ許容範囲。システム移行期で一時的な事だからと言われれば仕方ない。

 でもな。愚痴聞く時間あったら自分の仕事したいし、おっさん同士の喧嘩や部署間のしがらみの仲裁なんて私の知ったことじゃないし、社員ののメンタルケアに至っては絶対に私の仕事じゃない。自分の家族だろまずは自分でやれ。私はお前らのゴミ箱でも痰壺でもないんだよ。何でもかんでも持ってくんな!!


 ……という内容を社会人にふさわしい言葉遣いと能面のような真顔で言ったら職場がシーンと凍りついたので、そのまま出てきて今に至る。

 何がムカつくって、「文句があるならその都度言ってよぉ〜」みたいな追撃電話とメールだ。今まで散々抗議したのに封殺してきたのはお前らだ。そのやり取りを突きつけたら今度は泣き落とし。馬鹿か、泣きたいのはこっちだよ。もう何ヶ月も過労死ラインぶっちぎりだわ。



「おねーさん。ちょっと、そこの怖い顔したおねーさん」


 数歩行き過ぎて、ふと気づく。怖い顔って、私のこと?


 声の主を見れば ─── 何この美少年。真っ白な髪と不思議な色合いの瞳が車の窓から覗いている。華奢な手がひらひらと……手招き? え、私?


「コーヒーでも飲んでちょっと休みなよ。人を睨み殺しそうな目になってる」



 ……お恥ずかしい。めちゃくちゃ恥ずかしい。こんな美少年にそんなこと言われるなんて。いや、誰に言われても情けないか。


 いたたまれないと思うのに、少年に促されるまま何故か素直にガーデンチェアに腰掛けていた。見上げれば白いパラソル。背後には空色のトラック。ここ、どこだろう。周囲の景色とか、全く目に入ってなかった……


「コーヒーでいい? カフェオレもできるよ。ミルクを泡立てるのとかはめんどくせえからやらないけど」


 見た目に反した口の悪さに、フッと笑ってしまう。少しだけ、肩の力が抜けた。


「じゃあ、カフェオレをいただこうかな。ここってカフェなの? お店の人は?」

「移動式の本屋だよ。てんちょは今出かけてて、俺は留守番。ちょっと待ってて」


 そう言って車の中に引っ込むと、すぐにカフェオレのマグを持って顔を出した。


「ごめん、取りに来て。俺、直射日光に当たれないんだ」


 立ち上がって椅子を運転席の下へとずらし、マグを受け取る。湯気をすぅっと吸い込んで、大きく息をついた。心のトゲトゲが、あったかくて優しい香りのベールで包まれる。


「はちみつ、いる? 砂糖もあるよ。なんか忘れたけど、確か3種類ぐらい…」

「テキトーだな」


 そのいい加減さに、また小さく笑ってしまった。なんだろ、この子。妙に癒される。


 はちみつを入れてもらって、ひとくち。肩の強張りが少しずつほぐれていく気がする。


「美味しい。ありがとう」

「うん。俺も暇だったし」



 ああ、あったかい。春のおひさまを浴びながら、ゆったりとカフェタイム。こんな時間、しばらく忘れてたな。空を眺めるゆとりすら無かった。


「それにね、白い犬があんたの周りをうろちょろしてたから」

「……え?」


 美少年は自分の白髪を一房、指でつまんで見せた。


「こーんな色の、フサフサのおっきい犬。目の色も俺と似てる」



 ……ああ。そうか。この子、似てるんだ。昔実家で飼っていた……


「すげえ心配そうな顔してたけど、今は嬉しそうだよ。こんな風に」


 舌を出して「ハッ、ハッ」っておどける美少年が可笑しくて、笑おうとしたのに……突然涙が溢れた。だって、そっくりなんだもの。昔飼っていた、ラッキーに。


 懐かしい記憶がずっと張り詰めていた糸を切り、心は簡単に決壊した。


 後から後から溢れる涙はしばらく止まらなくて。

 泣けば泣くほど悲しくて。

 好きだったはずの仕事。成果が出たら嬉しくて、頼られれば誇らしくて。

 でも、やればやるほど仕事は増えて、土日も仕事に費やして。

 そりゃ彼氏にも振られるわ。

 職場のみんなも、今では敵に思えてしまう。

 私、何をやってたんだろう。何のために頑張ってたんだろう。


 テーブルに突っ伏して泣きじゃくっている間、美少年は静かにそばにいてくれた。車の外と中だったけど、その距離感がかえってありがたい。背中をさすられたりしたら、つい「大丈夫」って強がってしまうから。


 散々泣いたら気持ちが落ち着いてきて、ふと我にかえる。

 昼間っから、大の大人が外でおいおい泣いてるって……相当ヤバい絵面だよね。


 ハンカチで顔を隠したまま、恐る恐る顔を上げてみると。

 一瞬、息が止まった。

 

「……イッ…ケメぇン…」


 一度決壊した心は、涙も声もダダ漏れる。

 だってだって、テーブルの真向かいで銀縁眼鏡の美青年が俯き加減で文庫本読んでる。薄青いレンズの向こう、切れ長の目元に長いまつ毛が伏せられて。頬には少し長めの前髪が落ちかかり、スッと通った鼻梁に繊細なカーブを描く唇。本を支える左手は細く骨張っていて、おっと、薬指に指輪無し。この間0.5秒。


 イケメンが顔を上げ、私にふわりとした笑みを向けた。


「カフェオレのおかわり、いかがです?」

「おっ、お願いしますぅ〜……」


 涙を拭いて即答しちゃうよね。もう、いろんな意味でお願いしたい。何もかもお願いします。

 だって彼、テーブルに置いてあった大きな紙袋を床に下ろした。

 みっともなく泣き崩れていた私を、その紙袋と彼の背中とでさりげなく世間の目から隠してくれてたの、気づいちゃったんだ。



  ☕︎



『シベリアン・ハスキー 写真集』


「あっ、こんな感じの子でした。ラッキーっていうの」

「真っ白なんですね。可愛い」

「でしょ。私が赤ちゃんの頃から一緒に育ったの」


 カバンの中から鍵束を取り出し、チャームを見せる。


「あ、それ。その『777』のやつ、緑色の首輪についてた」

「ラッキーが付けてたのを貰ったのよ。キミ、今もラッキーが見えるの?」

「ううん。さっき、尻尾ブンブン振って消えちゃった」

「……そう。ラッキーが死んで7年になるの。今の今まで忘れてた」


 もう、そんなになるんだ。あれは、ちょうど今頃の季節だったな。


「きっとあなたを守るために、少しだけ姿を見せてくれたんでしょう。本は心のお守りのようなもの。この写真集、お手元に置かれてはいかがですか?」

「ええ、もちろん。辛い時にはこれを眺めて、ラッキーを思い出します」


 そっと本を閉じる。この本は買うけど、これだけは言っておかなくちゃ。


「でも、ラッキーの方がずっと可愛いんですけどね」

「ふふ。そうでしょうね」


 店主さんは優しく頷いた。いい人だ。


「それと、こちら」



 差し出された本は、『動物のお医者さま 第1巻』。


「あの名作漫画ですよね? 実家にも全巻ありました。でも、なぜ?」


「私にもわかりません。ただ、これが見えて……正確には見えたのは6巻なんですが、うちに置いてあるのは3巻までなので」

「その人に必要な本がわかる。うちは本屋なんだ」

「あ、シミ。私の決め台詞を…」

「へっへっへ」


 じゃれあうイケメンズは微笑ましく眼福だが、それよりも今はこっちが気になる。何かが引っかかるのだ。

 スマホの電源を入れると、会社からの通知がずらりと並んでいた。全てを無視して、6巻の情報を調べる。子供の頃に何度も読んだから、数コマの絵を見るだけでシーンが蘇ってくる。そうそう、あったね、しるこ爆弾。懐かしい……ん? しるこ爆弾?


 ストーブの上で温めていた缶のお汁粉を忘れて、膨張して中身が飛び散っちゃうってエピソード。爆弾……忘れて……時間……


「あっ!」


 気づけば立ち上がっていた。そうだ。あれはまさに、時限爆弾……!


「フッ……ふふふふ、ふははははは! 負けない! どう転んでも私は負けない! このまま辞めるなんて勿体無い!」


 呆然としている二人を見下ろし、私は急いで財布を開く。

「写真集のお会計、お願いします!」


 店主さんが本を裏返して値札を示した。


「777円。ラッキーセブンだ。すごい偶然ですね」

「偶然? ふっ、これは運命。勝利の女神が私に微笑みかけている」


 千円札を一枚、テーブルに叩きつける勢いで。

「お釣りはいらない。少ないけど、お礼がわりに取っといて」


 本を掴み、返事も聞かずに走り出す。ここ、どこだっけ。とにかくタクシーを捕まえなきゃ!

 

 タクシーに乗り込む寸前に振り返り、大きく手を振って叫んだ。


「ありがとう、店主さん! 少年よ、カフェオレごちそうさま!!」




 気が立っていたのとすっかりルーティン化していたせいで忘れていたが、私は会社のPCに時限爆弾を仕込んでいた。

 いや、単に「一週間ファイル更新しなかったら、次のログイン時にそのファイルが自動でトップ画面に現れる」ってだけの、単純な記入忘れ防止機能なんだけど。


 だが、そのファイルの内容が問題だ。

 本部に上げた報告より克明な、リアル業務日誌。

 過去のメチャクチャな経理、部品の杜撰な管理、抜き取りや水増し。要は私のやってきたドブさらい仕事が詳細に残されている。さらに、役員の愛人との密会設定やら社内不倫の清算やら、業務と無関係に駆り出された数々の記録。本部に見られちゃまずいあれこれがギッシリ詰まったパンドラの匣。


 私が出勤しなければ、各部署の業務が滞りまくる。そして7日後、彼らは勝手に画面に出てきたあのファイルを発見する。


 ファイル名は「個人業務日誌:777」。

 あくまでも自分にとっての業務記録のつもりで、でも一応個人情報だから…と鍵をかけておいたのだ。


 今だにディスプレイの隅にPWを書いたメモを貼り付けておくような連中だ。焦った彼らは個人情報なんてお構いなしに開こうとするだろう。「lucky777」なんてあからさまなPWでも、解読したと喜び勇みお手柄気分で各部署で共有するに違いない。

 その先に待っているのは、阿鼻叫喚。希望が残されているかは神のみぞ知る。


 私にとってのラッキー7は、奴らにとってのアンラッキー7。


 こんな強力な武器を忘れていたなんて、私はどれだけ弱りきっていたのか。

 でも今は違う。美少年に癒されイケメンに目を覚まされ、潤いと優しさを補給した私は、無敵だ。


 『777』のキーホルダーを握り締め、心の中で呟く。


 ありがとう、ラッキー。ありがとう、漆原教授。


 奴らめ、人が大人しくしてれば調子に乗って好き勝手しやがって。だが言いなりの日々はもう終わりだ。時限爆弾は私の手にある。


 七野杏しちの あん、27歳。これより反撃の狼煙を上げる!


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