アンラッキー7の名前
碧絃(aoi)
アンラッキー7の名前
満開の桜を
以前は毎日の生活に疲れて下ばかり向いて歩いていたが、ある店のおかげでこうして桜を綺麗だと思えるようになった。
そして、桜並木の真ん中辺りまで来て、僕は足を止めた。
空き地の中に立つ大きなイチョウの木の前に立ち、目を閉じる。
脳裏に浮かべるのは、冷えた心を温めてくれる、本と紅茶の店だ。
舞い散る桜の花びらと共に、ふわっ、と風が舞う。
すると———
ちりりん、 と澄んだ音が辺りに響いた。
僕が目を開けると、
「いらっしゃいませ」
と中から顔を
もちろん店の雰囲気も好きだが、僕は店長に会いたくて店に通っている。
どれだけ長居をしても、愚痴を言っても、店長はいつも、静かに見守ってくれた。
「さぁ、どうぞ」
店長に招かれて、店の中へ入る。
そしてお気に入りの、カウンターの端の席へ座るや否や、
「今日はどうされたんですか?」
と猫店長に訊かれた。
僕は驚いて、思わず目を丸する。
「すごいですね、分かるんですか?」
「今日は本を読むのではなく、話がしたくて来られたのかと」
猫店長は、ふっ、と微笑んだ。
そんなに顔に出していただろうか、と僕は少し恥ずかしくなり、笑ってしまった。
「実は仕事で失敗ばかりして、ちょっと落ち込んでるんです」
「失敗……ですか」
「はい。取引先から電話がかかって来ていたのに忘れて怒らせてしまったり、入力していた在庫のデータを全部消してしまったり。先輩達にも迷惑をかけてしまって……」
「そうなんですね」
「僕の名前、7が幸運の数字だからって理由で
僕が言うと、猫店長はスッと紅茶を差し出して、どうぞ、と手のひらを上に向けた。
アールグレイが爽やかに香る。
一気に気分が落ち着いた。
そして店長は優しい口調で、
「七聖さんの同僚の方々は、怒っていらっしゃるのですか?」と言った。
「いいえ、まだ慣れてないから仕方ないと言って、直すのを手伝ってくれました」
「そうですか。それならやっぱり七聖さんの7は、アンラッキー7じゃなくて、ラッキー7ですね」
猫店長は微笑みながら
「あなたは人に恵まれているじゃないですか。小さな失敗で貶されたり、除け者にされて会社に居られなくなった話を、私はたくさん聞いてきました。でも、七聖さんの同僚の方々は快く手伝って下さったんでしょう?」
そう言われて、ハッとした。
たしかに僕は入社して以来、失敗ばかりしているが、今まで一度も怒られたことはない。毎回、指導についてくれている先輩がフォローしてくれている。
そう考えると、悪いことばかりではないのかも知れない。
「いい先輩達に巡り会えたのは、ラッキーなのかも知れないです」
僕が言うと猫店長は、「そうですね」と目を細めた。そして、
「すみませんより、ありがとうございます。の方が喜ばれますよ」
と付け加えた。
店長と話をしていると、店に入る前は重く感じていた身体が、少し軽くなった気がする。
紅茶を飲み終わって外に出ると、
「七聖さん、いいお名前ですね」と言われたので、
「はい、アンラッキー7じゃなくて、ラッキー7だったので」
と返すと猫店長は、ふふっ、と声を出して笑ってくれた。
それから歩き出した僕は、10歩ほど行った所で店の方を振り向いた。
すると、もう店はなくなっていて、元のイチョウの大木が立っているだけだった。
———今度はいつ来ようかな。
店長に会うのを楽しみにしながら、僕はまた歩き出す。
夜の帳が下りた桜並木は暗いはずなのに、なんだか明るく見える気がした。
アンラッキー7の名前 碧絃(aoi) @aoi-neco
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