陽来留郷《ひくるのさと》の不運

仲津麻子

第1話陽来留郷の不運

 陽来留郷ひくるのさとが、神庭連山かむばれんざんのとある場所と繋がったのは、日本がまだ外国とつくにから倭国わこくなどと呼ばれていた頃だった。


 ヒクルというのがもといた国だったのだが、ヒクルの神川かむかわの流れが偶然に、倭国の流れと接触し、交わってしまった。


 ヒクルの神話によると、神川とは、天上にある神湖かむうみがあふれ出て、幾すじもの川の流れとなり地に注いだ。その流れに神が宿り神川となったという。


神川の流れの先にはそれぞれ別の天地があらわれ、あまたの世界が作られた。倭国がある地球も、ヒクルがあった天地も、それらの世界の一つだという。


 接触してしまったふたつの世界は、しばらくして離れたのだが、不運なことに、ちょうど接点になった一部の地域だけが、本国から切り離され、陽来留郷ひくるのさととして取り残されてしまった。


 このことを知っているのは、成人した日に親から聞かされる郷人さとびとと、ごく一部の日本政府要人のみ。郷人はみな、日本人にまぎれて暮らしているため、別世界の者とは疑われようもなかった。


「もう、これだけ年月が過ぎては、我らが、ヒクルに属するとは言えない。かと言って、日本人であるとも言いきれない」


 先々代の黒衣こくいである神庭かむば真助しんすけは、屋敷の奥から小道をたどって行った先にある、三日月池の手前に立っていた。


「先人たちは、いつかヒクルに帰る日を願って、郷を維持してきました」


 池のある敷地、至聖所しせいじょ内には立ち入れないため、家令の敷守しきもり瀬尾せおは、少し離れて立っていた。


「そうだな、確かに。それは郷人の希望であった。少なくとも、こちらへ来てしまった当時は悲願だったろう」

真助は遠い昔に思いを馳せるように、天を仰いだ。


「だが、陽来留郷は地球と同じことわりでは存在できない。緋衣と黒衣の祈りがとだえれば、やがて、郷人もろともに消滅するかもしれない」


 真助は、独り言のように続けた。


「三本の神木に、緋衣と黒衣、そしてその子である深灰みかいの三人が揃いりく、すなわち六になる。その力を一つに、つまりいちにすることで、郷を維持するためのしつ、すなわち七が整う」


「言い伝えにはそうありますが、本当に郷は消えてしまうのでしょうか」

瀬尾は苦しそうに、ため息をついた。


「さあな、これまで、七六代は途絶えたことがなかったのだから、わからんが。だが、緋衣も黒衣もいない現在、郷の自然が荒れてきているのは確かだろう」


「先代、七七代の緋衣様も、黒衣様も、後継がお育ちにならぬうちに亡くなられたのは、ご本人にとっても、我ら郷人にとっても不運なことでございました」


「不運か。ヒクルから切り離されたのも不運。先代が早逝したのも不運」

真助は大きく息を吸って、小道を進んだ。


「だが、次代の真白ましろが生まれてくれたのは幸運だ。やがて黒衣も現れるだろう」


 真助は小さくつぶやくと、池のほとりに立つ三本の木へ歩み寄った。そして、一番奥にある大木に手を添えると、目を閉じた。


陽来留国物語ひくるこくものがたり緋衣様逸話ひいさまいつわ・陸】

(終)

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陽来留郷《ひくるのさと》の不運 仲津麻子 @kukiha

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