七こいこい ~明治幻想奇譚外伝
Tempp @ぷかぷか
第1話
その日の俺といえば日雇いの仕事を終えて銭湯でひとっ風呂浴び、
「おや、
声の出処を探して見上げれば、箱馬車の窓からパトリック・ハーンが顔を出し、その片メガネの内側からギョロリと俺を見下ろしている。このハーンという男は先日知り合ったばかりだが、珍妙な呪物やら骨董を集めることを趣味とした変な男なのだ。
「何って、丁度だな。あんたの賭場にお邪魔しようと思ってよ」
「ほう。それは重畳です。乗っていかれませんか」
「いいのか?」
「私も戻るところですから。それにもうすぐ日が落ちます」
ハーンが顔を上げた先を見上げれば、僅かに山の端が薄い青色に変化していた。秋の陽はつるべ落とし。特に西側にでかい
ゆたりと泊まった箱馬車に乗り込めば、妙な香りに満ちていた。見上げればハーンは細長いキセルをふかしている。このハーンの本業は記者ということだが、その傍らで賭場を開帳している。私営賭場は当然違法だが、こいつは外国人なものだから、お咎めなしなのだ。
「この間聞いたルーレットってもんをやってみたくてよ」
真っ当に働いたあとは、博打を打つことに決めている。
「はて、ルーレット。そういえば今日の題目は何でしたかな? ルーレットをするにしても、ルールはご存知でしたか?」
「36までの数があって、丁半だとか3の倍数だとかで賭けるんだろ?」
「ええ。或いは1つの数や、近くの複数の数にかけることもできます」
「それで台を回してその数に落ちれば当たりという奴だな」
ハーンはふむと頷く。
「初めてなのによくご存知ですな」
「日の本にも『とっこいとっこい』という似たのがあるからな」
とっこいとっこいというのは力士の名前や番号の書かれた回転盤をまわしたのに子どもが吹き矢を吹き、それに応じて景品がもらえる遊びだ。祭り屋台などにある。
「ほう。そのようなものがあるのですな。そうだ山菱さん、一度そのお祭りというものを見学に連れて行って頂けませんか」
「いいけどよ、なんで俺」
「山菱さんは庶民の暮らしというものに詳しそうですので。私が混じろうとしても、うまく行かぬのですよ」
近くで見ればギョロギョロとした片眼鏡の奥の左目は白濁していて、残りの右目はやけにせわしなく左右を見回している。確かに異相だ。ハーンが不意に近づけば、異人になどさほど縁のない庶民は怖気づくだろう。それに俺はといえば之以上なく庶民であることは間違いない。けれどもなんだか癪に触る。どう反応したものかよくわからんと思ううちに、ハーンの屋敷にたどり着く。
欧風の立派な建物だ。一階の扉を開けば
訪れるのは初めてだが、その規模に度肝を抜かれた。
「あの大階段の奥では特別な場合の賭けを行います」
「特別な賭け?」
「ええ、特別な方のための賭博や、特別なご要望に基づいて行う賭博などですね。ともあれ開帳まではまだ時間が御座いますから、お茶でも差し上げましょう」
そう言われて堂々とした大階段をのぼって振り返れば、賭場の上が吹き抜けとなっているのが見て取れた。その吹き抜けを囲うように廊下が繋がり、その丸い廊下に沿って机が並べられている。どうやらこの2階廊下から階下の賭け事を見物できるようだ。
「すげぇな」
「まあこの家は私の趣味で造りましたから。ああ、この回廊を外れると、迷路のように複雑となっております。不案内のところは立ち入らないようお願い致します。たまに行方不明者が出ますので」
「お、おう」
そう言われれば、急になんだかおどろおどろしい気分になった。
ハーンの部屋に入れば、部屋中に珍妙なものが詰まっていてこれまた驚く。
「普段は普通の応接にご案内致しましたが、前回の
先日土御門の森に画皮というものが出て、その時にこのハーンと縁を持ったのだ。
「そう言われても俺はよくわからんからな」
「こういう不思議なものを詰め合わせた部屋をヴンダーカンマーと申しまして、少し前に西洋ではやっておりました。このように収集物を見せびらかすのです」
こころなしか、ハーンは得意げだ。
そういえば珍物というものをこうまじまじと見るのは始めてかもしれん。
中央に置かれたなんだか苦悶が刻まれたような長机に、やけに無表情なメイドが紅茶を置いて下がった。
「そうだ、ルーレットでしたな。試しにやってみましょうか」
ハーンがそう告げれば、メイドがルーレットのセットを運んできて、机の上に並べた。
「彼女がディーラー、胴元を致します。彼女がルーレットを回し始め、玉を投げます。そして一定の時間の経過までにベッドする場所を決めます。では、ロロゥリ」
ロロゥリと呼ばれたメイドがルーレットを回転させ、その回転と反対方向に玉を投げ入れた。目を皿のようにして長め、カラカラと回る玉がカチリとそのヘリを跳ねた時、ロロゥリは宣言した。
「
「今の声がかかる前に掛けを決めねばなりません」
「まいったな。これじゃどこに落ちるか全然わからん」
「はは、山菱さん。それはプロのすることです」
ハーンは俺を愉快そうに見つめる。
「プロだと?」
「ええ。出目など見て当てられるものではない。一部の天賦の才を持つ方でも、ルーレットではなくディーラーを見て判断します。素人には運しかありません」
「運ったってなぁ」
皆目検討がつかなかった。ロロゥリを見つめても酷く無表情で、何かが読み取れるとは思えなかった。お手上げだ。
「参ったなぁ、適当なところに賭けるにしても36個もあっちゃ浮かばねぇよ」
「0と00が御座いますから、厳密には38個ですな」
「お前らはどうやってかけてるんだ?」
「ふむ。様々ですな。好きな数字やら、これまで勝ちやすかったイメェジの数字やら、様々です」
「そう言われてもな。特に好きな数もないし、これが初めてだ。縁起を担ぐなら末広がりの八なんだが賭け事には向かん」
「ほう、何故です?」
「丁半では一か八かっていうんだがよ。それは丁の頭の一と半の頭の八のさかさをとってるんだ。逆さってのもなんだか縁起が悪いし、一か罰かって話もあるからよ」
ハーンはふうむ、と唸って首を傾げた。
「この辺は好みなのですがね。では7は如何でしょう」
「7? 何でだ」
「私は野球賭博を心得ておりましてね。昨年のリーグ優勝を決める試合でね。シカゴ・ホワイトストッキングスに賭けておりました。そういたしますと7回目です。つまらないフライでもうダメかと思っておりましたが、突然強風が吹いてホームランになりましてな。それ以来、
「なるほど。このルーレットとやらも異国の遊戯だ、悪くねえな。それに決めた」
「そろそろ賭場の準備も出来たでしょう」
そう思えば、部屋の外が騒がしい。
よしっと気合を入れて部屋を出、吹き抜けを眺め下ろして絶句した。
「話が違うじゃねえか」
「おや。けれども私は今夜がルーレットとは申しておりませんよ。差配は胴元に任せておりますから」
見下ろせば盆御座が広がり、勢いよく丁半の声が響き渡り、胴元がサイコロを籠壺に放り投げたところだ。
「参ったな。サイコロに7はねぇ」
「おや、それは7には不運なことですね。では丁にかけますか?」
「そうだな。さっき罰なんていっちまった手前、八は縁起にかける。こういう宗旨変えは良かぁねえんだが、無いなら仕方ねぇ。かけるなら一か。丁!」
カラカラと壺が動かされ、ピタリと止まる。そしてたくさんの木札が舞う。そして胴元が壺を上げた。
「
「サイにはなくとも出目にはございましたな」
「畜生!」
俺が金と交換した木札は、あっという間に溶けた。
最初の運を信じなかった俺には勝利など程遠いのだ。結局その日もスッカラカンになったのである。
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