第18話 招待状

 三日後。穏やかな晴れ間が広がる中、クリスティーナとポールの葬儀がヴァレンタイン城のそばにある小さな教会でしめやかに行われた。そして葬儀が無事に終わり、ティファニーがクリスティーナの棺が埋葬されたお墓の前に、白百合の花束を静かに置いた後も、しばらくの間、その場から離れようとせずに、無言のまま、彼女の墓を見つめていた。

「ティファニー、まだここにいたのかい?」

 一人、お墓の前に立っているティファニーのそばに、クロバラメイムが近づいてきた。

「クロバラメイム。まだ出発していなかったの?」

 ティファニーはてっきり、クロバラメイムがケスバラレイムとともに城を出発したものだと思い込んでいたのである。

「先生がこの城でやり残したことがあるとかで、出発が明日になってしまったんだよ」

「へぇ、そうなんだ」

 ここでクロバラメイムは、クリスティーナのお墓に添えられた白百合の花束に目を向ける。

「ティファニーは、その……先生からクリスティーナがジェノバだと知らされた時、どう思ったんだい?」

 クロバラメイムの質問にティファニーは、思わず苦笑してしまった。

「正直言って、あまり驚きはしなかったわ」

「なぜだい?」

「仮面舞踏会で何度かジェノバを見かけたことがあるんだけど、歩き方とか仕草とか、なんとなくクリスティーナに似ていたから、もしかしたらって思っていたの」

「気づいていたのか」

 ティファニーは頷いた。

「私にも責任があるわ。一緒に暮らしていたくせに、クリスティーナの想いに何も気づいてあげられなくて」

 ティファニーは、クリスティーナを止めることが出来なかった自分を責めていたのである。

「こんなことになるなら、クリスティーナにもっと早く言えば良かったわ」

「えっ?」

 クロバラメイムは、目を大きく見開いて、ティファニーの方を振り返った。そして、彼女がクリスティーナに抱いていた想いを告白した瞬間、一陣の風が突然吹いて、白百合の花が激しく揺れた。




 この日の夜、ケスバラレイムは城のテラスで、エルヴィスと別れの挨拶を交わしていた。

「イギリスに帰るの?」

「ああ。明日の早朝に出発するつもりだ」

「そう」

 ケスバラレイムは、寂しそうな眼差しで、夜の庭園を眺めていた。

「マダムはどうするつもりだ?」

 エルヴィスが尋ねると、ケスバラレイムは手に持っていた招待状を彼に見せつけて、にこりと笑みを浮かべた。

「次のパーティーが待っているの」

「そうか」

「あなたもイギリスに帰る前に、一緒にパーティーに参加しない?」

 ケスバラレイムが誘ってみると、エルヴィスは首を横に振る。

「遠慮しておく。俺は、ああいう賑やかな場所は苦手だ。それに、早く本国に帰って、妹に知らせたいんだ。犯人は、ジェノバの正体が、彼女と同い年の美しい娘であったことを」

 実際のところ、エルヴィスは、ずっと男だと思っていたジェノバの正体が女であったことに、内心驚いていたのである。

「クリスティーナは、確かに多くの女たちを殺してしまったけど、彼女もれっきとした被害者だわ。ポールは、妹であるティファニーへの愛を隠しながら、ずっと生きてきた彼女の弱みにつけ込んで、社交界の王子様という姿を借りた殺人鬼に仕立て上げたのよ」

「つまり、やつにとって、ジェノバの純潔なんて最初からどうでも良かったんだ。ただ自分の愛した女と結ばれた兄の面汚しのために、彼女を殺人兵器として利用したということだな」

「クリスティーナの苦しみは計り知れないわ。自分が愛した人が、自分と同性の女で、しかも妹だった。たとえ報われないと分かっていても、彼女への愛を止めることは出来なかったのでしょう。だって、恋は、人間の本能そのもの。自分の意思で、そう簡単に止められるものではないわ」

「財力や社会的地位が重要視された、この自由な恋愛を楽しめない社会は、同性愛者たちにとっては、ひどく窮屈で生きづらいだろう」

「ずっと昔から思っていたけど、どうして人間って、生きづらさばかりを追求するのかしらね?」

 ケスバラレイムは、長年、自らを苦しめるルールを作り出してきた人間たちの生き方に疑問を抱いてきた。

「この世界で生きる全ての人が、子孫を残すだけの愛だけに従順になれるわけではないわ。もちろん、快楽や欲求だけを満たすだけの愛は、互いを傷つけ合い、社会を不幸にしてしまうわ。けれど、浅はかな偏見と差別が作り出した性の呪縛を壊さなければ、またクリスティーナのように誤った道に突き進んでしまう子が出てきてしまうでしょうね」

「社会の秩序を守る立場である俺は、これからも同性愛者たちの問題から目を背けるわけにはいかないだろうな」




 次の日の昼下がり、白い鳩の群れが飛び交う青空の下で、ケスバラレイムとクロバラメイムは、ティファニーとクロードに別れの挨拶をしていた。

「もう歩いても大丈夫なの、ヴァレンタイン侯爵?」

 一連の事件のショックで、クロードは体調を崩して寝込んでいたのである。

「ドクターに絶対安静だと言われましたがね。ずっとベッドに横になっているのも退屈でしたので、メイドたちに無理を言って、こっそり部屋を抜け出したのですよ」

「もうお祖父様。ドクターに見つかったら、怒られちゃうわよ」

「いいじゃないか。最後にケスバラレイムさんにお礼の一言くらい言わせてくれ」

「そんなお礼なんてしなくていいですよ。この派手なおばさん、ただ踊って、食って、狩りに夢中になった挙句、ロックフェラー警部に色仕掛けまでして……」

 クロバラメイムがそう言いかけた瞬間、ケスバラレイムは、彼の足をヒールの踵で思いっきり踏んづけてやった。

「イッタアァァ!」

 クロバラメイムが痛みで悲鳴を上げている間、クロードはケスバラレイムにお礼を言った。

「ケスバラレイムさん、本当にお世話になりました。今回の一連の事件は、すべて私の愚かさが招いたものです」

「お祖父様……」

「ヴァレンタイン侯爵、あまりご自分を責めるのは良くないわ」

 すると、クロードは乾いた唇を歪ませながら、首を横に振る。

「私は父親として、ポールの暴走を止めることが出来なかった。私が被害者たちを殺したようなものだ」

 クロードは唇を微かに震わせながら、ポールのことついて語り出した。

「私は私生児のポールを、上の二人の兄に劣らないように、一流の紳士に育て上げようと躍起になっておりました。幼い頃からポールに完璧を求めて、自分の思い通りの成果を出せなかったたびに、厳しく当たってきました。自分の理想を押し付けてきた結果、私はいつの間にか、彼の人間性まで歪ませてしまったのです。これまでポールが犯した罪の責任は、全て私にあると考えております。だからこそ、残りの人生を、犠牲になったご夫人たち、カーティス、そしてクリスティーナに捧げようと思います」

 クロードが、ポールに対する懺悔を語り終えると、ケスバラレイムは彼に尋ねた。

「もう仮面舞踏会は開催なさらないのかしら?」

「心の整理がつくまでは、当面の間は開催する予定はございません。それに私の跡を継ぐ者がいないのであれば、社交の場を存続させてゆくのは難しいでしょう」

「そんな……」

 ケスバラレイムが落胆すると、ティファニーが口を開いた。

「大丈夫よ、マダム。私がお祖父様の跡を継ぐわ!」

「ティファニー」

 ティファニーの突然の発言に驚いたクロードは、思わず目をぱちぱちさせてしまった。

「まぁ、それは素晴らしいことだわ。ティファニーが女主人になってくれたら、私もまたダンスを楽しめるわね」

「ええ、その時は是非いらしてちょうだいね! もちろん、クロバラメイムも絶対来てね!」

 ティファニーはクロバラメイムに念を押すようにいうと、彼はぎこちない笑みを浮かべた。

「面と向かって言われたら、当然断れないわよね、クロバラメイム?」

 ケスバラレイムは扇子を仰ぎながら、クロバラメイムの方に目を向ける。

「もっ、もちろん、参加させていただくよ。ただ、僕と踊るのはあまりおすすめしないけどね」

 こうしてクロバラメイムは、ティファニーと半ば無理矢理約束を交わした後、ケスバラレイムとともに馬車に乗り込んだ。そして、二人を乗せた馬車が城門の方に向かって走り出すと、ティファニーは手を大きく振って、彼らを見送ったのであった。




 空が紫色に暮れ出した夕方。ウィーン郊外にある、ベルヴェデーレ宮殿の下宮を思わせる白を基調にした、バロック様式のお屋敷の門の前に、一台の馬車が止まった。

「クロバラメイム、あなたも一緒に降りる?」

「いいえ、僕はここで待ってます」

「そう。じゃあ、ここで大人しく待っててね。すぐに済ませて来るから」

 ケスバラレイムはそう言って、馬車から降りた後、屋敷の中に入って行った。そして、静まり返ったエントランスの扉を開けると、赤いドレスを着た美しい女の肖像画が、いくつも壁に掛けられた回廊を進んだ。

「ここね」

 ケスバラレイムが、一番奥にある部屋の扉を開けると、窓際のロッキングチェアに座り、パイプ煙草を燻らせる、ホルスト・ニーチェがいた。

「無事に事件を解決させたみたいだね、ケスバラレイム」

 ドクターニーチェは、ニヤリと口元を歪めながら、ケスバラレイムの方に目を向ける。

「ごめんなさい。随分と待たせてしまったみたいね」

「いいや。そのおかげでじっくりと清めることが出来たよ」

 ドクターニーチェはそう言って、立ち上がった。

「あら、それは嬉しいわ」

 ケスバラレイムがうっとりと微笑むと、ドクターニーチェは壁際に置かれた置き時計のそばにある扉を開けた。すると、薬品の匂いが漂い出した。

「さぁ、準備は出来ているよ」

 ドクターニーチェが、ケスバラレイムを研究室に案内すると、そこには墓から掘り起こされたクリスティーナの死体が、ベッドの上に安置されていたのである。カーテンの隙間から差し込む夕日の光に照らされた、クリスティーナの顔には、仄かに化粧が塗られ、真新しい純白のネグリジェを着ていた。

 研究室の中に足を踏み入れたケスバラレイムは、ゆっくりとベッドに近づき、安らかな表情を浮かべたクリスティーナの死顔を見下ろす。

「背中にある銃弾の傷跡以外は、特に大きな損傷はなかったよ。ただこれ以上の腐敗を防ぐために、防腐剤を注入しておいた」

 扉のそばでパイプ煙草を吹かしながら、ドクターニーチェはどのような処理をしたのかを、軽く説明をした。

「心遣い、感謝するわ」

 ケスバラレイムは、ドクターニーチェにお礼を言うと、早速、赤いドレスを脱いで、裸になった。

「では、始めましょう」

 ケスバラレイムはそう言って、クリスティーナの死顔を覗き込んだ。





 馬車は、再びウィーンの街中を颯爽と走り出した。しかし、一つだけ、先程と違う点がある。それは、クロバラメイムの目の前には、赤いドレスを着たクリスティーナが座っているということだ。もちろん、彼女が本物のクリスティーナではないことは分かっていた。ケスバラレイムは、ドクターニーチェの協力によって、自分のローズヒップをクリスティーナの肉体に移したのである。二百年ぶりに新しい肉体を手に入れたケスバラレイムは、鼻歌を歌い、上機嫌であった。

「今度の体はどうですか?」

 クロバラメイムは呆れた口調で尋ねる。

「私の目に狂いはなかったわ。やっぱり、若い女の体は引き締まっていて、とても心地がいいわ。背中にある銃弾の傷跡が少し気になるけど、あと五十年ほどすれば、自然と傷は消えていくでしょう」

「まさか、最初からジェノバの体が目的だったとは」

「あなたも、ついでに変えればよかったのに」

「はぁっ? あんな不気味な城に、僕にふさわしい体なんてなかったでしょう?」

「いたじゃない。あの無駄に騒々しいポエマー」

 ケスバラレイムの発言に、クロバラメイムは娘のように顔を赤らめながら、声を張り上げる。

「冗談でも、あんな白百合泥棒の体なんて入りませんよ!」

「あら、見た目はダ・ヴィンチが描いたヨハネに似ていて、私好みの美青年だったと思うけど」

「自分の好みで、僕の身体を勝手に決めるのはやめて下さい。僕は先生の着せ替え人形じゃありません!」

「そういえば、三百年前に純粋なアーリア人の身体に乗り換えた時、ひどい拒絶反応を起こしていたわよね」

「……」

 過去の苦い経験が脳裏が過ぎり、思わずケスバラレイムから目を逸らす。

「もしかして、怖いの? またあの時と同じようなことになることが……」

「べっ、別に怯えてなんかいませんよ」

「うふふ、強がらなくてもいいわよ」

 彼の気持ちを見透かしたような目つきで、ケスバラレイムはニコリと微笑む。

「そっ、そんなことより、無断でお墓からクリスティーナの死体を運び出して大丈夫なんですか?」

「大丈夫よ。ドクターニーチェが上手く誤魔化してくれるでしょう。それにクリスティーナは、凶悪犯罪者よ。死んだからって、生前の罪が消えるわけではないし、そもそも極刑の彼女に、お墓なんていらないでしょ?」

 ケスバラレイムが冷たい口調で言うと、クロバラメイムは思い詰めた表情を浮かべる。

「いくら騙されていたとはいえ、彼女が犯した罪は許されるものではないですよね」

「ケスバラレイムとして新しい人生を歩むこと。それがクリスティーナにとって償いの旅でもあるのよ」

「新しい人生ですか。それが倫理的にクリスティーナにとって最良の選択であったのかどうか、今でも疑問が残りますがね」

 ケスバラレイムが定期的に身体を変えることに、クロバラメイムはどちらかというと否定的な立場であった。

「いいかげん、死者への罪悪感を捨てなさい、クロバラメイム。肉体の崩壊は、私たちにとって命取りなのよ」

「はぁ。僕も、この肉体が朽ち果てる前に、次の体を見つけないといけない、というわけですか」

 クロバラメイムは溜息をついた後、車窓の外に広がる美しいバロック建築が建ち並ぶウィーンの街並みに目を向ける。

「私達は、自らの命を守るために、肉体を変えていかなければならない。まさに薔薇族の宿命は残酷ね」

 ケスバラレイムは苦笑した後、扇子を広げて、優雅に仰ぎ出した。


 





 

 

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ケスバラレイム 鏡原ノイミ @kagamiharanoimi

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