海幸

 私が与えられた古ごと編纂の使命は、四月余りでほぼ成し遂げられていた。礼が諳んじる古ごとは、既にでき上っているといってよい。それを取りまとめて、書き留めていくだけの仕事である。全く苦はなかった。後は木簡に清書するだけなので、式部省に与えられた自分の部屋で作業を進めればいいのであるが、私は、相変わらず、洛外の礼の屋敷に入り浸っていた。記録することのできない、秘めたる古ごとの方を聴くことが楽しみでしょうがなかったのである。もちろん、これは、舎人親王を始め、内裏には内緒のことである。

 隼人の民の咆哮に後押しされるように、都大路を下り、礼の屋敷に急いだ。いつものことだが、礼の屋敷の門の灯りを見るとホッとする。扉の閂はかかっておらず、触れるとぎいっと音を立てて開いた。促されるように、私は屋敷に入り、礼の待つ奥の間に進んだ。イワイの案内はなかった。今夜イワイは、留守にしているのかなとぼんやり考えていて、ふと一つの考えが思い浮かんだ。

 礼は、明障あけさかから差し込む月明かりの下、一人佇んでいた。礼の前に座り、私は早速、今思いついたことを礼に語り掛ける。

「今宵は、車返しの日に、イワイに話して聞かせる予定だったという話を所望します。」

 都に戻る途中、急に思い立って、この屋敷に戻り、礼の秘密の古ごとを聴き始めることになったあの日のことを、私たちは、「車返しの日」と呼んで記念していた。

「あの夜、話を聴くせっかくの機会をイワイから奪ってしまったことを悪かったとずっと思っていたのです。それに、どんな話だったのかも気になっていました。」

 ああ、と礼がうなずく。

「その物語は、隼人の民がどうしてナの国に移り住んだかに関わる話です。イワイを始め、隼人の民に伝承として語り継がれていて、皆のよく知っている話です。先人の苦しみや思いを改めて思い起こし、忘れないために、新月の夜、私の所に話を聴きにくるのです。あの夜は、ちょうどその日で……。子守歌代わりのようなものですわ。ですから、気にされる必要はありません。」

「忘れてはならない隼人の民の思いとは? 何か悲惨な出来事や複雑な事情があって、誰かに恨みを抱いているとか、そのようなことですか。」 

 礼が、静かに、だが、毅然として言葉を返す。

「そのような内容の話を期待されているのかもしれませんが、必ずしもそういうものではありません。古ごと語りを始めた時に申し上げたように、余り先入観を持たないでいただきたいです。隼人の民は、今は奴隷のような扱いを受けていますが、自分たちの不遇を恨んだり、みじめだと卑下してはいません。彼らは、誰に対しても恨みなど抱いてはいません。様々な出来事を経て、現実を知り、正しく理解することで、ありのままの自分を受け入れ、そして乗り越えることができているからです。古の恨みに執着し、これを引きずれば、いよいよ深みにはまり、自らを不幸にするだけで、何にもならないことを彼らは知っています。その思いを日々新たにするために、私の話を繰り返し聴きにくるのです。過去を全て受け入れ、ときに吐き出すことで、自我を越えることができるのです。私が、あなた様に、自分にまつわる古ごとを語り始めたのも、話すことで自分の心を解放し、ありのままの自分に更に近づいているという意味では、隼人の民の思いと同じといえましょう。聴けば悲しいと感じるような出来事があったのは間違いありませんが、それも今は昔、そのようなことがあったというだけのことです。お話しするのはやぶさかではありませんが、お聴きになっても、あなた様の興味にそぐわなければ、退屈な話とお思いになられるかもしれません。」

「私は、単に興味本位の好奇心で話を聴かせてもらっているわけではありませんよ。真実を知りたいだけです。」

 私は、わざとふくれて見せる。礼は、ふふふと笑って、

「あなた様がそうだと申しているのではありませんわ。さて、おしゃべりが長くなりました。古ごと語りを始めましょうか。」


 ヒノミヲ様の長久の統治のまだ初めの頃、ヒノミヲ様は、ご自身の孫にあたるホノニニギ様に、マの島の南方にクマの国を開くよう命じ、ナの国の豊かさを支える稲穂の苗を分け与え、その稲穂を育てて民を養うようにとの神勅を示されました。ホノニニギ様は、ヒノミヲ様から併せて授かった不思議な霊力を持つ宝物三品を携え、荒ぶる火の山を避けて、東回りでマの島を南下されました。道々、神秘の力を駆使しながら、「よきこと」をたくさん施されたので、一帯は豊かに栄え、今でも日向と呼ばれて筑紫の島の中でも一番に隆盛しているのは、そのようなゆえんなのです。やがて、ホノニニギ様は、高千穂の峰の麓の肥沃な土地にたどり着きました。そして、そこを高天原と名付けました。タカヤの地と呼ばれることもありました。そこを起点に、国開きを進められたのです。ヒノミオ様から与えられた稲穂を使って、この地に稲作を広めました。

 ところで、ホノニニギ様には、その後三人のお子が生まれました。お一人は、幼くして亡くなられてしまわれたので、実質はお二人といってもよいでしょう。兄はテルきみ、弟はホオきみと呼ばれていました。テル君がおとなしい性格の方であったのに対し、ホオ君は気性の激しいところがありました。

 国造りは順調に進み、クマの国は、マの島の南と西の果てまで広がっていました。高千穂から連なる山々の麓の湧泉に流れを発する天降川のほとりに、国分くにわけの関を設け、これを境と定めて、西側をサクマの地、東側をオオクマの地と呼び分けて、テル君がサクマを、ホオ君がオオクマを治めました。境を越えて、お互いの領地を侵すことがないよう、ニニギ様がご配慮されたのです。ホノニニギ様はまた、ヒノミヲ様から託された宝物のうち、ぎょくをテル君に、つるぎをホオ君に、それぞれお与えになり、それらを守護しつつ、治世にいかすことを委ねられました。

 テル君が授かった玉は、今では、異国で模造されたものを目にすることもある「勾玉まがたま」と呼ばれているものですが、そもそもは太古の昔から唯一無二の宝としてヒノミヲ様が受け継がれてきた貴重な霊玉です。また、玉は、南の海の果てにあるリュウの島や大陸との交易をヒノミヲ様が正式に許したことの証ともなるものです。獣の牙か爪のような形をしているように見えますが、わたづる海の宝として、本来は水の雫や釣り針を模したもので、水の利を司り、海川における魚貝の漁、ひいては雨雷をさえ御して、稲・菜類の耕作などにも不思議な霊力で恵みをもたらすものです。実際のところ、よく海からの糧を得たことから、テル君は、民から「海幸うみさち」の彦と呼ばれていました。テル君は、広大なカサ田の地を抜けた所の阿多の長屋の笠狭カササ岬の近くに居を構えていました。カサ田の名からも分かるように、サクマは土地が肥沃で、耕作に適した地が折り重なるように広がっており、暮らしが豊かであったことから、多くの民がテル君の下に集まり、大いに賑わい栄えました。テル君が阿多の隼人族の祖といわれるのも、そのようなところからきています。

 ちなみに、「彦」というのは、「日の子」すなわち、ヒノミオ様ゆかりの方々ということを表しています。

 一方、ホオ君が授かった十束とつかの剣は、地の利を司ります。オオクマの地は、火の山の恵みである湯鉱泉のほか、白銀の産地にもつながっており、これら山の宝を守り、いかすために、数多くのたたらの匠や兵がこの地に集まりました。ホオ君が振るう宝剣は、部下の兵や民を威圧するに十分な力の象徴ともいうべきものでした。また、オオクマの地は全体、山が深く、実りが豊かであることから、熊、猪、鹿、猿、兎などの獣が多く棲み、狩猟が盛んでした。よく山からの糧を得るということから、テル君の海幸に対して、ホオ君は、「山幸やまさち」の彦と呼ばれていました。

 お二人は、年二回国分の関で直接会って意見を交わすなどしながら、お互いを尊重し合い、決して領分を侵すことなく、それぞれの地を治めておられました。外敵はおらず、クマの国全体、平和な世がいつまでも続くと、誰もがそう思っていました。ところが、しばらくして、国分の関にほど近いタカヤの宮で暮らしておられたホノニニギ様が崩御されて、クマの国を巡る情勢は大きく変わりました。山幸彦が、領地を交換して、サクマの国を治めたいと望まれるようになったのです。サクマの国が、稲作や海での漁にとどまらず、大陸の異国やリュウの島との交易によって、大いに栄えていたことを妬ましく思っておられたのでしょう。オオクマの地の奥まった山中にある岩穴いわなの宮で暮らしておられた山幸彦にとって、ホノニニギ様の最期に間に合わず立ち会えなかったことや、ホノニニギ様の奥方である鹿葦かあし姫の意向によって、カササの岬からも遠目に見ることのできる可愛えのの亀山に埋葬されたことも、自分がないがしろにされているあかしと感じられたのでございましょう。強く領地の交換を迫りました。当初海幸彦は、ホノニニギ様の遺志なのだからと応じませんでしたが、国分の関でお会いになる度に繰り返し執拗にお求めになられるので、やむなく、一時的にしばらくの間領地を交換することを承諾されました。飽くまで、試しに、期間を設けて相手の国を治めるのだという約束でした。海幸彦は、身の回りの世話をするためのわずかな数の供を連れて、岩穴の宮に移られましたが、これに対して、山幸彦は多くの兵を引き連れてサクマの国に入られました。力で阿多隼人の民を支配したのです。また、海幸彦の玉を使って交易を拡大し、それまで以上に財を蓄えました。金に物を言わせた豪遊ぶりは酒池肉林と例えられるほど、目に余るものでした。

 海幸彦たちは、不慣れな山の猟では十分な糧が得られず、すぐに、食べるのにも苦労するようになりました。火の山の噴火やそれに伴う地震、天降川の氾濫などの厄災が、困窮に拍車をかけました。このままでは暮らしが立ちいかなくなると、山幸彦に領地を早々に元に戻すよう訴えましたが、山幸彦は応じようとしません。そればかりか、自分が兵を分け与えて暮らしを支えてやるので、海幸彦は大人しく隠居してはどうかなど、到底受け入れない屈辱的な回答を返します。ここに至って、海幸彦は宝玉も領土も山幸彦にだまし取られたことに気が付きました。とても残念なことですが、あれほど仲が良かった兄弟の間で、領土と意地を掛けたいくさが始まってしまいました。サクマの国に残った兵や隼人の民がよく戦いましたが、山幸彦の軍が天降川沿いを固めていたため、海幸彦はなかなか国分の関を超えることができません。戦は、長い年月続きました。隼人の民の抵抗に業を煮やした山幸彦は、カササの港に交易船に乗って来訪していたリュウの島の使者に対して助力を求めました。交渉相手に宝玉を示し、自分こそが正当なサクマの国の領主であると信じさせ、海幸彦が無法に領土を侵そうとしている悪者であると嘘を吹き込みました。山幸彦の話をすっかり信じ込んだリュウの国の使者は、助力を約束しました。ただし、助力に当たり、リュウの島の王女をめとり、両国の友好関係を強固にすることがその条件として示されました。山幸彦は条件を受け入れ、契りを結ぶため、単身リュウの島へ渡航しました。そして、帰国した山幸彦は、リュウの島の呪術師によって呪いをかけられ無力化した宝玉を海幸彦につき返し、リュウの島で新たに得た、竜のはらから出たという伝説の二つの竜玉「潮盈珠しもみつたま」と「潮乾珠しおふるたま」を駆使して、洪水を起こしたり、逆に日照りで飲み水を枯渇させたりして海幸彦軍を攻め立て、ついに海幸彦は降伏に追い込まれました。永遠の服従を誓わされ、隼人の民は召使いのように使役されることになって、今に至るのです。

 海幸彦は、隼人の民を養い守ることができなかったことで自分を責められ、長く苦しまれた後、失意のうちに亡くなられました。毎日のように虐げられていた隼人の民は、心の支えであった海幸彦を失い、途方にくれました。生きる気力さえ失いました。皆でこれからのことを話し合って、隼人の民は、ヒノミオ様を頼ってナ国に救いを求めることを選択しました。そのようなわけで、隼人の民は全員でナの国に移り住むこととなったのです。

 隼人の民の苦難は、その後も続きました。ヒノミオ様がナの国を離れた後、イヨ様と共に再び流浪を余儀なくされ、やがて伊勢にたどり着きました。そして、ヒノミオ様の弟スサヒコ様のお子である大国主様が整えてヒノミオ様に献上した中つ国に遷都がされたことから、隼人の民は更に移住することになりました。都に落ち着いた後も、都人から虐げられ続けていましたが、五十年ほど前でしたか、筑紫の島に残っていた隼人の民の一団が都の専制に対して蜂起し、大宰府を攻めて反乱を起こしました。磐井の乱として史実にも語られているので、お聞きになったことがあるかもしれませんね。乱は間もなく平定されましたが、この出来事は都での隼人の民の立場を一層悪くしました。今や奴隷のように都人に扱われているのも、そのせいです。乱を首謀した磐井は、実は、ここにいるイワイの先祖なのです。イワイの一族は、代々イワイを名乗っています。誇り高い家系なのでしょう。イワイは、そのようなこともあって、ここでも隼人の民のおさのように敬われています。イワイもまた、隼人の民のために、事あらば命をかけて働くことでしょう。


 そこまで淀みなく語っていた礼が、話を止め、ほうっと一息ため息をついた。涙を浮かべているように見えた。

 いつのまにか、イワイが部屋の外の廊下に座して、話を一緒に聴いていた。私は、殊更気にも留めず、礼の話の続きを待った。

「ここまで話すと、イワイや隼人の若衆は決まって口惜しそうに膝を叩いて嗚咽するのですよ。気持ちが分かって、私もいつももらい泣きしてしまいますの。」

 少しはにかむように微笑んで、再び口を開く。


 やむことのない隼人の民の苦難に対して、山幸彦の隆盛はとどまるところを知りません。山幸彦はその後熊襲の王を名乗り、権勢を振るいました。ナの国をさえ傘下に従えるまでに強大となり、クマの国は大いに繁栄しました。また、山幸彦の孫である火火出見ほほでみ様は、あなた様方が大切に守り、引き継いでいる帝紀に記録されているとおり、日向の港から海を渡って中つ国に至り、都で最初の帝となられました。この国を統治する正統のいしずえとなられたわけです。しかしながら、これまでのいきさつを知る者としましては、現在のこの国の安寧は、海幸彦や隼人の民の犠牲の上に成り立っているように感じられます。あなた様方が信じておられる、いわゆる正史を批判するつもりは毛頭ありませんが、同じ志で国造りに励まれたご兄弟なのに、この違いは、不公平と思われてなりません。お話ししたとおり、海幸彦は弟の山幸彦から不当に略奪されたご自分の領地を取り戻そうとされただけで、非難されるような事は何一つされていません。それなのに、一方は表舞台から姿を消されてしまわれた。どうしてこのような理不尽な運命さだめを受け入れなければならないのでしょうか。海幸彦の悔しい気持ち、運命に翻弄された隼人の民の苦しみに思いをはせると、私は心が痛みます。救いはないのかと、天地の神々にお尋ねしたくなります。かつてのナの国同様、歴史から何もかも消し去られてしまうのでしょうか。海幸彦が誠意を込めて取り組まれたサクマの国造りの記憶は、どこにも留めることができないのでしょうか。私は、自身の無力ささえ、恨めしく思います。


 礼が話すのをやめた。微かに肩を震わせている。怒りだろうか。嘆きだろうか。

「今宵の古ごと語りはここまでといたしましょう。少々辛くなってまいりました。」

 私も同感である。悲嘆にくれて気持ちが塞がる思いがしていた。

 最後に、礼が次のように述べて物語を締めくくった。

「それでも、最初に申し上げたように、隼人の民は、決して自分たちの運命を悲観してはいないのですよ。自分たちを卑下することもなく、周りを憎むこともなく、ありのままを受け入れています。彼らが何を求めているのか、例えば、民族の再興なのか、誇りを回復することなのか、都で何らかの地位を得ることなのか、真意を推し量ることはできません。イワイに尋ねても答えは得られないでしょう。そのようなこと、つまり、見方を変えると卑近で些細な期待といえるようなものなど、そもそも抱いていないのかもしれません。辛苦を知る者は、誰より優しく強いのです。広く豊かな心を持っているのです。隼人の民が望んでいるのは、更に高いところにあるのかもしれません。

 安万侶様は、隼人の民が持つ盾を見られたことはおありですよね。盾に描かれた渦巻き文様は、古の海幸彦の宝玉、勾玉を模したものです。色鮮やかに渦巻いて描かれていますが、あれは潮が水の底に沈んでいく様子を写したものではありません。生氣が渦の中の一点から、無限に広がっていくさまを表しているのです。隼人の民の心の底の熱き思いは、天地のことわりに通じているといえるかもしれません。

 ですから。いつかきっと……。」


                                  





 





















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Désarroir 混沌の古事伝 天海女龍太郎 @taiyounokage

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