階段を踏み外して恋に落ちました? ~でも道を踏み外すよりいいですよね
藤瀬京祥
階段を踏み外したら恋に落ちました? ~でも道を踏み外すよりいいですよね
ザ日本男児みたいな名前をした男性社員は、ゆるっとした天然パーマの前髪を少し伸ばしてメガネの上に掛け、顔の三分の一くらいを隠している。
背は凄く高いけれどひょろりとした感じで、あまり女性社員と関わることはなく、一部のパリピ女性社員のあいだでは 「陰キャ」 なんて言われているけれど……
「さっきさぁ、久々に桐生君見た。
やっぱあの子、背ぇ高ぁ~い」
同僚のサツキは 「あの子」 なんて呼んでいるけれど、いやいやいや、確か桐生さんはわたしたちより二、三年上の入社です。
先輩よ!
「そうだっけ?
ちょっと可愛い感じの
エレベーターとかでさ、女子社員がぶつかったりすると恥ずかしそうにしてて可愛いんだから」
「だからそれ!」
言いたいことはわかるの。
言ってしまうのもわかるけど、先輩だから。
間違いなく歳上の人だから。
うん?
でもわかるのよ、「あの子」 なんて言ってしまうのも、言いたくなるのも。
部署が違うからお仕事が出来るかどうかとかわからないけれど、ちょっとね、歳下っぽく見えるというか、可愛いタイプ?
ついつい 「おねえさんが○○してあげる」 みたいなことを言いたくなってしまうタイプです。
「あんたも危ないこと言ってるじゃ~ない」
これはものの例えよ!
まさか会社で、しかも先輩社員に向かってそんなこと言うわけないじゃない。
そもそも桐生さんとは話したこともないし、近くですれ違ったこともない。
せいぜい遠目に見る感じ?
「そうなの?
あんたが気がつかないだけで、結構すれ違ってると思うけど」
ん? そうなの?
「あんたも鈍いもんね」
この日、わたしはその鈍い運動神経で階段を踏み外した。
あとでサツキが言うには 「運動神経が鈍いとは言っていない」 そうですが、踏み外してしまいました。
お昼休みの食堂でカップのコーヒーを買い、こぼさないように……とカップにばかり気をとられてしまい足下が疎かになっていたっていうね。
「おわっ?!」
しかもいつにない重低音で驚きを声に出してしまった。
可愛く 「きゃっ!」 とか言えたらいいのに、こういう不測の事態ってだいたい本性が出るわよね。
ええ、日々おっさん化が進んでいるわたしの本性が……と思ったら、わたしの声ではありませんでした。
よかった……なんてホッとして胸をなで下ろそうとしたら、自分以外の胸を撫でていたというか、触っていたというか。
いくらわたしだってこんなにつるペタじゃないわよ!
とりあえずこれは不測の事態であって、わたしが触りたくて触ったわけではありません。
そこは主張させてもらうけれど、胸はないけれど筋肉はある感じの胸です。
ちょっと日本語がおかしいけれど、意味は通じると思うのでこのままいきます。
しかもなに? この筋肉、結構な鍛え具合というか、むきっとしてる。
え? 待って。
腕とかすっごい筋肉が……とか思いながら筋肉フェチばりに触り回してしまうわたしに声が掛かる。
「……あの、
えーっと、大丈夫ですか?」
このイケボは誰? ……と思ってみたら、見知らぬ男性社員。
真似をするつもりではないけれど、えーっと、この状況はどういうこと?
「どうって、俺に訊かれましても……」
そう言って少し照れるように笑う、この爽やかなイケメンは誰っ?
しかも階段の途中で、片手で手すりを握り、もう一方の手でわたしを抱えている。
つまりなに?
階段を踏み外したわたしを助けてくれたということかしら?
「そういうことですね」
やっぱり少し照れるように笑う男性正社員は、わたしを片腕に抱えたまま、手すりを握るもう一方の腕をぐいっと引き寄せて体勢を立て直す。
な、なに、その力業はっ?
わたし、そんなに軽くないと思うけど……
「立てますか?
足、挫いたりしてません?」
「あ、ありがとうござます。
大丈夫です」
ようやく手を離してくれた男性社員を見れば、シャツにびっしょりコーヒーが……
「す、すいません!
えっと、今から買ってきます」
「コーヒーを?」
とんでもない状態になっているシャツに慌てるわたしを見ても、男性社員はのんびりとそんな冗談を返してくる。
一瞬 「はい」 と答えかけたわたしだったけれど、すぐ正気に返りましたとも。
「い、いえ、着替えを、です」
「上着着たら見えませんし、今日は外回りしないので大丈夫ですよ」
冷静に返されれば返されるほどこっちが焦ってくるのはなぜ?
お昼休みはあと何分残っていたっけ?
このあたりで男性物のシャツを売ってるお店、どこにあったっけ?
そんなことを考えるけれど頭は真っ白だし、体は棒立ちで動けない。
一方の男性社員はといえば、なぜか上ってきたはずの階段を降りてなにか拾って戻ってきた……と思ったら眼鏡を掛ける。
どうやらわたしがぶつかった時に落としたらしい。
申し訳ございません。
「あの、メガネ、割れませんでしたかっ?」
「大丈夫ですよ、ほら」
「き、桐生さんっ?!」
「はい?」
わたしの掛ける声に答えて笑って見せてくれた顔は桐生奏一朗でした。
えっ? ちょっと誰よ?
ひょろひょろモヤシの陰キャなんていってた奴っ!
メガネの下は超がつく爽やかイケメンじゃない!
シャツの下は超がつく筋肉の細マッチョじゃない!
嘘つき!!
「いやーそれはとんだ災難だったね」
「災難というか、なんというか、その……」
落ちないコーヒーのシミを付けてしまったお詫びをするため、仕事帰りに代わりのシャツを買いに行くことにしたわたし。
同僚のサツキには事の次第を話して付き合ってもらったんだけど、なににやけてるのよ?
「にやけるもなにも、おぬし、惚れたな」
「ほ……ちょ、と待って。
その、たぶんそこまではいかないと思う」
「でも気になるんだねぇ~」
そんなことを言ってからかってくる。
だからやめてって言ってるのに……。
「ところでおぬし、顔に惚れたのかな?
それとも筋肉に惚れたのかな?」
「は……?」
さすがに質問が意外すぎてちょっと冷静になれました。
だって筋肉に惚れるってなによっ?
「大丈夫、大丈夫。
多少の変わった性癖なら許容範囲だから。
ほら、わたしって心が広いから」
そう言って両腕を広げてみせるサツキ。
いつも思うのですが、その大きなお胸、触ってもいい?
揉んでもいい?
「そういうところね。
代わりに揉ませてくれるなら揉んでもいいわよ」
あんたもそういうところ!
っていうか、筋肉が気になるのはサツキじゃないの?
階段を踏み外して恋に落ちました? ~でも道を踏み外すよりいいですよね 藤瀬京祥 @syo-getu
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