05 人身御供と天むす
昔むかし。庄内川の北に位置するこの地域では、水捌けの悪い湿田が多く、梅雨の時期になると毎年のように堤防が決壊して、辺り一帯に大きな被害が出ていたという。
今から五百年と少し前のこと。
洪水被害に頭を悩ませていた村人たちは、旅の陰陽師に助言を求め、次のような指示を受けた。
『十五歳の娘を生贄として、水神に捧げなさい。さすればその怒りは収まるであろう』
そこで十五歳の娘を持つ者たちでくじ引きをしたところ、時の庄屋に当たった。
庄屋の娘は泣く泣く水神の生贄になることを承諾した。
かくして娘は白木の箱に入れられ、生きたまま土手に埋められることとなった。
地上に出された空気抜きの筒からは、七日七晩、娘の鳴らす鐘の音が響いていたとか。
以降は水害もなくなり、村には平和が訪れた。村人たちはこの跡を『十五之塚』と呼び、祠を建てて薬師如来を安置した。
薬師如来は江戸時代中ごろに観音寺へと移され、現在は標柱と親子地蔵があるのみだという。
「それが十五之塚跡だよ。すぐそこの会社の駐車場内にあって、誰でも自由にお参りできるようになっとるの。その会社の社員さんたちが、年明けくらいから次々に病気したり事故したりで、どうにも不幸続きらしくて」
堤防下の広場の脇にあるベンチを陣取って、僕たちは
「霊感のある人が遺跡の周りで黒いモヤを見たってことで、お彼岸前にお寺さんにお経をあげてまったらしいんだけど、それでも治まらんくてあたしのとこに依頼が回ってきたんだわ。モヤを祓って遺跡自体に護りの結界を施したんだけど、肝心の霊の本体がそこに見当たらんくて。ざわついた気配を辿ってきたら、みんながおったってわけ」
「蟹江さんのご自宅がこの辺りだと聞いて、『念』の蔓延る『場』があるとしたら昔の水害関係だろうとアタリを付けてはいた。街の様子は平静そのものだったが、やっぱり遺跡には異変が出とったんだな。この発信源に連動して」
ここへ来るまでに先生が周囲を気にしていたのは、『場』の乱れを探っていたのだろう。
それにしても生贄とは。僕は思わず小さく唸った。
「生贄で災害を食い止めようとするなんて非科学的だし、今の倫理観じゃ到底容認できないですよね。でも昔は神に祈るしかなかったのか……」
「この地方にも生贄の風習はそこそこあったようだ。例えば稲沢市の
「へぇ……」
早口で一息に。先生が生き生きと蘊蓄を語るので、僕は少し引いた。
はだか祭りとは、毎年二月に行われる、この地域では有名な奇祭だ。正式名称は
それがまさか、そんな残虐な儀式だったとは。
「八百万の神がいるこの国では、あらゆるものに精霊や魂が宿るという思想が根付いている。災害が起これば、神なる自然が飢えて生贄を求め猛威を振るっているのだと、当然のように考えられた。当時の人々にとっては疑うべくもない摂理だったんだ」
その当時の社会通念によって、公然と殺された人がいた。
殺される必要性があったのだ。
「今回の件では、水神の生贄にされて死んだ娘が、同様に生き物の骨を埋めた蟹江さんへ怨恨の念を向けているという仮説が立つ。蟹江さんが夢の中で聞いたという『つぼどん』の童歌の意味するところも、どことなく繋がってくるかもな」
神のお告げを運んでくるカラス。湿田の多い地域、狭い殻に閉じ籠らざるを得ないタニシ。
陰陽師の指示で狭い箱に閉じ込められて埋められた娘と、イメージが重なる。
神への供物とされた者は、誰かの彼岸参りをすることも、あるいは一般的な死者に対するように彼岸参りを受けることもないだろう。
「土地に根付いた怨念って、やっぱ強いんかねぇ。お薬師さんが移されたお寺でも毎年供養されとるはずだけど、それでもなかなか鎮まらもんなのかしらん」
「生贄として埋められてから七日間も生きとったって話だろ。その間に募った恨みつらみが大地に溶け込んだのかもしれんな」
僕は首を傾げる。
「人間、飲まず食わずで七日間も生きられるもんですか?」
先生が肩をすくめる。
「どうだろう。空気穴から雨が降り込みゃあ多少は水分摂れるかもしれんけど。もう五百年以上も前の話だで、誇張もある気がするな」
「何にしても生き埋めなんて、怖かったろうにねぇ。まだ十五歳の女の子だよ」
想像しただけで気分が塞いでくる。本人はもちろんのこと、家族や身近な人だって辛かったはずだ。
香奈実先輩は俯く。
「十五之塚の話なら、地域の民話として聞いたことがありましたけど……まさかこんなことになるなんて……ごめんなさい」
「ううん、わざとやったわけじゃないんでしょ。見たとこ、お嬢さんもしばらく体調不良に悩まされとったんじゃない?」
「あ、はい……」
感情が負の方向へ傾いたことで、香奈実先輩を取り巻く『念』がにわかに濃さを増していた。
百花さんはハンドバッグから小さなハッカパイプのようなものを取り出し、軽く吸った。そして香奈実先輩の後頭部付近にふぅっと息を吹きかける。
すると立ちどころに『念』が薄らぎ、先輩の身体が柔らかな護りの気で包まれた。
「ひとまず応急処置ね。これでしばらくは大丈夫なはずだよ」
「えっ……急にすごく楽になりました。苦しい気持ちも、何だかちょっと軽くなった……」
「良かったぁ。一連の件の因果関係は目星付いたもんで、後はあたしらで解決するわ。もう大丈夫よ。気を楽にしやぁね」
甘く優しい微笑み。ふんわり落ち着いた色気に、香奈実先輩はぽうっと頬を染めた。
百花さんは異能調香師だ。僕が気を弾いて『念』を散らしたのとは比べものにならないほど安定した術。ぜんぜん格が違った。
先生が凛々しい表情を作る。
「ここからは我々で直接出向いて確認してきます。蟹江さんはこのまま安全な場所でお待ちください」
「え? 出向くって?」
「原因となる霊と接触するため、相手の領域に近いところへ行くんです」
「えぇ……?」
百花さんが、ぱん、と一つ手を叩く。
「よし、あっちへ行く前にこっちのものをお腹に入れとこうね。自分の
この業界ではもはや常識と言っていい。謂わば
今回、百花さんが手に提げていたビニール袋から取り出したのは。
「ほら、今日は天むすがあるよ」
「天むす」
「五個入りだで、一個余るやつは服部くんにあげる」
「ありがとうございます、でもちょっと待ってください。さすがになんで天むす持ち歩いとるんですか百花さん」
突っ込まずにはいられなかった。
「依頼者さんがお昼にどうぞって用意してくれとったの。きっと気を遣って
天むすとは、海老の天ぷらを具にした小ぶりのおにぎりのことだ。手提げのビニールには有名店『じらいや』の文字。発祥は三重県らしいけれど、今や名古屋名物の一つとして数えられる。
しかし。
「僕、天むすって初めて食べるかもしれません」
「私も一回くらいしか食べたことないかも」
「まぁ、わざわざ買ってこない限りあんまし食う機会ないよな、実際」
「あたしも、こうやってお土産でいただくくらいかなぁ。前に商店街の寄り合いのお弁当で出たことはあったけどね」
そんなわけで、僕は人生初の天むすを齧った。
絶妙な塩味。おにぎりから顔を覗かせる天ぷらは、衣にもしっかり味が染みて香ばしい。海老は弾力があり、ごはんの甘みとよく合った。可愛らしい見た目とも相まって、上品な味わいだ。
「美味いな」
「美味いですね」
「冷えても美味しい」
「すごく美味しいです」
さすが名物と言われるだけはある。
しかし小さい。二つめもありがたくいただいたけれど、これならどれだけでも食べられそうだ。
全員が天むすをすっかり平らげたところで、先生が言った。
「さぁ、そろそろ扉を開こうか」
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