04 神の使いと犬の骨
翌日は晴天で、割と暖かかった。
約束した午後二時前に、僕と
初めて訪れる駅のホームに降り立てば、当然ながら景色のどこにも見覚えがなく、胸のざわめきがいっそう大きくなった。
勝川駅のある春日井市は、名古屋市の北に位置する。樹神探偵事務所の最寄りである金山からは、JR中央本線で十五分程度だ。
JRは乗り慣れない。普段はほとんど名古屋市内ばかりを移動しているから、だいたい地下鉄と
そう、落ち着かないのはJRのせいだ。そういうことにした。
「服部少年、なんかそわそわしとることない?」
「……いえ」
妙なとこ鋭いな。
正直に言えば、昨夜あまりよく眠れなかった。依頼人が僕の紹介した相手だというだけで変に緊張するなんて、陰キャが過ぎる。
改札口を出たところで、香奈実先輩が待っていた。昨日と同じピンクベージュのコート姿で、今日は髪を下ろしている。
そしてやはり、今も『念』が纏わり付いていた。
「すみません、わざわざこんなところまで来ていただいて」
「とんでもない。怪異は『場』に紐付くことが多いので、どこへでも足を伸ばしますよ」
香奈実先輩の案内で、駅舎を出て南下する。
商業ビルやビジネスホテルの建ち並ぶ区画は、道が広々として清潔な印象だ。人影も
ぴしりとしたスリーピーススーツの先生とラフな普段着の僕が並んでいても、取り立てて浮く感じはない。
少し歩けば、すぐに住宅街に入る。新しめの大きい家やマンションが多い。保育園や子育て支援施設などもある。主にファミリー層が暮らす、名古屋のベッドタウンなのだ。
一見すれば、怪異とは縁のなさそうな街ではある。
小さな川を一つ渡る。
どこかからか、カァ、とカラスの鳴き声がした。見上げれば、雲一つない空を黒い鳥が横切っていく。
カラス。
「先生、カラスってタニシをつっつくんですか?」
「あぁ、例の童歌の? 他に何も食べるもんが無けや、つっつくんじゃない? 昔は田んぼも多かったわけだし、稲穂を狙って来とっただろうね」
香奈実先輩が視線を下げる。
「カラスって、ちょっと不吉なイメージですよね」
「確かに、縁起が悪いと捉える方も多いです。しかし魔女の使いのようなマイナスイメージは、どちらかというと西洋文化の影響ですね。日本神話や古事記においては、カラスは神の使いなんですよ」
「えっ、そうなんですか?」
「
「あぁ、何となく……前に熊野古道へ旅行に行った時、神社で見たと思います」
「うん、まさしくそれです」
ふと、一つの考えが僕の頭に浮かぶ。
「じゃあ、あの歌。タニシがカラスのせいでお彼岸参りに行けないのは、それが神の思し召しだからってことあります?」
「『カラスが突く』を『神のお告げ』と捉えるわけか。なるほど、面白い解釈だ。神がタニシに、殻の中に閉じ籠るよう示唆していると」
「でも、だとしてもそれが先輩の夢に出てくる理由はよく分かりませんね」
「それを今から調べるんだ」
僕たちのやりとりを聞いていた香奈実先輩が、目を丸くしている。
「昨日も思ったけど、服部くんって結構喋るんだね」
「えっ⁈ そ、そんなことないですよ」
「いつも静かだから、ちょっと意外かも。でも博識な感じでいいと思う。部活でももっと喋ったらいいのに」
「えっ、あっ、はい……」
かぁっと頬に熱が上るのが分かった。
こういう時、どうしたらいいんだろう。
『樹神探偵事務所の助手』なのか、『弓道部の一年生』なのか、どちらのポジションを取るのが正解なんだろう。
大学でのぼっちな様子を先生に知られたのも、何となく恥ずかしい。
ちらりと隣を窺えば、先生はなぜか周囲に視線を巡らせて何かを考え込んでいた。
「先生?」
「……いや、何でもない」
香奈実先輩が前方を指さした。
「あぁ、あそこです。庄内川の堤防」
住宅街を抜け、いくつかの会社だか工場だかを行き過ぎ、小高い土手を登れば、急に視界が開ける。
そこそこ幅の広い川。
堤防の一番高いところを走る県道を渡れば、雑草に囲まれた小径が延々続いている。
「この道を散歩してたんです。朝早い時間は気持ちいいんですよ。冬場なんか、朝焼けが綺麗で……ここから見る景色が好きでした」
感傷の混じった香奈実先輩の声。
しかしその一方で、僕はどことなく肌の粟立つような居心地の悪さを感じる。
「先生……」
「あぁ、何かあるな」
「えっ、何かって?」
きょろきょろする香奈実先輩を取り巻く『念』が、濃さを増していた。それと同質の何かが、確かに辺りを漂っている。
「う……」
「先輩、大丈夫ですか?」
「なんか、急に頭痛が……」
僕は清浄な気の流れを捉えて、ぱちんと指を鳴らす。するとわずかに『念』が散った。でも、ほんの気休め程度だ。散った端から見る間に復活してしまう。
先生が唸る。
「『念』の出どこが近くにあるな。服部少年、探せるか」
「はい」
僕は感覚の回線を開き、『念』の湧き出る場所を探った。
それほど遠くない。小径を進む。嫌な気配を色濃く感知できる地点へと、まっすぐに近づいていく。
「あぁ、あれですね」
そこは、なんてことのない土手の斜面だった。
堤防の歩道から、川べりへと下る途中の坂。
雑草が自生する中、明らかに別の種類の植物がそこだけ固まって生えていて。
ちらほらと蕾を付けた、本来ならば生の気を発していてもいいはずのその根元から、重い負の『念』がこんこんと湧いていた。
「これはなかなかですね……」
「何かヤバい呪物でも埋まっとるのかもな」
しかし。
「あぁ、ここって……まさか……」
「蟹江さん、やはり何か心当たりでも?」
「あ、あの、私……」
香奈実先輩は口元を押さえ、蒼ざめた顔で言った。
「私、ここにハルの……死んだ犬の骨を埋めました。花の種と一緒に」
ぞくり、と。吹き抜けていった風が背筋を冷やす。
「昨日あなたが、童歌でメッセージを送っているのが人ではなくワンちゃんだと考えたこと、少し気になってはいました……ここに骨を埋めた理由をお伺いしても?」
「あ、あの、骨って言っても一部だけですし、ちゃんと霊園で焼いてもらったのを粉々にしたもので……ほんと、単に土に混ぜたみたいな感じなんですけど」
曰く。
ハルは散歩の好きな子で……
でもヘルニアがあっという間に進行して……最後はぜんぜん外にも行けなくて……
ここならいつでも大好きな散歩に行けるんじゃないかって……
震えた声で切れ切れに語る香奈実先輩は、今にも泣き出しそうだった。
「動物の骨とか、やっぱりこんなとこに埋めるの駄目ですよね……」
「法的なことを言えば、ペットの散骨に関して規定した法律や法令はなかったはずです。公の場所なので配慮は必要ですが、これによって罰せられることはないでしょう」
「はい……」
香奈実先輩は俯いたまま続ける。
「『花咲かじいさん』ってあるじゃないですか。ハルが死んだのは真冬で、ここも草が枯れてて寂しかったんで……春生まれの子だから、春になったら綺麗な花が咲いたらいいなって……まさかハルが私を恨んでるなんて、思いませんでした。却って寂しい思いをさせちゃったのかな……」
「いや、その可能性は低いと思います。ハルちゃんは例の歌を知らなかったはずだ。飼い主のあなたでさえ知らない歌なんですから」
先生はきっぱりと言い切る。
「思うに、この場所で犬の骨を埋める行為をしたことに原因があると、私は考えます」
どういうことなのか。
「今、『花咲かじいさん』と仰いましたね。あの話は、昔の生贄の風習を元にしているという解釈があるんです」
「生贄……?」
誰もが知る昔話だ。
「ここ掘れワンワン」と犬の示した地面を掘ると、正直じいさんの時には金銀財宝が、意地悪じいさんの時には虫や汚物が出た。
怒った意地悪じいさんは犬を殺し、哀しんだ正直じいさんは犬を火葬してその灰を撒いた。「枯れ木に花を咲かせましょう」と。
「犬を殺し、それを燃やした灰によって、枯れ木に花が咲いた。つまり犬の命と引き換えるように、自然が再生した。生贄に望まれる役割と同じだ。無垢な命を神に捧げることで大自然の恩恵を受ける、あるいは飢饉や災害を止めようとする行為は、かつて日本各地で行われていました。だから犬を殺した『意地悪じいさん』について、敢えて『隣のじいさん』のように悪性を付与しない表記を選んでいる著者もいます」
古い時代の風習において、それは是とされる行為だったのだ。
「枯れた大地に、小さな生き物の骨。埋葬ならば、手を合わせて拝むこともしたはずだ。ここは彼岸と
その時だった。
「あれ?
土手の上から柔らかなトーンの声が降ってきた。
そこにいたのは、淡い菫色の着物に身を包んだ、柔らかで芳しい気を纏う妙齢の美人。
「
先生のハトコで同業者の、よく見知った女性だ。僕にとっては先生に次いで身近な大人でもある。
「こんなとこで奇遇だねぇ、仕事?」
「そうだよ、百花さんも?」
「うん。あたしは、すぐあそこのね」
百花さんは自分の斜め後ろを指して言った。
「十五之塚跡、あるでしょ。そこの気が乱れとるもんで、依頼を受けて調べに来たの」
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