無防備さと振り返り、或いは二度目の後朝について

熊坂藤茉

気遣いしすぎて手を尽くしたのは我ながらちょっとどうかと思う

「やはり筋肉の付き方が全然違うな。僕だってしっかり三食食べている方なんだが」

 俺の二の腕をぐにぐにと押す、細いなりに節くれ立っている長い指。視界の端で動くそれを見て、「ああ、この人ちゃんと男だ」と若干現実逃避気味に思考を回している。


「……あ、あの……」

「体質か? 基礎代謝がそもそも違うからか? 後はもう遺伝的要因しか考えられないけれど、流石にゲノム情報を安易に弄れるような技術力は現代科学を以てしても不可能だしな……」

 するりと筋繊維をなぞるような指使いに、ぞくりと色々な感覚が泡立った。どこどなく悔しそうでいて艶めいたものを帯びたその声色も、数時間前の出来事をぼんやりと思い起こさせる。――触れられている箇所が酷く熱く感じられるのは、俺の気の所為なのだろうか。


「あの、先輩ちょっと」

 とはいえこれ以上は本当に。本当に俺の身が持たないというか色々な色々がやばいのでストップを掛け――


「無難に基礎代謝を上げるのが先決か。幸い続けても良いと思える程度に心地よい〝運動〟の目処は付い」

「先輩今なんか一気にぎゅいんて凄い不穏な方向に独り言の舵切りませんでした!? 切りましたよね!?」

 その運動って何ですか心当たりがないって言い切れないのが怖すぎるんすけど! そういうアレ!? まさかそういうアレなのか!?


 あまりの不穏さに間近で悲鳴染みた声を上げれば、きょとんとした顔がこちらを向いた。


「ん、何だ全部口から出ていたか」

「びっくりするくらい全部丸ごとぺらっぺら言ってましたよ秘する気無いにも程があるッスが!?」

 ふふりと綻ぶように笑うそのサマは、性別問わずぐらりと揺さ振られそうな何かが入り交じっていて。いや、だからホントまずいって落ち着け今すぐ冷静になれ。


「ていうか! ていうかこれ言うの二度目なんですけど!」

「うん」

 あ、そういう凄い素直な返しちょっと幼さがあって可愛くてきゅんてする。いやときめいてる場合じゃねえんだよ。


「目の毒なんでホントに後生だから服着て下さい! 今回はちゃんと買ってあるんスけど!?」

「今の僕は主にお前の所為で全身筋肉痛で袖を通すのも億劫なんだが」

 あまりにも楽しげに「ほらこことかまた噛み跡あるぞ。前もそうだがそんなに噛みやすいのか? それとも風味が違うとか?」なんて言い放たれて、恥ずかしさの余りに両手で顔を覆い始めるしかない。


「マジで勘弁して欲しいッス……むり……」

「お前は今回もそう言うが、僕にも言い分はあるしなあ。内心の自由は僕の物だろう?」

「周りに影響出てるから内心で済んでないんスよホント自覚して先輩……」

 先輩は「表に出さずに本人の中で想うだけなら問題ないだろう」って思考が基本の人だけど。それは分かってるんだけど。滲み出てるんですよ、なんかこう、そこはかとなくえっちな雰囲気が……!


「けどなあ、そうは言われても」

 ぽりぽりと頬を掻きながら、俺が用意した服をちょいと指先で摘まみ上げる。

「サイズが自分と微妙に違う服を事前に買ってある時点で二度目に関しては衝動的でも何でもないという状況証拠が積み上がるし、何を言っても言い訳にしかならないと僕は思うが?」


 どことなく嬉しげに上がった口角と、ひらひらと服を揺らしながら無慈悲に紡がれるその言葉。


「…………い、いいわけしないよりはましなんじゃないかなっていうのは」

「そこについては着眼点の相違だろうなあ。僕はたとえ言い訳だろうと相手に対して必死に言葉を尽くそうとするその姿勢は評価したいと思うし、尽くした内容によっては実際に評価するつもりだが」

 先輩がふるふると小刻みに腕を振るわせながら――多分コレ筋肉痛だよなすいません――こちらに向けて来たので、そのままするりと袖を通してやる。よかった、丁度いいサイズを選べていたし、濃いめの色だから肌も隠れて何とかなりそうだ。その流れで反対側も通してやれば、上は何とか隠れてくれた。下の方はまだ色々無理なので見なかった事にする。した。


「流石にぬくもりが消えて肌寒かったからな、助かる。

で、だ。事実ベースだとお前のやった事は『先日衝動的に関係を持った相手からこんこんと説教もどきの告白で殴り付けられたので今回その意趣返しで押し倒して事に及んだし最初から完全にその気だったから事前の準備もしっかりしていた』に見えなくもな」

「わーわーわーわーわー!」

「大体先日の事だって僕は気にしていない、というかある意味嬉しかったんだがな」

「へ」

「……まさか、あれだけ話したのに馬耳東風だったのか?」

「あー……」

「馬耳東風だったんだな」

 咎めるような視線が痛い。つーかこの人にそういう目で見られるの大分キツいな?

「……というか、恥ずかしくて耐えられなかったが正確、で……」

 俺、褒め殺しってああいうのを言うんだと思うなあ。そうやって微妙に目を逸らした俺に、はあ、と溜息を吐く先輩というこの状況。どうしたって、先日のそれを彷彿とさせる。


「――『自分の好きを自分なりの意志で抱えてずっと大切にしている先輩の、そういう真摯で真っ直ぐな所がどんな人よりも好きなのに、その大好きな先輩が全然報われない。俺だったら、先輩の事めちゃめちゃ大事にするのに』――だったか」


 そうだ、あの日は先輩の好きな人――曰く、とっくに失恋しているけど絶賛片想い中――の近況を嬉しそうに聞かされて、酒も入ってた所為で俺はそんな風に口走った。

 こんなに誰かを大切に想える人なのに。こんなに大事なモノを慈しんで愛する優しさと芯の強さがある人なのに。

 なのに、いつも少しだけ。困った顔で笑うんだ。

 あの日の俺はそういう意味で、きっと限界だったんだろう。


「まあ大事にすると言ったその口で痕やら跡を付けに掛かるのは新手のジョークかと思ったが。ああもう思い出したからってまた土下座をするんじゃないぞ。大体それについては三周回って僕も爆笑していただろう?」

 くすくすと笑う先輩の声に、自然と謝り倒す為の姿勢を取ろうとしていたことに気付いてしまう。いや、だって好きな人がいるって明確に言ってる相手に手を出すの普通に駄目だし……そもそも突発的だったから時間の掛け方考えると痛かったと思うし……。


「僕達が今後どう着地するかについては一考も二考も余地があるだろうから先々の課題にするとして。さて、可愛い僕の後輩に頼み事だ」

「はひ」

 急に話を振られて裏返る俺の声に、先輩はころころ笑う。……困ったみたいな笑い方よりも、こっちの方が好きだなあ。性別問わず好かれる人って、こういう所なのかもしれないと、なんとはなしにそう思った。


「……冗談抜きで僕向き筋トレメニューを考えて監督してくれないだろうか。あらぬ所とかでなくきっちり全身痛いのは、流石にそういう事とは関係なく死活問題だから、な……?」

 困ったような笑顔――でも、いつもとどことなく違う何かを帯びたそれ――を浮かべる先輩に、俺はつい思わずぽろりと零す。零してしまう。――零して、しまった。


「やばい、先輩めちゃめちゃ大好き」


 ――そこから先は不意打ちで真っ赤に固まった先輩を何とか落ち着け、一緒に筋トレその他の予定を考えるので必死すぎて、着地点については棚上げになったということだけ記しておこう。


 ……先輩、ないわけじゃないのに全部触った結果びっくりするくらい付きにくかったのが発覚したもんな、筋肉……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

無防備さと振り返り、或いは二度目の後朝について 熊坂藤茉 @tohma_k

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ