心の筋肉を付けるという名のメンタルタフネス

あおいたくと

心の筋肉を付けるという名のメンタルタフネス

心の筋肉、という言葉を最近聴く機会が増えた。


いやどこでだよ、って言われそうだけど、一部の界隈では聞いたりするんだよ。


と、書きつつ、いやあるよねと思いながら念のためググったら、レジリエンスを心の筋肉と呼んでいる検索結果が出てきた。うんうんこれこれ。こういうのこういうの。


レジリエンスとは折れない心。ただ、折れないようにバッキバキに硬くなっているわけでもなく、柔軟でしなやかな感じ。まさに筋肉みたいな感じ。


年中自己肯定感が高い後輩に昔遭遇したことがあるけれど、僕は結構自己肯定感が低かったように思う。


どこかで負のループを感じているような時期も長らくあったし、どこかでわざわざ過去の苦しい気持ちを思い出してうじうじしていることもあった。それをする必要があるのか?と言われると、あれ?ってなるのだけれど、意外と負のループを感じたいときにそれを否定することは難しい。


そこからひょんなことから心の筋肉に向き合うことになった。


いろんな言葉や声を吸収しているうちに、どんどん心の筋肉がついていった。


いろんな言葉や声を世に発しているうちに、どんどん心の筋肉がついていった。


だいたい同じような思考回路ではあるのだけれど、切り替えポイントで少しずつ変化を加えながら、自己肯定感は低いままでも心の筋肉は付いていっている気がしている。


心の筋肉が付き始める第一歩としては、「心の筋肉が付いてないことを認める」ことのようには感じている。


ふにゃふにゃと、他人に何を言われるだろうとびくびくしながらコミュニーケーションを取っているときって、正直心の筋肉はない。


完全防備で鉄壁に硬いというのとも逆で、ノーガードで切り込み過ぎてしょぼんとしてしまっている筋肉状態の心。


ただ、それを隠して人前に出ようとすると、やっぱりどこかでしんどくなるのだ。


いっそ割り切って心の筋肉不足を認めた途端に、ありのままからどう心の筋肉不足を解消していくかが見えたりする。


それは疲労困憊からだったりもするし、それなら少しでも休む時間を取る必要があり。


人を信じて裏切られ、筋肉がゴリッと傷付けられていたなら、やっぱりどこかで信じられる人や言葉を少しずつ探していく必要があり。


疲れ切ってる中で頑張るのがやりがいある、とか、もう誰も信じられない!ってドラマのヒロインみたいに言ってみても、そのままそこに浸りきっているわけにもいかない。


ドラマのヒロインも、そのまま誰も信じられないままでいるかしら?疲れ切ってる中でも現状を変えてやるー!って奮闘しないかしら?ってところでもある。


ただ、それはいざ自分ごとになると忘れがちだったりするのだ。


知らずしらずのうちに、悲劇のヒロインを演じてしまっていることもあったりする。


まずは心の筋肉を付けて、0.1ミリから上を向いて変えていこう。


誰の人生も、ハッピーエンドを目指して進む権利があるから。

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