浮気なんてしてません!

カウベリー

浮気なんてしてません!

「瑠々、話があるんだけど」

 そう言って真剣な表情をする恋人、ヨミに私は驚くこともなく「何?」と告げた。その対応にいささか不満そうな彼は、とにかくこっちに来て欲しいと私を手招きする。仕方が無いので彼の言う通り、私は飲みかけのコーヒーを持ってダイニングテーブルに向かった。

「ヨミもなにか飲む?」

「いや、俺はいい」 

 ヨミの対面に座るとなんだか深刻そうな表情で手を組み、考え込んでいる。対して私はと言えば彼が話を切り出すまで、手持ち無沙汰なので今日の夕ご飯に食べたいものについて考えていた。

「瑠々」

「はいはい」

 ようやく彼の中で考えが纏まったようで、真剣な表情と共に名前を呼ばれた。

「なにか、俺に言うことは無いか?」

「夕飯カツカレーが良いんだけどどう?」

「いやそういうことではなく」

 まあ、そうだろうとは思っていたが一応言うだけ言ってみただけだ。

「そういう日常的なことではなくて、もっと恋人として言っておくべきこととか」

「好きだよ、ヨミ。愛してる」

「……嬉しいがそういうことでもなくてだな」

 ヨミが顔を真っ赤にしている。言うと拗ねてしまうので口には出さないが、こういうところがヨミは可愛い。

 空気を切り替えるようにヨミがゴホンと咳払いをした。そろそろ真面目に答えないと怒られてしまいそうだ。

「瑠々」

「はい」

「単刀直入に言う。浮気、してないか?」

 浮気。その言葉に私は少し考えてから首を横に振った。しかし、彼はその考えている間が気に食わなかったらしい。

「どうしてすぐに否定しなかったんだ? 心当たりがあるのか?」

「ない。ないけど、以前ヨミに通行人とぶつかっただけで『浮気だ!』と言われたことがあったから、その基準なのかどうかを考えていただけだ」

「ぐっ……あの頃は俺も若かったんだ。もちろん、今回はそうでは無い。俺という恋人がいるのに、他の奴に心を向けていないかという事だ」

「なら、尚更無いね。というか、そもそもどうしてそんなことを言い出したんだ」

「それは……」

 何故浮気を疑うのか? それを聞いた途端にそれまで饒舌だったヨミが急にモゴモゴと口ごもる。どうしても言わなきゃダメか、と目だけで訴えてきたので同じく目だけで言えと命令した。

「会社の防犯カメラをハッキングして見てた」

「またやったのかお前!」

 ヨミを叱ると彼の肩が萎縮する。あろうことかこの男、ただただ仕事中の私の姿が見たいからという理由だけで防犯カメラのハッキングを行っているのだ。しかも一回や二回ではない、常習犯である。

「あのな、いくらお前がからってやっていい事と悪いことがあるの! またヨウスケさん泣かせる気か!?」

「だ、大丈夫だ。ちゃんとバレないようにやってる」

「そういう問題じゃないだろうが!」

 全く、油断も隙もない男だ。とりあえずこの事については後で叱るとして、ひとまず浮気のことについて話さねば。

「それで? ヨミは私の会社でのどんな行動を見て浮気だと思ったわけ?」

「う、うん。それはだな」

 そう言うと彼は私が浮気してると思った場面が三つあると言った。当然だが、私は会社に仕事をしに行ってるのでそんな事をしている暇は無い。私はヨミの話の続きを促した。

「まず1つ目なんだが、時間は午前十時頃のことだな」

 午前十時、会社に出社してメールを確認してひと段落着いたくらいの時間だ。

「その時の瑠々は確か自販機で飲み物を買っていたな。コーヒー牛乳のやつ」

「となると一昨日かな。昨日は普通にコーヒー買ったし」

「うむ。そして、コーヒー牛乳を買った瑠々はあろうことか、見知らぬ男性に優しい笑みを向けていた! 決して愛想笑いではない、あれは心の底から愛しているという顔だった」

 そう言われて思い返してみるが記憶が無い。だが、ここで記憶にございませんなどと言ったところで、汚職をした政治家のように問い詰められるだけだろう。

「……ヨミ、因みになんだけど」

「うん?」

「その男性ってどんな人だった?」

 そう言うとヨミは不思議そうな顔をしながらも答えてくれる。

「確か、背は瑠々よりも高くて」

「うん」

「服は赤くて」

「うん」

「髪は短くてスポーツ刈り」

 ふむ、今までの情報だと当てはまるのは田嶋か野澤だが、一昨日は二人とも会議に次ぐ会議で忙しかったため、自販機で飲み物を買う予定すらなかったはずだ。

「それから眼鏡かけてて」

「ふむ」

 と、なると田嶋でもないな。うーん、やっぱり野澤なのか?

「頭から血を流していて」

「うん?」

「顔色が真っ白でずっと空を見ながら口をパクパクさせてた人」

「いや誰だよ!」

 というか完全に生きてないだろソイツ!

「だ、誰って瑠々、名前も知らない人にあんな笑みを」

「いや絶対にソイツへの笑みじゃないから! どう考えても幽霊か何かの類だよそれは!」

 私は懇々とヨミに説明をした。幽霊なんて普通の人間は見えないんだからソイツに微笑みかけるなんてしないこと、そういえば自販機の横に放火防止ポスターがあって、そこに写っていた猫の写真が可愛かったから思わずニコニコしてしまったこと。それらを話し終えるとヨミはようやく納得したようだった。

「確かに、男と瑠々の目線が合ってないから不思議だとは思っていたんだ」

「お前な、もっと早く気づいてくれよ。後、死にかけてる奴をそのまま放置するほど私は薄情じゃないわ」

「うん。誤解していたようですまなかった。だが、まだ後二つあるのだ。今度こそは生きてるものだ」

「本当かなぁ……」

「本当だ。確かさっきと同じ一昨日で、時間は午後三時。瑠々がおやつにチョコレートを食べてながら仕事をしていた時のことだ。瑠々は佐々木という女性の同僚と一緒に企画書の打ち合わせをしていたな」

「ああ、それは記憶にあるな」

「そんな時、窓の外から瑠々をじっと見つめている男がいたんだ。アイツが勝手に瑠々に想いを抱いている可能性もあるが、もし二人がただならぬ仲なのかと思うと俺は心配で」

「……うん、ヨミ。あのな、私と佐々木が企画打ち合わせをしていたのはビルの何階だ?」

「十階」

「その男は何かロープでぶら下がってたり、ゴンドラに乗っていたりしたか?」

「いや、普通に着の身着のままだったが」

「じゃあソイツも幽霊じゃん! 普通の人間は十階の窓から中にいる人間を覗き見たり出来ないの!」

「ま、まて! だがソイツは確かに生きていたぞ! その後足か手を滑らせて落下し、アスファルトに頭を打ち付けてしばらく動かなくなっていた」

「え」

「まあ十数分もしたら何事もなく起き上って去っていったんだが」

「バケモンじゃん! ビルの十階から落ちて頭を打ち付けた後に普通に歩けるのは紛れもなくバケモンだよ!」

 急に怪物が自分を見ていたことを知らされて、思わず鳥肌が立つ。するとそれを見たヨミがハッと何か気づいたような顔をした。

「……ごめん、瑠々。怖いよな」

「え? あ、ああ。そりゃまあ、あんなこと言われたらね」

「知らない男に見つめられてたなんて気味が悪いよな。なのに、勝手に浮気を疑ったりしてすまない」

「そっち!? いやそれはそうなんだけど他にもっと考慮すべき点があるだろ!」

「もう二度とあんな奴近づかせないようにするからな。あんなタコみたいな手足してやがって……!」

「人型ですらないの!? 逆によく男だってわかったな……」

「吸盤が大きくて並びがバラバラだったからな」

「タコみたいじゃなくてタコなのソイツ?」

 最早浮気がどうのこうのというレベルではなくなってきたが、ここで話が脱線してしまうとまた後で何か言われそうなのでグッと気持ちを堪える。いったん落ち着くためにコーヒーに口を付けて飲む。うん、大分落ち着いてきた。

「それで、最後は何なの? 天使か悪魔でも見えた?」

「いや、最後のはちゃんと人間だ。瑠々の後輩の茂木という男だ」

「茂木? ……あー」

 なるほど、大体ヨミの言いたいことは分かった。が、万が一違った時のことを考えて口は挟まないでおく。

「彼は他の女性に対しても親しげだが、瑠々に対しては特にそうだ。一昨日は事あるごとに何やら二人で楽しげに会話してたし、昨日なんかは会社帰りに二人で化粧品店に行っていたじゃないか。これは、これは浮気になるだろう!」

 鬼気迫った表情でそう告げるヨミ。そんな彼に私は落ち着くように言ってから、スマホを取り出した。

「まず、茂木とはお前が思っているような関係じゃない。その証拠に今から妹と電話する。いいな?」

「……よく分からんが、俺の目の前でするなら構わん」

 了承を得られたのでテーブルにスマホを置き、妹に電話をかける。ルミにも聞こえやすいようにスピーカーモードにしたところで、スピーカーから妹の『もしもし』という声が聞こえた。

「もしもし、瑠々だけど今大丈夫?」

『うん、こっちは大丈夫だけど』

「良かった。じゃあ茂木についてアンタの口からヨミに説明してくれる?」

『あー、なるほどね。おーけーおーけー』

 妹は合点がいったようで、彼についてそれはそれは楽しそうに語り始めた。

『ヨミさーん。多分お姉ちゃんの浮気を疑ってるかもしれないんですけど、それは無いです! だってモーくん、茂木丑寅は私の彼ぴっぴなので』

「まて、彼ぴっぴとは何だ」

『彼氏ってことです。モーくん、私の誕生日が近いからってお姉ちゃんに誕生日プレゼントの相談をしてたらしいんですよ。だから一緒に話してたり買い物行ったりしてたんです。このことは私も了承済みですよー』

「だ、だが、もしかしたら二人で」

『は? 私とモーくんの仲疑うんですか? いくらヨミさんでも許せないんですけど』

「す、すまない。そういう訳じゃないんだが」

 おお、あのヨミが押されている。やっぱりウチの妹は恋人の事となると無敵だな。まあその分ヘラりやすくもあるけど。

『ってことでモーくんとお姉ちゃんに関しては浮気なんて絶対絶対ないと思います! 買い物行った日もちゃんとまっすぐ帰ってきてくれたし、スマホチェックしたけど変な連絡とかも入ってなかったし』

「う、ううむ……そうか」

『てかさ、お姉ちゃんもちゃんとヨミさんに連絡しておけば良かったのに。そうすればこんなふうに疑われることも無いんだよー?』

「少し後輩と買い物するってことは伝えていた。というか、ヨミは既に茂木が妹と付き合ってることを知ってるかと思っていた」

『しょうがないよ。ヨミさんお姉ちゃんのことに関しては恋愛レーダー敏感だけど、それ以外の事に関してはポンコツじゃん。私もわざわざ話さなかったしね』

「私の事でもポンコツだぞ」

『まあ、そういう訳で誤解は解けたかな? じゃあそろそろモーくんの定期連絡来る時間だから切るね』

「ああ、急に悪かったな。ありがとう」

『ううん。ヨミさんも大丈夫ですかー?』

「あ、ああ。事情は分かったよ。ありがとう」

『はーい。じゃ、二人ともラブラブにねー』

 ツーツーとスマホの画面に通話終了の文字が出る。私が改めてヨミの方に向き直ると、彼はバツの悪そうな顔をしていた。

「と、いう訳で私が浮気をしていないってことが分かったかな」

「うむ」

「私がヨミを心の底から愛していて、他の奴らに心を向ける気なんて太陽が西から昇るくらいありえないということも分かっているか? 分からないならこれから言葉を尽くして理解さわからせてやるから遠慮なく言ってくれ」

「う、うん。十分に分かった」

「なら、よろしい」

 どうやらこれで奴の誤解は完全に解けたようだ。安心してコーヒーを啜るが、うちの会社に幽霊やらバケモノやらがいるということを思い出してやっぱりやめた。何がどういうことなのかさっぱりわからないが、アイツらを何とかしなければいけない。そうでないとおちおち出社も出来ないだろう。

「ところでヨミ、お前が見た幽霊やらバケモノなんだが」

「ああ、アイツらならもういないぞ。安心しろ」

 俺が食ったからな。そう言ってヨミが口を大きく開けると、その奥からガラスを爪でひっかいたような嫌な音がする。けど、その音は紛れもないなにかの声だった。

「たすけて」「いや」「とけちゃうよぉ」「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」「いたい!」「あ」「しにたくない」「たすけて」「たすけて」「たすけて」

「な? 茂木は人間だからと思って食わなかったんだが、アイツらは別にいなくなっても誰も困らないしな。昨日のうちに食べておいた。だから瑠々は安心して仕事に向かうといい」

 ヨミが口を閉じると同時に、その声は消えてなくなった。私は、一旦目頭を揉み、深く深くため息を吐いた後、ヨミの頭を軽くはたいた。

「行儀が悪い」

「む、そうか。すまん」

 多分、普通の人であれば気味悪がったり怯えるなりしていたことだろう。だがこちとらヨミの恋人である。急に分裂したり瞬間移動したり液体状になったりする男の恋人なのだ。こんなことでいちいち騒いでいてはキリがない。

「何度も言うけど思いつめる前に私に相談しろよ。大抵はお前の杞憂なんだから」

「分かっている。ところで瑠々、今日の夕飯についてなんだが」

「カツカレーか?」

「せっかく食べたいと言っていたしな。ただ、材料がないから一緒に買いに行かないか」

「勿論。ああ、ついでに電池も買わなきゃだ。単三がもうない」

「分かった」

 それにヨミの作るご飯はとても美味しいのだから、こいつが何者であろうと夕飯のカツカレーに比べたらどうでもいいことなのである。

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