第25話 ルイーズのこれから



 以前店主に教えてもらった休憩場でクレプアンを食べながら、ルイーズはぼんやりと考えた。


(うーん。ルゥって、結局どっちにもなれないんだろうなぁ)


 人と悪魔。両方の血を持つ、禁忌の子ども。

 そのうえ、ルイーズのなかには前世の自分がいる。何者かもわからない、自分である〝誰か〟の記憶が、欠片のように前世の記憶が散りばめられている。


(ルゥは、ルゥだけど……でも、ときどきわかんなくなるよ)


 どうあればいいのか。どうあるべきなのか。どうあらなければならないのか。

 答えの出ない疑問だ。きっと、一生。

 人であることも、悪魔であることもできない。

 前世の記憶がなくなれば、いまのルイーズですら保てなくなるかもしれない。

 直視したくない現実だが、ふと我に返ってしまうと、だめだった。

 足元があやふやで。

 どこに立っているのか、どこに向かっているのか、わからなくなって。


「わっ、ルゥ! たれてる! たれてるっ!」


 ぼーっとしていたのがいけなかったのだろう。

 隣に座っていたリュカの叫び声にハッとしたルイーズは、目を瞬かせた。

 その瞬間、ポタッ、と花蜜とはちがうものが膝に落ちる。


「え、ルゥ……?」


「「姫さま!?」」


「どうした」


「ルイーズさま?」


 リュカ、従者たち、グウェナエル、エヴラールの声が続く。

 その声はどれも困惑していたが、一番戸惑っていたのはルイーズ自身だった。


(なんで、ルゥ、泣いてる?)


 わけもわからないまま、ぽたぽたと流れていく涙の雫を見下ろした。

 止まる気配はない。喉の奥が痛いほど締めつけられて、ただ胸が苦しかった。


「ルイーズ」


 グウェナエルが立ち上がり、ルイーズを抱き上げた。


「なにを考えてた?」


「あ……ちが、ルゥ……ちがくて、だって、ルゥは……」


 ──いつまでここにいることが許されるのだろう、なんて。

 そんな贅沢な悩みを抱いてしまった自分に驚きながら、ルイーズはふるふると首を横に振ってグウェナエルの肩に顔をうずめた。


「うれし、かったの……っ! みんな、いっしょ、で……っ」


「ああ」


「でも、でも、ルゥは、ちがうって……みんなとは、ちが、うんだって……っ」


 そう遠くない未来、この幸せな空間からルイーズだけ消えてしまうのではないかと。

 そんな想像が頭のなかによぎってしまったら、だめだった。


「ああぁぁぁぁ……っ」


 いよいよ涙が止まらなくなってしまい、ルイーズは衝動のまま泣いた。

 母のミラベルが命を散らしたときだって、こんなに泣けなかったのに。

 いまになって、すべてが〝現実〟として見えてしまった。

 身体が、頭が、本当の意味で〝ルイーズの孤独〟を受け入れてしまった。


「…………ようやく、泣けたか」


 ルイーズの背を優しく撫でながら、グウェナエルがそう呟いた。

 どういう意味なのかもわからない。けれど、そのひとことはなおのことルイーズの心を刺激して揺さぶってくる。泣いていいのだ、と。そう言われた気がした。


「安心しろ、ルイーズ。おまえはなにもちがくはない」


「うっ、ちがっ、うもん……!」


「いいや。ルイーズはルイーズだ。ひとりにはならないし、させない。この日常もなくならないし、これからもっと当たり前になっていく。そのために俺やディオンたちがいるんだ。リュカも、エヴもな」


「そ、そうだよ、ルゥ。ぼく、ずっとルゥのそばにいるよっ」


 グウェナエルの言葉に全力で同意したリュカは、おもむろに「見てて!」と手のひらでお椀を作った。

 ぼろぼろ涙を零しながらルイーズが視線を下ろした瞬間、そのお椀のなかに色とりどりの花々が溢れ出す。

 思いもよらない光景に、一瞬、涙が止まった。


「ルゥ、お花好きだよね? だから、花生成魔法っていうの練習したんだ」


「おいリュカ……どこでそんな、古の魔法を……」


「……リュカ、あとでその話、くわしく聞かせなさい」


 グウェナエルとエヴラールがそろって愕然とするなか、リュカは必死に背伸びをしてルイーズの腕のなかへせっせと花々を運び始める。


「ほ、ほんとは、花束を召喚できるようになってから言おうと思ってたんだけど」


「んぅ……?」


「ぼく、ぼくね──ルゥ。ルゥのこと、守れるくらいに強くなるから」


 リュカはいつになく真剣な表情で、ルイーズを見上げる。


「父上やグウェナエルさまより、もっともっと。ルゥが不安にならないくらい、誰よりも強くなるから。そしたら、いつかルゥ、お嫁さんになってくれる?」


 その瞬間、ベアトリス以外の大人が雷でも撃たれたかのようにふらついた。

 だが直後、グウェナエルとディオンがくわっと目を見開いてリュカを睨む。


「おまえにはまだはやい!!」


「姫さまにはまだはやいです!!」


「はやくないです。ぼくは、ルイーズに聞いてるんだし」


「「なっ」」


 まさか、リュカがこうもはっきり口ごたえするとは思わなかったのだろう。

 グウェナエルやディオンだけではなく、エヴラールまで瞠目して硬直する。

 そんな大人たちの上下する顔色を見ていたら、ルイーズはなんだか涙が引っ込んでしまった。手元を覆う花々に目を落として、リュカを見る。


(およめさん)


 それはつまり、将来もここにいていいのだと。

 ルイーズに居場所をくれるのだと──そういうことだろうか。


「リュカ……ルゥのこと、好きなの?」


「うん。好きだよ」


「……そっかあ」


 悩む間もなく返された告白に、ルイーズははにかんだ。

 衝撃から立ち直れずにいるらしいグウェナエルに降ろしてもらい、ルイーズは花々を両手いっぱいに抱えながらリュカに正面から向き合う。


「じゃあ、ルゥはリュカの〝婚約者〟だね」


「「「!?」」」


 ぱあっと顔を明るくしたリュカと、いよいよその場に崩れ落ちた男性群。

 ベアトリスはひとり「なんと!」と感動に目を輝かせていた。


「ルゥのこと、絶対、大事にする!」


「うん。ありがと、リュカ」


 婚約者、お嫁さん、結婚。

 その意味を、リュカが本当の意味で理解しているのかはわからない。

 けれど、いまはそれでもよかった。家族以外でルイーズに居場所を与えてくれようとする存在がいる。その事実が、ルイーズの心には響いたのだ。


(ひとりじゃないって……みんな、そう言ってくれる)


 生まれも、立場も、存在も、変わることはない。

 けれど、受け入れたからこそ進める道も、もしかしたらあるのかもしれない。


「……ルイーズ」


 ふらふらと立ち上がったグウェナエルが、額を抑えながらもルイーズを呼んだ。

 振り返ると、大きな手がぽすんと頭に乗せられる。


「そう不安にならないでいい」


「パパ……」


「俺をはじめ、ルイーズが生きていてくれるだけで幸せに思う者がいる。今後、限りなく広がっていく世界で、そういう存在はさらに増えていくだろう。おまえが大切に想う者も、おまえを大切に想う者も──とめどなく、一生な」


 とめどなく、一生。

 そのひとことがじんわりと熱を持って、ルイーズのなかに染み渡っていく。

 見れば、ディオンもベアトリスもエヴラールもリュカも頷いていた。


(ねえ、ママ。……ルゥ、もしかしなくても、すんごく幸せだね)


 ルイーズに〝聖女の睡宝〟を託したときのミラベルは、はたしてこんな未来を想像していたのだろうか。


 小さな世界しか知らなかったルイーズが、外界に飛び出して。

 大冒険を経て、父と再会し。

 ベアトリスという新たな従者ができて。

 魔界に飛んで、エヴラールやリュカと出会い。

 くすぐったくなるくらいに愛されながら、未来へ歩んでゆこうとしている。


 ──否、きっとミラベルだってこんな未来は想像できないだろう。


「ありがと、みんな」


 生とは予想のつかないものだ。

 出会いひとつ、選択ひとつですべてが変わる。

 ルイーズのこれまでも、これからも、すべてはまだ未知のまま。

 なればこそ、限りのない可能性を悲観するのは──ルイーズらしくはない。

 だって、この世界の常識はそもそも〝ルイーズに当てはまらない〟のだから。


(うん。ルゥはルゥらしく、生きてけばいいんだよね)


 人で、悪魔で、前世の記憶持ち。

 そんなルイーズだから築いていける明るい道がきっと見つけられるはずだ。


 願わくは、いまと変わらず。

 願わくは、いまよりもっと。


 ルイーズの愛する存在が、笑いあえるような未来でありますように。


「あのね、みんな」



 ──……そう心から願いながら、ルイーズは「大好き」と花笑んだ。



【完】

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ちびっこ聖女は悪魔姫~禁忌の子ですが、魔王パパと過保護従者に愛されすぎて困ってます!?~ 琴織ゆき @cotoori_yuki

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