第25話 ルイーズのこれから
◇
以前店主に教えてもらった休憩場でクレプアンを食べながら、ルイーズはぼんやりと考えた。
(うーん。ルゥって、結局どっちにもなれないんだろうなぁ)
人と悪魔。両方の血を持つ、禁忌の子ども。
そのうえ、ルイーズのなかには前世の自分がいる。何者かもわからない、自分である〝誰か〟の記憶が、欠片のように前世の記憶が散りばめられている。
(ルゥは、ルゥだけど……でも、ときどきわかんなくなるよ)
どうあればいいのか。どうあるべきなのか。どうあらなければならないのか。
答えの出ない疑問だ。きっと、一生。
人であることも、悪魔であることもできない。
前世の記憶がなくなれば、いまのルイーズですら保てなくなるかもしれない。
直視したくない現実だが、ふと我に返ってしまうと、だめだった。
足元があやふやで。
どこに立っているのか、どこに向かっているのか、わからなくなって。
「わっ、ルゥ! たれてる! たれてるっ!」
ぼーっとしていたのがいけなかったのだろう。
隣に座っていたリュカの叫び声にハッとしたルイーズは、目を瞬かせた。
その瞬間、ポタッ、と花蜜とはちがうものが膝に落ちる。
「え、ルゥ……?」
「「姫さま!?」」
「どうした」
「ルイーズさま?」
リュカ、従者たち、グウェナエル、エヴラールの声が続く。
その声はどれも困惑していたが、一番戸惑っていたのはルイーズ自身だった。
(なんで、ルゥ、泣いてる?)
わけもわからないまま、ぽたぽたと流れていく涙の雫を見下ろした。
止まる気配はない。喉の奥が痛いほど締めつけられて、ただ胸が苦しかった。
「ルイーズ」
グウェナエルが立ち上がり、ルイーズを抱き上げた。
「なにを考えてた?」
「あ……ちが、ルゥ……ちがくて、だって、ルゥは……」
──いつまでここにいることが許されるのだろう、なんて。
そんな贅沢な悩みを抱いてしまった自分に驚きながら、ルイーズはふるふると首を横に振ってグウェナエルの肩に顔をうずめた。
「うれし、かったの……っ! みんな、いっしょ、で……っ」
「ああ」
「でも、でも、ルゥは、ちがうって……みんなとは、ちが、うんだって……っ」
そう遠くない未来、この幸せな空間からルイーズだけ消えてしまうのではないかと。
そんな想像が頭のなかによぎってしまったら、だめだった。
「ああぁぁぁぁ……っ」
いよいよ涙が止まらなくなってしまい、ルイーズは衝動のまま泣いた。
母のミラベルが命を散らしたときだって、こんなに泣けなかったのに。
いまになって、すべてが〝現実〟として見えてしまった。
身体が、頭が、本当の意味で〝ルイーズの孤独〟を受け入れてしまった。
「…………ようやく、泣けたか」
ルイーズの背を優しく撫でながら、グウェナエルがそう呟いた。
どういう意味なのかもわからない。けれど、そのひとことはなおのことルイーズの心を刺激して揺さぶってくる。泣いていいのだ、と。そう言われた気がした。
「安心しろ、ルイーズ。おまえはなにもちがくはない」
「うっ、ちがっ、うもん……!」
「いいや。ルイーズはルイーズだ。ひとりにはならないし、させない。この日常もなくならないし、これからもっと当たり前になっていく。そのために俺やディオンたちがいるんだ。リュカも、エヴもな」
「そ、そうだよ、ルゥ。ぼく、ずっとルゥのそばにいるよっ」
グウェナエルの言葉に全力で同意したリュカは、おもむろに「見てて!」と手のひらでお椀を作った。
ぼろぼろ涙を零しながらルイーズが視線を下ろした瞬間、そのお椀のなかに色とりどりの花々が溢れ出す。
思いもよらない光景に、一瞬、涙が止まった。
「ルゥ、お花好きだよね? だから、花生成魔法っていうの練習したんだ」
「おいリュカ……どこでそんな、古の魔法を……」
「……リュカ、あとでその話、くわしく聞かせなさい」
グウェナエルとエヴラールがそろって愕然とするなか、リュカは必死に背伸びをしてルイーズの腕のなかへせっせと花々を運び始める。
「ほ、ほんとは、花束を召喚できるようになってから言おうと思ってたんだけど」
「んぅ……?」
「ぼく、ぼくね──ルゥ。ルゥのこと、守れるくらいに強くなるから」
リュカはいつになく真剣な表情で、ルイーズを見上げる。
「父上やグウェナエルさまより、もっともっと。ルゥが不安にならないくらい、誰よりも強くなるから。そしたら、いつかルゥ、お嫁さんになってくれる?」
その瞬間、ベアトリス以外の大人が雷でも撃たれたかのようにふらついた。
だが直後、グウェナエルとディオンがくわっと目を見開いてリュカを睨む。
「おまえにはまだはやい!!」
「姫さまにはまだはやいです!!」
「はやくないです。ぼくは、ルイーズに聞いてるんだし」
「「なっ」」
まさか、リュカがこうもはっきり口ごたえするとは思わなかったのだろう。
グウェナエルやディオンだけではなく、エヴラールまで瞠目して硬直する。
そんな大人たちの上下する顔色を見ていたら、ルイーズはなんだか涙が引っ込んでしまった。手元を覆う花々に目を落として、リュカを見る。
(およめさん)
それはつまり、将来もここにいていいのだと。
ルイーズに居場所をくれるのだと──そういうことだろうか。
「リュカ……ルゥのこと、好きなの?」
「うん。好きだよ」
「……そっかあ」
悩む間もなく返された告白に、ルイーズははにかんだ。
衝撃から立ち直れずにいるらしいグウェナエルに降ろしてもらい、ルイーズは花々を両手いっぱいに抱えながらリュカに正面から向き合う。
「じゃあ、ルゥはリュカの〝婚約者〟だね」
「「「!?」」」
ぱあっと顔を明るくしたリュカと、いよいよその場に崩れ落ちた男性群。
ベアトリスはひとり「なんと!」と感動に目を輝かせていた。
「ルゥのこと、絶対、大事にする!」
「うん。ありがと、リュカ」
婚約者、お嫁さん、結婚。
その意味を、リュカが本当の意味で理解しているのかはわからない。
けれど、いまはそれでもよかった。家族以外でルイーズに居場所を与えてくれようとする存在がいる。その事実が、ルイーズの心には響いたのだ。
(ひとりじゃないって……みんな、そう言ってくれる)
生まれも、立場も、存在も、変わることはない。
けれど、受け入れたからこそ進める道も、もしかしたらあるのかもしれない。
「……ルイーズ」
ふらふらと立ち上がったグウェナエルが、額を抑えながらもルイーズを呼んだ。
振り返ると、大きな手がぽすんと頭に乗せられる。
「そう不安にならないでいい」
「パパ……」
「俺をはじめ、ルイーズが生きていてくれるだけで幸せに思う者がいる。今後、限りなく広がっていく世界で、そういう存在はさらに増えていくだろう。おまえが大切に想う者も、おまえを大切に想う者も──とめどなく、一生な」
とめどなく、一生。
そのひとことがじんわりと熱を持って、ルイーズのなかに染み渡っていく。
見れば、ディオンもベアトリスもエヴラールもリュカも頷いていた。
(ねえ、ママ。……ルゥ、もしかしなくても、すんごく幸せだね)
ルイーズに〝聖女の睡宝〟を託したときのミラベルは、はたしてこんな未来を想像していたのだろうか。
小さな世界しか知らなかったルイーズが、外界に飛び出して。
大冒険を経て、父と再会し。
ベアトリスという新たな従者ができて。
魔界に飛んで、エヴラールやリュカと出会い。
くすぐったくなるくらいに愛されながら、未来へ歩んでゆこうとしている。
──否、きっとミラベルだってこんな未来は想像できないだろう。
「ありがと、みんな」
生とは予想のつかないものだ。
出会いひとつ、選択ひとつですべてが変わる。
ルイーズのこれまでも、これからも、すべてはまだ未知のまま。
なればこそ、限りのない可能性を悲観するのは──ルイーズらしくはない。
だって、この世界の常識はそもそも〝ルイーズに当てはまらない〟のだから。
(うん。ルゥはルゥらしく、生きてけばいいんだよね)
人で、悪魔で、前世の記憶持ち。
そんなルイーズだから築いていける明るい道がきっと見つけられるはずだ。
願わくは、いまと変わらず。
願わくは、いまよりもっと。
ルイーズの愛する存在が、笑いあえるような未来でありますように。
「あのね、みんな」
──……そう心から願いながら、ルイーズは「大好き」と花笑んだ。
【完】
ちびっこ聖女は悪魔姫~禁忌の子ですが、魔王パパと過保護従者に愛されすぎて困ってます!?~ 琴織ゆき @cotoori_yuki
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