トットットット…

黒白 黎

トットットット…

 ピチョン…ピチョン…水滴が落ちると音が聞こえてきた。真っ暗な世界にひとり残されたみたいで、水滴の音以外なにも聞こえてこない。うっすらと目を開けるとそこは黒くくすんだ見知らぬ部屋だということがわかった。手足に力を入れ、ようやく起き上がるとそこは見知らぬ部屋だと思っていたがどうやらお風呂場のようだった。ただ、お風呂場というよりかは上下坂さま、天井と地上がひっくり返ったかのような湯舟ごとお風呂が天井に張り付き、滴る道はどうやらそのお風呂から流れ落ちているようだった。

 真っ赤だ。真っ赤な水がゆっくりとだが、落ちてきている。たった一粒程度の水が真っ赤に染まり、それがインクやペンキなどで濁したわけでもない。それは血であるということは時間を置いて分かったことだが、今の俺にとってはどうでもいいことだ。

 お風呂を出て、部屋を見渡す。上下坂さま、天井と地上が逆転したかのようでベッドやテーブルが天井に張り付けられている。手が届きそうで届かない。引っ張れば落ちてくるのかもしれない。けどそうしようとは思わなかった。これが現実なのかそれとも夢を見ているのかどっちの世界にいるのか区別できない今、掴むという方法が一番だったのかもしれない。だけどこのときばかりか気が動転していたのか掴むことはせず、家から出ることを選んだ。

 外は灰色の雲に覆われていた。動きもしない雲。まるで絵でかいたような空間がどこまでも広がっていた。

 建物は坂さまではないようだが、道路から歩道に至るまで灰色と黒色に染まっており、ここが現実ではないと悟った。

「どこへいけばいいのやら」

 見渡す限り道は途中までしかない。鉄作が道路の先を塞ぐようにして設置され、鉄作の奥へ行くにもビルやら建物やらで道路ごと塞がられてしまっている。これでは道なりに進むことはできない。なんという夢だ。げんなりと思いながらもここから出られる道を探し求めて町の中へと歩を進めた。

 ビルからビルへ渡るかのような朱い橋がいくつも見えた。かなりの高さにあり五階よりも上に位置している。当たりを見渡し、どうにかあの橋へ上れないかと探すが、階段は見つからない。

 建物の中から入ろうと試みるが、どうやら絵で描いたかのようで壁に阻まれ進むことも入ることもできない。

「クソ」苛立ちが増す。どこへ行こうにもどこへ進もうにも道がないのだ。いい加減にしてくれと舌打ちと共に足で地面を蹴った。夢なら覚めてくれと苛立ちながら願うも、その願いは虚しくも現実に引き戻される。

 トットット……足音がかすかに聞こえた。灰色の歩道と黒色の道路、鉄作で道は阻まれ、建物で道路を寸断されたこの場所で初めて俺以外に誰かがいる。安堵と安心感が胸の底から噴き出した。その音を頼りに走っていった。人がいる。俺が意外に誰かがいる。夢か現実かわからないような世界から解放される。そんな気持ちだけがいまの自分を動かしていた。

 だが、その暖かな気持ちを打ち切るかのようにそいつは角から現した。

 真っ黒のローブに身を包み両手に弧のような刃物を握り、トトトと足音を立てながらこっちへと走ってくる。そいつと距離がだいぶ近づくにつれ、俺はハッと恐怖と不安と逃げないとという感情に呑まれた。そいつの顔は真っ白い。そして距離があと少しで届きそうなところでようやくそいつが生きている人間ではないことを悟った。

 逃げなきゃ…そう思い振り返り走ろうと地面を蹴った。鈍い食感と共に体が宙を回った。一瞬何が起きたのか理解できなかった。地面へ投げ出され、何度も転がり、ようやく止まると同時に、俺はハッと我に返った。

 そこは最初目が覚めたお風呂場だった。赤い雫が落ちる音。俺は体を起こし、アレがなんだったのかすぐに理解した。あれは死神だ。黒いローブに身を包み真っ白い手に顔、そして両手に握られたカマのような刃物。あれは死神だ。きっと、俺はなにかをして、ここに来たんだ。死神は俺をもう一度殺そうとしている。俺は死神(やつ)から逃げるようにビルからビルへとつなぐ橋を探しに町へ飛び出た。

 幸いにも足音はしなかった。まだ遠いようだ。俺は必死で階段を探し回った。ここにいてはいつ死神に見つかるかわからない。もし、今度こそ捕まったらきっともう二度と目が覚めることはないだろうから。

 一時間ほど経ったのか随分と走った。不思議なことに身体は疲れていない。あれだけ休まずに走ったのに息が上がっていない。夢だからかそれか死の世界だからか、俺は今なら陸上選手になれたかもしれない。

 階段をのぼり、ビルからビルへとつなぐ橋を渡っていた。幸いにもまだ死神と出くわしていない。幸運だけは唯一俺の味方であるらしい。

 ビルからビルへと橋を渡り、階段を上る。時には降りて地上を走り、また階段を上る。そんなことを繰り返してようやく出口と思わしき周りと明らかに雰囲気が違う空間を見つけた。あそこまでいけば、きっとこの世界からオサバラできる。そう確信した直後だった。

 トットットット…足音が段々と近づいてきている。俺は振り返った。先ほどまで走ってきた橋の上で死神がものすごい速さで迫ってきているのを見つけた。

「う、クソ」

 死神がどうやって俺の居場所を分かったのかは定かではない。それよりも尋常じゃないことが起きている。俺がまだ地上にいたころ、奴の速さは俺と同レベルほどの速さだった。だが、今はその二倍の速さで走っている。十分前に渡り歩いていた橋を奴はものの数秒で駆け抜けていく。死神は、この橋と階段の上ではけた違いに早くなることだと。これは、死を暗示させると同時にこのままではすぐに追いつかれると再び恐怖が沸き上がってきた。

 悲鳴にならない悲鳴を上げ、俺は一生懸命に光がある世界へと階段を上る。死神は俺をあざ笑うかのようにどんどんと距離を縮めていく。もうダメだ。もう十歩もない。諦めかけたとき、ズシンと音が背後でなった。

 恐る恐る後ろを振り返ると鉄製の扉が先ほどの空間から切り離すかのように閉ざされていた。

「た、助かったの…か」

 俺は安堵し、緊張感が和らいだ感触に包まれた。この空間は死神は入ってくることはできないらしい。俺は少しずつ光の中をゆっくりと探索するかのように歩き回った。光に包まれ壁を伝い、ようやく最終地点に到着した。

 そこはベッドにテーブルが置かれていた。部屋を通り抜き、奥へと進むと真っ赤に染まったお風呂場が。先ほどとは違い天井に張り付いてはいない。ちゃんと床に設置されてある。俺は現実世界に戻ってこられたのだと、安心と共に部屋に戻ってベッドの上に寝転がろうとしたとき、トットットット…と再びあの音が聞こえた。

 トットットトトト…音がどんどんと近づいてくる。俺は逃げようとしたが、死神は入ってきた所からやってきているようで逃げ場所は完全に失っていた。トトトト…音が近づき、死神が部屋から入り込むと同時に、首が宙に舞い上がり、そして――目が覚めると天井に張り付けられた風呂場が。俺は絶句した。俺は繰り返している。死を繰り返しているのだ。永遠に出られない世界をただ、永遠に……また、トットットット…音がやってくる。

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トットットット… 黒白 黎 @KurosihiroRei

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